AIはついに“手”を持ち始めた──「Physical AI」で日本企業が優位に立てる可能性
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https://www.rlwrld.ai/en
生成AIの進化によって、AIは文章を書き、画像を生成し、会話を行う存在になった。だが2026年、世界のAI競争は新たな段階へ入りつつある。次の主戦場は「知能」だけではない。AIが現実世界で身体を動かし、人間の技能を学習し始めているのである。
韓国では現在、高級ホテルの従業員が頭部や胸、さらには手にカメラを装着し、ナプキンを折る、グラスを磨く、テーブルを整えるといった日常業務を記録している。その目的は監視ではない。ヒューマノイドロボットに「人間らしい手の動き」を学習させるためである。
これは単なるロボット導入のニュースではない。生成AIが人類の「知識」を学習したのだとすれば、現実世界で身体を動かし、人間の技能を学習する「Physical AI」は、人類の「身体知」を学習し始めたのである。
韓国ホテルで始まった「身体データ」の収集
この実証を進めているのは、韓国AIスタートアップ企業のRLWRLDだ。RLWRLDはソウルの「ロッテホテル」内に実験環境を構築し、ホテルスタッフの細かな動作データを収集している。
記録されるのは単なる映像ではない。指の位置、関節角度、力のかけ方、手首の回転など、人間の微細な動きが数値化される。
RLWRLDが開発中のロボットは5本指の金属製ハンドを備えている。これは工場の産業用ロボットで一般的に使われる2本指や3本指の「グリッパー(ロボットハンド)」とは異なる。ホテルのナプキン折りやグラス磨きのような作業では、単純な把持だけでなく、柔らかい布を扱う繊細さや、見栄えを整える精度が必要になるためだ。
RLWRLDの戦略担当Hyemin Cho(チョ・ヘミン)氏は、「ホテル品質に求められるシャープな折り目は、通常のグリッパーには再現できない」と説明している。
現時点では、ロボットの性能はまだ限定的である。ホテル客室の清掃では、人間なら約40分で終える作業に対し、ロボットは数時間を要するという。だがRLWRLDは、AIソフトウェアとロボットのハードウェアの進化速度は加速しているとしており、2028年までに産業用途での実装を目指している。
コンビニと物流が「AI学習工場」になり始めている
特に興味深いのは、RLWRLDが学習対象をホテル業務だけに限定していない点である。同社は韓国CJグループの物流倉庫、日本のローソン店舗でも人間の作業データの収集を進めている。
ここで重要なのは、ロボットを導入すること自体ではない。まず人間の作業を徹底的にデータ化し、その後にAIへ移植するというアプローチである。
物流倉庫では、荷物の形状や重心を瞬時に判断し、崩れないよう積み替え、周囲の作業者とぶつからないよう動線を調整する必要がある。段ボールの硬さや滑りやすさまで、人間は無意識に判断している。
Amazon傘下で物流ロボットを開発するAmazon Roboticsも、倉庫自動化を進めてきたが、不定形商品のピッキングや柔軟物の扱いは依然として難題である。だからこそRLWRLDは、熟練作業者の身体動作そのものを記録しているのである。
コンビニ業務も同様だ。人間が行う商品陳列は一見単純作業に見えるものの、高度な判断が含まれている。商品の向き、棚の奥行き、欠品状況、来店客の動線を同時に確認しながら身体を動かしているからだ。つまりコンビニ業務は、「認識」「判断」「動作」が同時並行で進む複合タスクなのである。
RLWRLDがローソンの店舗で人間の作業を記録しているのも、こうした理由からだ。日本のコンビニでは、限られた空間で商品補充や接客、会計、配送対応などを同時にこなさなければならない。
世界的に見ても、状況に応じて複数の業務を並行してこなす能力が求められる現場といえる。こうした複雑な業務環境だからこそ、日本のコンビニで得られる作業データは、AIの学習素材として高い価値を持つ。
「知識データ」の次は「技能データ」の時代
この動きの本質は、AIの学習対象が変わり始めた点にある。生成AIの競争では、インターネット上のテキストや画像データを大量に持つ企業が優位に立った。OpenAI、Google、Metaなどがその典型である。
一方、Physical AIで重要になるのは、現場に存在する「人間の動作データ」である。ホテル業界なら接客所作やベッドメイク、物流なら荷物の積み替え、製造業なら熟練工の組立技術、介護なら身体介助の動きが対象になる。
つまり今後は、人間の作業データを蓄積できる企業が、AI競争で優位に立つ可能性がある。
DX時代には「顧客データ」が資産だった。だがPhysical AI時代には、「熟練者の身体技能データ」が経営資産へ変わる可能性があるのだ。
ヒューマノイド競争は米中だけではない
ヒューマノイド競争というと、Teslaの「Optimus」やFigure AI、中国Unitree Roboticsなどが注目されがちである。しかし韓国も国家レベルでPhysical AIに投資を始めている。
韓国政府は2026年、熟練技術者の「本能的ノウハウ」を記録し、AIロボット学習に活用するため、3,300万ドル規模の国家プロジェクトを発表した。
韓国の自動車企業Hyundai Motorは、アメリカのロボティクス企業Boston Dynamicsのヒューマノイドを2028年から工場へ導入する予定であり、Samsung Electronicsも2030年までに全工場を「AI駆動型工場」へ転換すると表明している。
ここで韓国が狙っているのは、単なるロボット製造ではない。半導体、製造業、産業データという自国の強みを活かし、Physical AI時代のプラットフォームを握ろうとしているのである。
「AIに奪われる仕事」の定義が変わる
これまでAIを巡っては、「影響を受けるのは主にホワイトカラーで、現場の仕事は当面残る」との見方が広く語られてきた。だがPhysical AIは、この前提を変え始めている。ホテル、物流、工場、介護、飲食といった現場作業も、今後は自動化対象になる。
もちろん、人間が完全に不要になるわけではない。RLWRLD関係者も、「ヒューマノイドが代替できるのは業務の30〜40%程度であり、人間同士の接触を伴う仕事の代替は難しい」と説明している。
重要なのは、「単純作業かどうか」ではなく、「環境適応力」や「対人判断」が必要かどうかである。今後の人材価値は、定型業務処理能力よりも、「例外対応能力」や「感情理解能力」へ移っていく可能性が高い。
日本企業にとっての最大のチャンス
このテーマは、日本企業にとって極めて重要である。なぜなら、日本は世界でも、人の細かな作業品質が経済価値を生み出してきた国だからだ。
旅館の接客、コンビニの商品陳列、介護現場の身体介助、外食チェーンの盛り付け、工場の精密組立。日本企業は長年、技能や所作によって競争力を築いてきた。
しかも日本は、少子高齢化による深刻な人手不足に直面している。つまり日本では、Physical AIは単なる効率化ではない。「現場を維持するためのインフラ」になり得る。
興味深いのは、日本がソフトウェア競争ではアメリカ勢に後れを取った一方、Physical AIでは優位性を持てる可能性がある点だ。理由は単純である。日本には世界有数の「現場データ」が蓄積されているからだ。
どれほど優れたAIモデルがあっても、学習する身体データがなければPhysical AIは進化できない。逆に言えば、日本企業が持つ「暗黙知」は、これからAI時代の重要資産になる可能性がある。
生成AIの次の競争は、デジタル空間ではなく現場で起きる。そしてその競争は、すでに始まっている。
文:岡 徳之(Livit)