12ドルの水が売れる時代へ 世界で進む「水の高級化」と日本の水文化が持つ可能性とは
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水は長らく、どこでも安価に手に入る生活必需品と考えられてきた。しかし今、その価値が変わり始めている。
産地・地質・ミネラル・口当たりによって水を選び、料理と組み合わせるレストランが登場し、ファッションや美容のブランドまでが水を使った体験づくりに乗り出している。
アメリカの調査会社Grand View Researchによれば、世界のプレミアムボトルウォーター市場は2025年に235億ドル、2026年には251億ドルに達し、2033年には422億ドルまで成長する見通しだ。
世界市場の年平均7.7%の成長が予測されており、特にアジア太平洋地域は9.3%と高い成長が見込まれている。
なぜ、ほとんど無色無臭の水に、これほど大きな付加価値が生まれているのか。その答えを探ると、成熟市場におけるブランドづくりの新たな方法が見えてくる。
「水にも産地ごとの個性がある」という発見
水の価値を変えている存在の一つが、「水ソムリエ(ウォーターソムリエ)」である。ワインのように水をテイスティングし、産地や地質、ミネラルの組成、炭酸の強さ、口当たり、余韻までを言語化する専門家だ。
世界的に有名な水ソムリエのMartin Riese(マーティン・リーゼ)氏は、水の個性を決める指標として、溶け込んでいるミネラルの総量を示すTDS(Total Dissolved Solids)を重視する。
リーゼ氏はインタビューで、雨水が異なる土壌や岩石層を通る過程で、その土地固有のミネラルを取り込むため、「水の特徴は100%テロワール(土地の気候や地質などの自然環境)によって形づくられる」と説明している。

(画像提供:Martin Riese/出典:ICONIC LIFE)
例えば、カルシウムは硬質で引き締まった口当たりを、マグネシウムはわずかな苦味を、ナトリウムは丸みをもたらす。炭酸の強さや泡の細かさも食体験を変える。
TDSが低い軟らかな水は刺身などの生の魚介や繊細な野菜料理を邪魔しにくい。一方、ミネラルの多い水や炭酸水は、肉料理、熟成チーズ、揚げ物の脂や塩味を受け止め、口内をリセットする働きを持つという。
つまり水は、料理の合間に喉を潤すだけの脇役ではない。料理の味を変化させる、もう一つのペアリング飲料になり得るのである。
7種類の水をそろえるイギリスのレストラン
イギリス北部のフレンチレストラン「La Popote」は2025年、イギリス初をうたう専用のウォーターメニューを導入した。提供したのは、非炭酸水3種類と炭酸水4種類。価格は1本5~19ポンドで、無料の水道水も引き続き提供している。

計7種類の水を、TDSや口当たり、料理との相性によって紹介する(画像:La Popote)
La Popoteは約140種類のワインを扱っていたが、飲酒しない客にも同等の選択体験を提供しようと、水ソムリエのDoran Binder(ドラン・ビンダー)氏とメニューを開発した。
当初、経営者のJoseph Rawlins(ジョセフ・ローリンズ)氏とGaëlle Radigon(ガエル・ラディゴン)氏は複数種類の水の提供に懐疑的だったという。しかし実際に水を飲み比べ、料理との組み合わせで味の感じ方が変わることを実感し、導入を決めたとしている。
イギリス産の「Crag Spring Water」には「滑らかでクリーミー」、フランス産の「Vichy Célestins」には「繊細でほのかに甘い」といった味わいを表す説明がメニューに添えられた。
重要なのは、高価な水を並べたことだけではない。比較し、説明を受け、選ぶというプロセスを加えることで、水をサービス体験へ転換したことである。
アメリカ・バージニア州の高級レストラン「The Inn at Little Washington」も、13種類の希少な水を掲載するメニューを展開している。
産地や味わいに加えて「ヴィンテージ」まで記載し、約1万5,000年前の氷山由来とされる「Berg」などを提供する。地元バージニア州の低ミネラル水は無料で用意しつつ、選びたい客には水の産地や背景にある物語を付加価値として販売する設計だ。
水ソムリエという専門家、テイスティング用の言葉、比較可能なメニュー、料理とのペアリング。ワイン市場で培われた価値形成の仕組みが、水にも応用されている。
12ドルの「聖なる水」が売るもの
水の高付加価値化は、高級レストランだけで起きているわけではない。
ロサンゼルスの高級スーパーマーケット「Erewhon」は2026年7月、シャワーフィルターブランド「Jolie」と共同で「Sacred Water」を発売した。価格は12オンス(約355ミリリットル)入りで12ドル。1オンス当たり1ドルに相当する。

ジャスミン茶やココナッツウォーター・生蜂蜜・複数の植物を使い、12オンス12ドルで販売された
(画像:Erewhon)
その中身は単なる水ではない。ジャスミン茶・ココナッツウォーター・白ブドウ果汁・ココナッツミルクに、生蜂蜜・ホーリーバジル・アニスヒソップ・グリーンカルダモンなどを重ねた透明感のあるハーブトニックである。商品の発表時にはSNS上で、「水に12ドルは高すぎる」といった批判も招いた。
しかし、話題になった時点でブランド体験としては一定の成果を上げている。Erewhonは以前から、20ドル前後のセレブリティーとのコラボスムージーを、単なる飲料ではなくロサンゼルスのウェルネス文化に参加するためのアイテムとして販売してきた。
Sacred Waterも、原材料の機能だけを売っているのではない。植物・儀式・美容・健康・希少性を組み合わせ、単なる飲料ではなく、飲むこと自体を特別な体験として提供しているのである。
こうした付加価値の生み出し方は、水市場に限らない。機能や品質による差別化が難しい商品ほど、ブランドの世界観や提供する場所、購入時の体験などが、商品の価値を高める重要な要素となる。
香りのブランドが味覚へ進出
フランスのフレグランスブランドDiptyqueも、水をブランドの世界観を伝える手段として活用している。ロンドンのニューボンド・ストリート107番地にある「Maison Diptyque London」では、期間限定の「Water Counter」を展開した。

セルフケア製品の世界観を、花や植物を使った水とミルクベースの飲料で表現した
(画像:Diptyque)
提供されたのは、セルフケア製品「Les Rituels de Soin」の朝と夜のスキンケア習慣から着想を得た、花や植物を使った水とミルクベースの飲料である。レシピは、食をテーマに活動する2人組のクリエーター The Social Foodが、店舗のために開発した。170ポンド以上購入した顧客には、200ミリリットルのドリンクを無料で提供する。
ここで提供される飲料は、販売を目的とした商品ではなく、ブランドの世界観を顧客に伝える役割を担っている。香りやスキンケアに加えて、味覚を通じた体験を提供することで、ブランドへの理解や愛着を深める狙いがある。
こうした五感に訴える取り組みは、顧客体験の向上を目指すほかの企業にとっても参考になるだろう。
日本が輸出すべきは、ボトルではなく「水の文化」
この潮流は、日本にも大きな可能性をもたらす。全国665地点を調べた2021年の学術調査では、日本の水道水の平均硬度は48.9ミリグラム/リットル、中央値は46.0ミリグラム/リットルだった。全体として軟水だが、千葉県は平均83.4ミリグラム/リットル、東京都は65.8ミリグラム/リットルなど地域によって違いがある。
しかし、日本の強みは軟水そのものだけではない。軟水は、昆布やかつお節からうま味を抽出する出汁、茶の香味、米を原料とする日本酒、味噌や醤油などの発酵文化などと結びついてきた。さらに、温泉や湧水、禊、庭園、旅館でのもてなし、陶磁器やガラスの器にも、水との関係が組み込まれている。

日本の水の価値は、茶や器、土地の景観、もてなしと切り離せない
(画像:日本政府観光局〈JNTO〉)
ここで単純に地域の水をボトルに詰め、海外市場へ輸出するだけでは不十分である。水は重量があり、単価に対する輸送コストが高い。容器と長距離輸送による環境負荷も避けられない。
EUでは2022年の包装廃棄物が1人当たり186.5キログラムに達し、2025年に発効された「包装・包装廃棄物規則」によって、再利用や廃棄物削減への要請が強まっている。
だからこそ、日本が考えるべきなのは、水そのものの大量輸出ではなく、水を起点にした文化体験の輸出である。
海外のレストランで日本各地の水と日本酒・茶・出汁を比較するペアリングコースをつくる。茶人・料理人・杜氏・器の作家・水源を守る地域が連携し、共同で物語を設計する。
海外では現地の水を使い、日本ならではのお茶の淹れ方やもてなしの文化を伝える。訪日観光では、水源や酒蔵、茶畑、温泉、旅館などを巡る旅行プランを提供する。こうした取り組みにより、水そのものの輸送を抑えながら、日本の伝統文化や技術、工芸品、観光などを通じた収益機会の創出が期待できる。
ありふれた資源に「選ぶ理由」をつくる
高級水市場の広がりは、身近な商品でも新たな付加価値を生み出せることを示している。産地や成分による違いを明確にし、専門家による解説や料理とのペアリングなどの体験を提供することで、身近な商品にも高級品としての価値を生み出すことができる。
ただし、水は生存に不可欠な公共財でもある。過剰な健康効果をうたったり、価格だけで権威を演出したりすれば、反発を招く可能性がある。無料の水も選べるようにしたLa PopoteやThe Inn at Little Washingtonの設計は、公共財へのアクセスを保障しながら体験に対価を求める一つの答えだろう。
これからのラグジュアリーの価値は、その価格だけではなく、背景を知ること、味わうこと、土地の文化に触れることに宿る。
日本の水文化を世界へ広めるために重要なのは、高級感のあるボトルで販売することではない。日本の自然や食、工芸、もてなしの文化を組み合わせ、水の産地や特徴、その土地ならではの魅力を伝えるブランドをつくることである。
文:岡徳之(Livit)