加齢社会で問い直される“履く”という動作。Kizikが示すハンズフリーシューズの可能性
INDEX

日本では高齢化が進み、身体機能の変化と向き合う人が増えている。厚生労働省の患者調査によれば、パーキンソン病の患者数は2017年に約29万人と推計され、過去数十年で増加傾向にある。
パーキンソン病とは、手足の震えや動作緩慢、筋肉のこわばり、バランスの取りづらさなどを引き起こす神経変性疾患だ。しかし、特定の疾患を患っていなくとも、「前屈みになる」「指先を使う」「片足で体を支える」といった動作は、加齢や運動不足によって負担となり得る。
たとえば、靴を履くためにかがむ動作。立ち上がるときに体を支える一瞬。こうした何気ない動作が、日常生活を送るうえで小さなハードルになるケースは少なくない。医療・介護分野でも、「靴の着脱」や「立ち座り」といった生活動作がストレス要因となる場面があるとされる。わずかな動作の積み重ねが、外出機会や生活の自立にも影響を及ぼしかねない。
こうした社会変化を背景に、日常動作を支えるプロダクトの役割が改めて注目されている。その1つのアプローチが、「手を使わずに履けるフットウェア」という発想だ。
今回は、ハンズフリーシューズブランド「Kizik」を率いるギャレス・ホスフォード氏への取材を通じ、フットウェアはこれからどのような社会的価値を担っていくのかを探る。
動き続けることは、社会とつながり続けること

神経変性疾患の診断数の増加、そして加齢に伴う運動機能の低下。ホスフォード氏は、こうした状況を「私たち全員にとって極めて重要な問題」と捉えている。
「運動能力の低下は、単に身体的な制約を意味するものではありません。人が“動く”ということは、愛する人に会いに行ったり何かしらの活動に参加したりといった、社会とのつながりを保つことなのです」
症状そのもの以上に、日常の行動範囲が狭まることへの不安や心理的負担が、生活の質に影響する可能性もある。だからこそホスフォード氏は、「人が動き続けられる環境をつくること」にプロダクトの意義を見出しているという。
「私たちのイノベーションは、人々が探索し、社会とつながり続けるためのツールでありたいと考えています」
それは、特定の疾患の患者を対象にした“補助具”という発想ではない。最高のデザインと素材を追求しながら、誰にとっても自然に機能する設計を目指す。その延長線上に、社会課題へのアプローチがあるという。
「動作のハードル」を再設計する
運動機能の低下という課題に対し、Kizikがまず問い直したのは「誰のためのプロダクトをつくるのか」という前提だった。
「私たちは“特定のコミュニティ向けのプロダクト”をつくろうと考えたわけではありません。プロダクトを通して快適性・スタイル・パフォーマンスといった日常的な課題を解決することに焦点を当てているのです」
加齢や特定の疾患による動作の負担は確かに存在する。しかし同時に、「かがむ」「手を使って靴を整える」といった煩雑な動作は、忙しい現代人であれば誰もが経験する。そこでKizikは、“支援のための特別な靴”ではなく、“誰にとっても使いやすい靴”を目指した。
Kizikの創業者であるマイク・プラット氏の着想から始まったハンズフリー構造は、改良を重ねながら発展し、現在では200件以上の特許取得・出願へと広がっている。
この構造が、ライフスタイル・アウトドア・スポーツなど多様なカテゴリーに応用されてきた背景には、「日常のあらゆる場面で機能する設計」という思想がある。
さらに近年は、パーキンソン病財団との連携を通じ、プロダクトが患者や介護者、地域社会にどのような影響を与えているのかを検証する取り組みも進めているという。
ホスフォード氏は「患者の方や医療チームと協働しながら、プロダクトが生活の中でどのように役立っているのかを理解していきたいと考えています」と語る。
単にプロダクトを提供するのではなく、医療現場との対話を重ねながら設計を磨いていく。その姿勢が、Kizikの取り組みの特徴だ。
“誰にとっても使いやすい靴”は今後どこへ向かうのか

その設計思想を体験できる場として、Kizikは2025年2月末から2026年4月まで各地でポップアップストアを展開している。
例えば、東京・銀座の「GINZA SIX」にあるポップアップストアがその1つだ。ここでは、多様な世代やライフスタイルの人々が行き交う街で「手を使わずに履ける」を実際に体験することができるという。
同社にとってこの企画は、単なる販売機会ではない。“履く”という動作を再設計するという思想が、年齢や身体状況を問わず、どれほど直感的に受け入れられるのかを検証する場でもあるのだ。
銀座を訪れる人々にとって、「手を使わずに履ける靴」は単に利便性を提供するだけのプロダクトではない。移動のテンポを崩さず、装いも損なわない設計は、都市生活のリズムに自然に溶け込むのだ。その合理性は、世代を超えてKizikのフットウェアが支持される理由の1つだという。
ハンズフリーという発想は、靴の履きやすさの追求にとどまらない可能性を秘めている。高齢化が進む社会において、「無理なく使える設計」は今後あらゆるプロダクトに求められる価値になり得るだろう。
現在、Kizikは、パーキンソン病財団との連携や地域イベントへの参画を通じ、プロダクトを超えた取り組みを広げている。今後は医療・ケアの現場との対話をさらに深めながら、プロダクト選択を支援する仕組みづくりも視野に入れているという。
ホスフォード氏は、Kizikが消費者の生活に自然に溶け込む存在でありたいと語る。
エフォートレスな機能性とスタイルの両立。その思想が広がれば、フットウェアのみならず、ライフスタイルプロダクト全体の設計基準にも影響を与える可能性がある。
日常動作のハードルを下げることは、日常の選択肢を増やすことでもある。フットウェアから始まった「履く」という動作の再設計は、これからのものづくりの在り方に静かな問いを投げかけている。