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近年、働き方の選択肢が多様化していくなか、リモートワークという言葉を耳にする機会が増えた。「通勤時間の短縮」「無駄な工数削減」といった効率化のメリットがある一方で、メンバーには“見えない場所”で作業を任せることに不安を覚える人も少なくはない。
ツールや成功事例によってリモートワークを取り入れること自体のハードルは下がっているが、「見えない相手と信頼」を築くのはなかなか難しいのが現状だ。
ランサーズ株式会社 新しい働き方LAB 所長の市川瑛子氏は、同社で初の海外フルリモート社員だ。入社後すぐにシリコンバレーに飛び立ち、7カ月間暮らしていた。リモートワークで信頼関係を構築するため、画面越しでどうコミュニケーションを取っていくべきなのだろうか? 市川氏に話を伺った。
リモートワークのはじまり。ランサーズ初の海外フルリモート社員
市川氏がランサーズ株式会社(以下、ランサーズ)に入社したのは、2018年6月。最初の2週間だけ本社に出勤し、3週間目からアメリカのシリコンバレーに飛び立った。現在は、7カ月間のリモートワーク生活に幕を下ろし、東京オフィスに勤務している。
市川 「ランサーズに入社する話が進んでいるなかで、夫のアメリカ転勤が決まりました。『ものすごく興味はあるけれど、アメリカに行くので、リモートじゃないと……』と正直な話をしたところ、『試しにやってみればいいんじゃない?』と返事をもらえまして。あとあと聞いてみたら、海外フルリモート社員は私が初めてだったようです」
仕事のオンラインマッチングのプラットフォーム「Lancers」などのサービスを提供し、フリーランスや副業といったさまざまな働き方を提案するランサーズ。そんな同社初の、週5日8時間勤務の海外リモートワーク社員だ。
市川「日本国内ならまだしも、私は時差16時間のアメリカに行かなければならない。ランサーズにとっても初めてのパターンだったし、私にとっても初めてのチャレンジでした。『この時差で本当にやっていけるのか?』と緊張しましたね。ワクワクする気持ちが大きかったですけど」
市川氏が仕事を進めている時間は、日本チームが寝ているタイミング。市川氏のその日の業務が終わり、日本チームが出勤したタイミングで、ZOOM(※)を使って進捗会議をする。アメリカに行く前に心配していた時差のハードルは、意外と簡単に越えられたという。こうして、市川氏の海外リモートワーク生活がスタートした。(※ZOOM:オンライン会議ツール)
ランサーズの新規事業立ち上げを進めるなかで。ハンデを乗り越えさせてくれたものとは
市川氏のミッションは、ランサーズの新規事業立ち上げ。会社の次なるステップとして、個人で活躍したい人がイキイキと成長していける場を築いていく構想があった。
事業の方向性についての戦略立て、フリーランサーへの意識調査、他企業の事例調査、試験的なイベントの開催(企画から集客までは市川氏も関わり、当日の運営は東京メンバーが担当)。海外にいながら準備を進めて生まれたのが、個人の成長を目的とした全国共創コミュニティ「新しい働き方LAB」だ。
市川「刺激的な毎日でしたが、不安もありました。なぜなら、リモートワークは働く姿を見せられないから。パソコンに向き合って仕事をしていても、海でサーフィンしていても、伝わるものがなかったら一緒なんです。『対面での仕事とは違った難しさがあるかもしれない』と危機感が生まれました」
信頼関係を築くうえで、顔を合わせられないのは、大きなハンデになりうるだろう。市川氏は、物理的な壁をどう乗り越えたのだろうか。
市川「画面を通したコミュニケーションで、いかに信頼してもらい、いかに安心して任せられると思ってもらうべきか。それを考えた結果、今やっていること、考えていることを意識的に伝えるべく“アウトプット思考”に切り替えました。
具体的には、Slack(※)に、上司と部署メンバーを入れた『t_ichikawa(“タイムライン市川”の意)』というチャンネルを作成。そこで、Twitterのように、今していることを垂れ流しで書いていたんです。メンションはつけないので、メンバーには見たいときに見てもらう形で。
私が一日何をやっていたのかがわかり、反応したいときにだけ反応する、お互いに押し付けないコミュニケーションが生まれました。上司には、『出社しているメンバー以上に、一日の行動がわかって安心する』と言ってもらえましたね」 (※Slack:ビジネスコミュニケーションツール)
市川氏のSlack上のタイムライン
アウトプット思考を徹底することで、対面で働く以上のコミュニケーションを実現できる。市川氏は、毎日の業務に工夫を加えながら、リモートワークの可能性を身をもって体験した。
リモートワークが限界を迎えたその先に。コミュニケーションの基盤作りの重要性
「“長期的に持続する信頼関係作り”という視点から見ると、リモートワークには限界がある」と語る市川氏。ただリモートワークをするだけではなく、「対面コミュニケーション」も重要視するべきだと提言する。
市川「対面コミュニケーションから生まれる普段の何気ない雑談にこそ、信頼を築く力があると思います。私は、リモートワーク生活が始まってから、2回ほど日本に帰国しました。そこで、合宿や長時間のミーティングをして、雑談を交えた濃い時間を過ごしましたね。
特に『やっておいてよかった』と思うのは、アメリカに行く前に、たくさんのメンバーとじっくり話す時間ができたこと。役員から『この2週間のミッションは、とにかく多くのメンバーと関係性を作ること。何よりもこれを優先せよ』と言われ、人と話すことに時間を充てました。ランチからディナー、コーヒータイムまで。
結果、部署や年次を超えた約50名と、仕事のことはもちろんプライベートのことまで話して、打ち解けました。この2週間で作った関係性は、海外で働くための大きな基盤になりました。
例えば、Slackで何か質問をしたいとき。関係性が築けていなければ、メッセージを送るのをためらって別のメンバーに中継役をお願いするなど、業務的なコストも時間もかかってしまいます。顔を合わせないコミュニケーションをするうえで、対面での関係性構築は必須だと思いますよ」
市川氏が所長を務めるコミュニティ「新しい働き方LAB」でも、対面コミュニケーションを取り入れているという。
市川「日本国内とバンコクの計14カ所にある、拠点ごとのコミュニティマネージャーを担当しているのは、その土地に住んでいるフリーランスの方々です。普段はslackかZOOMでやりとりしていますが、合宿をして顔を合わせることも大切にしていて。
合宿後は、さらにオンラインコミュニケーションが活発になりました。オンラインでのコミュニケーションをスムーズに進められているのも、『対面の効果は大きい』と実感した海外リモートワーク生活があったからだと思います」
また、市川氏がリモートワークの限界を越えるために意識しているのは「対面コミュニケーション」だけではない。「コミュニケーションの土台作り」も、押さえておくべきキーワードだと言う。
市川「画面の先の相手に対して、探り探り連絡を取り合うと、気を遣うだけのモヤモヤしたコミュニケーションになってしまいます。そこからは、本当の信頼関係は生まれない。だから、『どのようなスタンスでコミュニケーションを取っていくのか』とチームで意識をすり合わせておく。つまり“コミュニケーション指針”のようなものを定めるべきだと思うんです。
私も入社して日が浅い頃は、『質問攻めにしないように』『頼りすぎないように』と遠慮していました。一方で、東京チームは『市川にどう仕事を振っていいかわからないから、ひとまず東京側で解決しよう』ということもあったみたいで……お互いに遠慮していました。
そんな中、一度帰国してチーム合宿をしたタイミングで、『家族みたいに、遠慮しないで何事も伝えるようにしよう』とコミュニケーション指針を定めてくれたんです。そこからは日本が寝てる時間でも遠慮せずにメッセージを送れましたし、ストレスもなく仕事が進められるようになりました。『悩んでいます』『うれしいです』と感情も伝えられて、心理的な壁を感じず、チームプレーができるようになったと感じます」
最後に、リモートワークを成功させるうえでのチームの重要性について、市川氏はこう語る。
市川「一緒に働くメンバーが理解を示さなかったら、リモートワークは絶対に成功しません。リモートワーカーとチームメンバーの共同作業で完成されるんです。『リモートワークできるように、設備も制度も整えた』なんて小手先の環境整備だけじゃ、うまくいかない。
私の場合、チームメンバーの支えと理解があって、リモートワークを成し遂げられました。仕組みを作るだけじゃなく、“仕組みをうまく回そうという意識をメンバー全員が持てているか”が成功の鍵を握っているのだと思います」
リモートワーク制度導入の波に乗ろうと、上っ面だけ取り繕ってもうまくいかないーー。本質だけれども、見落としている組織が多いだろう。
チームの意識が同じ方向を向いているか。そして、物理的な壁を乗り越えるためのコミュニケーションが取れているか。この2つに注力して初めて、リモートワーク成功への道筋を描けるのではないだろうか。
取材・文:柏木まなみ
写真:國見泰洋