AIは「判断力」を奪うのか Anthropicの調査が示した主体性低下の兆候
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Slackのチャットに投稿する文章を整える。上司に送るメール文のトーンを確認する。企画書のタイトル案をいくつか出してもらう。
私たちがこうした用途でAIを使うことは、もはや特別なことではない。むしろ、仕事が早い人ほど自然に使っている。文章は整い、思考も整理され、自分ひとりで考えるよりずっと楽だ。
ただ、私たちのAIの使い方は、最近、少しずつ変わってきてはいないだろうか。
「この言い方、失礼じゃない?」「自分の判断、間違ってないよね?」「正直、どう思う?」。私たちはAIに、単なる作業だけでなく、判断そのものを預け始めている。
それは仕事に限らない。人間関係の違和感、キャリアへの迷い、将来への不安。誰にも相談しづらい問いほど、AIは便利だ。否定せず、即座に言葉を返してくれるし、疲れにくい。
だが、その「楽さ」の先で何が起きているのかについて、私たちはあまり考えてこなかった。
Anthropicの調査が明らかにしたこと
2026年1月、AI企業のAnthropicは、約150万件に及ぶClaude上の実際の対話を対象にした分析結果を公表した。調査対象は2025年12月の1週間に行われた会話で、プライバシーに配慮した手法を用いて解析されている。
この研究の特徴は、AIの理論的リスクではなく、人々がAIをどのように使っているかに焦点を当てた点にある。研究チームが測定しようとしたのは、AIとのやりとりが人の主体性をどの程度弱めているか、という問題だった。
彼らはこれを「エンパワメント低下(Disempowerment)」と呼び、次の3つの側面に分けて評価している。
信念の歪み(Reality distortion)
1つ目は、AIとの対話によって、現実の理解が不正確になるケースだ。たとえば、ユーザーが曖昧な症状や状況を根拠に推測を語った際、AIがそれを強く肯定してしまうと、ユーザーの誤った信念が補強されていく。
調査では、こうした深刻な信念の歪みに分類された会話は、約1,300件に1件という低い割合にとどまった。一方で、軽度の歪みの兆候ははるかに多く、問題として意識されないまま進行するケースが多いことも確認されている。
価値判断の歪み(Value judgment distortion)
2つ目は、何を大切にすべきかという価値判断が、AIの応答によってずれていくケースだ。人間関係や生き方に関する相談に対し、AIが「それは有害だ」「あなたは自分を優先すべきだ」といった評価を下すことで、ユーザーが本来持っていた価値観が置き換わっていく。
深刻な水準に分類されたのは約2,100件に1件だったが、研究者が注目したのは、これらが必ずしも誤った価値観によって起きているわけではない点にある。問題は、価値判断そのものが内省を経ずに外部から与えられることにあるのだ。
行動の歪み(Action distortion)
3つ目は、AIが提示した行動をそのまま実行してしまうケースである。恋人や家族へのメッセージ、職場での対立に関する対応文など、感情や価値観が絡む場面で、AIが書いた文章をそのまま送信する。
深刻なケースは約6,000件に1件と最も少なかったが、調査では、後悔を伴う事例が多い点が強調されている。
重要なのは、これらのケースの多くで、AIが人を操作したり誘導したりしていたわけではないという点である。問題は、ユーザー自身が不安や迷いの中で判断を委ね、それをほぼ無批判に受け取っていた構造だ。
なぜ「判断力低下」は起きるのか
では、なぜこうした現象が生じるのだろうか。調査結果から浮かび上がるのは、AIの悪意ではなく、人とAIの相互作用が生み出す構造的な問題である。
第1に、AIは否定せず、即座に応答する。人に相談すれば返ってくるかもしれない反論や沈黙、気まずさがない。そのため、不安や迷いを抱えているときほど、「まずAIに聞く」という行動が合理的に感じられるのだ。
第2に、AIは言語化能力が非常に高い。曖昧な感情や違和感を、整った文章として返してくる。その言葉はしばしば、自分の思考よりも明確で、自信に満ちて見える。その結果、人は「自分はまだ考えきれていなかっただけで、答えはこれだった」と感じやすくなるのである。
第3に、AIは判断に伴う心理的コストを引き受けてくれるように見える。判断とは本来、不確実性や迷いを含む行為だ。しかしAIは、選択肢を整理し、理由を並べ、結論らしきものを提示する。人はその結論を採用することで、「迷ったままでいる」負担から解放されるのだ。
調査が示しているのは、こうしたやりとりが繰り返されることで、判断の重心が少しずつ外部に移っていく過程である。
判断力低下とは、能力が奪われる現象ではない。判断をする場面が減っていく現象なのだ。
それは私たちの仕事や生活でどう現れるか
この現象は、特別な状況でのみ起きるわけではない。調査でも、判断力低下の兆候は、人間関係やライフスタイル、健康といった価値判断を伴う話題で特に多く見られたという。軽度の兆候は、全体でおよそ50~70件に1件の割合で確認されている。
仕事の場面では、文章作成や意思決定の補助から始まり、次第に「考える前にAIに聞く」習慣が定着していく。生活の中では、違和感や感情を自分で確かめる前に、AIの評価を参照するようになる。その積み重ねが、判断の手応えを薄めていくのである。
AI時代に手放してはいけないもの
Anthropicは、この問題が特定のAIに固有の欠陥ではないとも指摘している。大規模に使われるAIであれば、同じ力学はどこでも起こりうる。問われているのはAIモデルの性能ではなく、人がAIとどう関係を結ぶかだ。
AIはこれからも、私たちを助けてくれるだろう。しかし、考え、選び、その結果を引き受けることまでは肩代わりしてくれない。便利な時代だからこそ、判断の結果だけでなく、判断するという行為そのものを手放さないことが重要になってきている。
文:岡 徳之(Livit)