編集者としての仕事をする前は、俗に言うサラリーマンだった。スーツに身を包み、お客様に失礼のないような格好をした。少し明るめの色を選んだのは、社会に染まりきりたくないささやかな反抗心だった。

会社の飲み会は、当たり前のようにビールでスタートする。ビールは、とりあえず飲んでおくか、という存在だった。

だが、転職して編集の仕事をするようになると、自分と同じミレニアル世代と仕事をするようになったからだろうか、すぐに”クラフトビール”が身近な存在になった。お店でも「とりあえずビールで」では、注文できない。画一的なスーツを脱いで仕事をするようになると、ビールも個性的に変化した。この個性的なビールは、どう生み出されているのだろうか。

ヤッホーブルーイングのマーケティングディレクターの方への取材に続いて取材したのは、主力製品「よなよなエール」のリニューアルにも携わり、ヘッドブリュワー(醸造責任者)を若くして任されている森田正文氏。森田氏に、ビールづくりへの思いや、ヤッホーブルーイングがユニークな製品を生み出し続けられる仕組みについて話を聞いた。

クラフトビールはいかにして流行から“文化“になったか–ヤッホーブルーイングの挑戦に学ぶ

東京から車を走らせて、2時間半ほど。長野県佐久市にヤッホーブルーイングのブリュワリー(醸造所)がある。ヤッホーブルーイングの本社がある軽井沢の隣街だ。

ヤッホーブルーイングは、画一的な味しかしなかった日本のビール市場にバラエティを提供し、新たなビール文化を創出することをミッションにしたビールメーカーだ。

20年前からつくり続けている「よなよなエール」を主力製品とし、若い女性をターゲットにした「水曜日のネコ」、苦味が強烈な個性派ビール「インドの青鬼」など、小規模な醸造所がつくる、多様で個性的な クラフトビール を日本全国に届けている。

20年前にヤッホーブルーイングの創業者である星野リゾート代表の星野佳路氏が建てた醸造所が今もそのまま現役で、森田氏はここで個性的なビールを生み出している。

星野リゾートが親会社のクラフトブリュワリーに新卒採用で入社

おじいさんもお父さんも、ビール党。ビール好きの家庭に生まれた森田さんは当然ビール党だ。しかし高校生のころには、みかん農家になりたいと考えていた。ビール造りに携わりたいと考え始めたのが、大学入学後すぐだった。

大学生のときのアルバイト先だった店の隣にあったのがアイリッシュパブ。そこで、ビールには様々な種類があることを知った。

森田「はじめてバス・ペールエールを飲んだ時、豊かな甘味と風味に感動したんです。そこのパブのマスターにクラフトビールのことも教えてもらいました。日払いで給料をくれるお店だったので、その日にもらったアルバイト代はその日のビール代に消えていきました(笑)」

大学では作物学専攻で稲に関する研究室であったが、担当教授に頼み込み大麦を研究した。少しでもブリュワーへの道につなげたいという思いからだ。就職活動時は、ブリュワーを目指し大手を含めて様々なビール会社にコンタクトをとった。

森田「ヤッホーブルーイングの親会社が星野リゾートだったことには、とても興味を持ちました。星野リゾートの説明会に行って、ヤッホーブルーイングに入りたいという話をしたら、新卒採用をしていることを教えてくれたんです。星野リゾートとヤッホーブルーイング、両方の採用面接を受けながら、最終面接でヤッホーブルーイングを選び、入社することを決めました」

仏文科卒だって、ブリュワーになれる

入社して半年ほど缶充填の手伝いや、醸造所の掃除などを経験。年明けから本格的にブリュワーとしてのキャリアをスタートした。4年の修業の後、ヤッホーブルーイングのヘッドブリュワーとなる。

森田「大学での研究は、今はあまり役に立っていません(笑)。実践的な醸造技術については入社後のジョブトレーニングで学ぶことができました。日本にはビールづくりを教えてくれる学校はありませんし、ヤッホーブルーイングでは学生のときの専攻を問わず、やる気があればブリュワーになれます。ブリュワー1年目の後輩は女性でしかもフランス文学科の卒業生です」

全くの素人からスタートしても素晴らしいブリュワーになることができる。それは同社の社内制度や、スタッフのモチベーションの高さによるもののようだ。そのユニークな組織のあり方を紐解いていこう。

ブリュワー以外もビールがつくれる環境が、革新的なビールを生む

現在、ビールの製造に関わるスタッフは30人弱。一般的に「ブリュワー」と呼ばれるビールの仕込み・発酵から濾過までを担当するチーム、濾過が終わったビールを缶や樽に詰めるパッケージングチーム、品質管理や分析を行うクオリティーコントロールチーム、調達や生産計画を行う需給チームと、4つのチームに分かれている。ブリュワリーを案内してもらいながら、組織の話を聞いていく。

醸造所を案内してくれたのは、よなよなエール広め隊(広報)の根来さん

森田「製造に関わる部署であっても、大手のメーカーではブリュワー以外がレシピを考え、実際にビールを仕込み、発酵・濾過させることはありません。でも、うちの場合は、スタッフが誰でも新しいレシピを作り出しビールをつくることができるんです」

スタッフなら誰でもビールが造れるのは、同社の「試験醸造制度」という福利厚生だそうだ。酒税と原材料費を払い申告をすると、好きなビールを造ることができる。

20リットルからつくれるタンク

森田「うちにはパイロット設備(小規模設備)があって、20リットルから造れます。もっと小さな規模で、試験管の中だけでやってもいいですし、スケールダウンして試験することは意外と難しくないんですよ」

ビールの醸造に挑戦しようと考えても、そのハードルは高い。結果が出るまで1ヶ月、早くても3週間ほどかかるし、ヤッホーブルーイングの基本の製造設備で造ると1万リットルのビールができてしまう。だが、ヤッホーブルーイングでは小規模設備により、より簡単に新しいレシピを試すことができる。

森田「多様性のあるチームで何かをアウトプットしようと思うと、経験や実績の差から、質の低下が起きてしまう可能性がある。でも、レベルの高い人だけのチームよりも、新しいものが生まれる可能性が高まるんです」

多様な人々が集い、チームを組成することで、専門性を持つブリュワーだけがレシピを設計するよりも革新的なビールが生まれる可能性が高まる。

1年目のブリュワーが「僕ビール、君ビール。ミッドナイト星人」をつくった

「誰もがビールの醸造に挑戦できる」というヤッホーブルーイングの制度は、ブリュワー以外のメンバーがビールづくりのプロセスを理解する上でも重要だ。

森田「ビールづくりの始めから終わりまでを体験することで、仕事のモチベーションがあがります。ビールづくりの難しさを知れば、どうやったらみんなの苦労の詰まったビールをおいしい状態で充填できるかを真剣に考えるようになる。組織の中での自分の役割や重要さを再確認できるのです」

30代前後の男性向けビール「僕ビール、君ビール。ミッドナイト星人」はこの制度から生まれた。仏文科を卒業してブリュワーとなった森田氏の後輩も、開発に関わった。

森田「『僕ビール、君ビール。ミッドナイト星人』をつくったふたりは、ブリュワー1年目、知識がない状態からスタートしました。見よう見まねで知識をつけて、どういうビールにしたいか、どんなお客さんに飲んでもらいたいかを真剣に考えて製品設計をしていました」

この製品は、ブリュワー1年目のふたりが1年ほど開発に取り組み、爆発的なヒット製品となった。同社でなければ、知識も経験も少ないルーキーたちがビールをつくることはできなかっただろう。

森田「何かをはじめるときは4つのステップがあると思います。最初は先輩をよく観察する。次についてもらって言われたとおりにやってみる。経験を積み重ねたら、自分だけでやってみる。最後に自分なりのやり方でやっていく。若いうちからこのサイクルを回すことができるのが、ヤッホーブルーイングのいいところかなと。属人化しすぎずチームで働くということです」

同社には、本人の学ぶ姿勢があれば、学べる場が多く存在する。社員が自分の得意分野を活かし講師となる社内の勉強会が頻繁に開催されている。星野リゾートの教育プログラムに参加することも可能だ。若手にも挑戦する機会を提供することが、新しいビールの発明につながったわけだ。

おいしさとは、バランスがいいこと。それは家の心地よさと一緒

ところで、今回の取材でとても楽しみにしていた質問がある。それは “おいしさ” という数値化できない曖昧なものをどうやって追い求めているのか、ということだ。人によって味の好みは異なるし、なんならその日の気分によっても変わってしまうのが “おいしさ” だ。と思っていたのだが、どうやらちょっと違うようだ。

森田「”おいしさ” って “バランスが良い” ことだと思うんです。心地よい家にいると “心地いいな” とはあまり思わない。逆に心地の悪い家にいると、使いづらさや不快さ、引っ掛かりを感じるんです。それが全くない家が、心地よい家。ビールのおいしさは、家の心地よさに近いんです。ネガティブな要素がなくて、バランスが整っていることがおいしさにつながる」

建物には、平屋、ビル、高層マンションと、様々な個性があるが、心地よさは共通している。ビールだって、様々な個性があっても、おいしさには共通項があるそうだ。

森田「おいしさって意外とぶれないんです。社内でビールを並べてみんなで飲むと、だいたいみんなが同じものをおいしいといいます。心地よいんですよ。DNAとして長年蓄積されてきた野性的な感覚なのかもしません」

ということは、ヘッドブリュワーが森田さんじゃなくても、今のよなよなエールの味になったということだろうか?

森田「そうだと思います。ヘッドブリュワーの役割は、ブリュワーとビールの関係に似ています。適切な原材料を選んで、酵母が健全に発酵してくれるよう環境を整えるのがブリュワーの仕事です。同じようにヘッドブリュワーは、適切な知識と情熱をもったブリュワーチームが健全に働けるよう環境を整えることが役割の一つです」

ヘッドブリュワーは、プロジェクトマネージャーとも言えるだろう。チームが健全な状態にあれば、ヘッドブリュワーに関係なく出来上がる品質は常により良いものになる。その状態にチームを引き上げるために、情報や知識、経験のすべてをできる限り共有すべきだし、環境に異変が無いかケアすることが重要だと森田さんは話す。

正解や方向性を決めるのではなく、チームが常に健全に議論し、その時のベストを選択できるように環境づくりを行うのがヘッドブリュワーの仕事だ。

100人中1人を熱狂的なファンにするものづくり

この10月、森田さんがヘッドブリュワーを務める「よなよなエール」が、20周年の節目で初めてのリニューアルをした。森田さんにとっては、現時点での集大成といえるプロジェクトであっただろう。

森田「ベースのレシピは20年間変わっていないんですが、つくりかたはブラッシュアップを続けてきました。例えるならば、グリーンサラダに、レタスをちぎって、きゅうり切って、トマトを入れるとする。そのレシピは変わらないけど、トマトの選び方がうまくなったり、レタスの下処理を工夫したりというような進歩は常にあったんです。ただ、今回のリニューアルでは、レシピ自体に手を加えて、よりクラフトビールらしい味わいへと変化させました」

既に多くのファンがいる製品のリニューアルを担当する。そのプレッシャーはかなり大きいのではないだろうか。

森田「リニューアルに限らず、どんな製品でも世の中に出すときは怖いですが、自分が本当にいいと考えるものを出すので、これでだめならしょうがないという気持ちもあります。もちろん、既存のお客さまの好みや期待は慎重に観察します。マーケティング部門が行うヒアリングもそうですし、各種イベントなどで私たち自身もお客様と話をして今までの味の評価や好きな点などを聞きます。大まかな方向性を掴んで、最終的には自分たちの感触で取り組むんです」

マーケティング部門に頼り切るのではなく、ブリュワー自身もユーザーと対話をしながら進む方向を見定める。最終的な着地点はものづくりの現場が決める。自分たちを信じて、マーケットに問う。

森田「提案型製品だと、開き直っているところもあります。100人中100人が嫌いということはないですから。『100人のうち1人熱狂的なファンがいるのがよい』と弊社代表の井手もよく言っていますが、本当にそのとおりだと思います。たった1人を狙って個性のあるものづくりをすれば良いんです」

広がるマーケットと、ものづくりへのプライド

小さなマーケットが少しずつ成長し、プレイヤーが増えていくと、お互いを刺激しあい、マーケットは活性化する。最近は、新卒採用のエントリーも相当増えているようだ。しかも、優秀な学生がどんどん集まる。先進的なものづくりや独自のマーケティング手法で存在感を高めている同社の魅力は、ミレニアル世代にはより顕著に響いているはずだ。

現在では、クラフトビールを扱う店も増えて、全国から集められたクラフトビールが店に並ぶ。だが、一般的なスーパーやコンビニでは、大手がつくった “クラフトビール” らしいビールが並ぶ。少し違和感を覚えてしまうのだが、森田さんは大手参入をどう思っているのだろうか。もちろんポジティブな面もありますが、と断った上で、次のように語ってくれた。

森田「焼け野原にしないでほしい、ということですね。とても小さいマーケットだった20年前から、僕たちはクラフトビールを伝えたい、つくりたいと、地道にやってきました。流行り物だから参入して、売れなくなったら悪い評判を残して撤退し、クラフトブリュワリーがもう一度苦境に立たされるという状況にはしてほしくない」

森田さんの言葉からは、ものづくりへのプライドと、愛を節々から感じる。それは、ミレニアル世代が既存の社会をアップデートする力強さの表れだろう。

これまで当たり前だった新卒一括採用と、それに伴うリクルートスーツにだって、疑問の声が上がる時代。画一的なものにはどんどんメスが入り、多様性が生み出されていく。「とりあえず、ビールで。」の時代の人は選択肢がありすぎることに面倒くささを覚えるかもしれないが、ミレニアル世代にとっては選択の豊富さが魅力的に映るのだろう。

様々なラベルと味が並ぶクラフトビールは、画一的なことを望まれていた世界から抜けだし、個性を大切にして生きたいと葛藤するミレニアル世代のようだ。クラフトビールが流行りで終わらず、カルチャーになり、これから先も楽しめるように、僕は飲み支えたいと思う。決して自分への言い訳ではない。

Photographer : 須古恵