犬や猫の”気持ち”がわかる時代へ AIが変えるペット市場の最前線とは
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AIがペットの声を理解し始めた──とはいっても、犬や猫が人間の言葉で思考を語るようになったわけでも、動物と会話できる時代が到来したわけでもない。
だが、動物の鳴き声や行動、表情といった非言語情報をAIが解析し、感情や状態を推定する技術が、研究段階を超えて実装フェーズに入り始めたことは確かである。2025年は、人間の想像や経験則に頼ってきた動物理解が、データを前提に再構築され始めた1年だった。
重要なのは、AIが動物の気持ちを翻訳できるようになったかどうかではない。動物の反応が、商品やサービスの設計、さらには経済活動における意思決定に使える情報として扱われ始めた点にある。
この変化は、ペットテックの進化にとどまらず、顧客とは誰かというコマースの前提そのものを揺さぶり始めている。こうした動きを捉える概念が、「Inter-Species Commerce(種を超えたコマース)」である。
動物の行動と感情は「データ」になった
2025年の変化を整理すると、動物の感情や状態が「分からないもの」から「推定可能なもの」へと位置づけられ始めた点に行き着く。AIやセンサー、コンピュータビジョンの進化により、鳴き声・しぐさ・姿勢・表情といった非言語情報が解析対象として扱われるようになった。
生成AIや画像認識技術を応用し、犬の表情や行動から感情状態を分類する研究が相次いで報告されている。完璧な理解には至っていないものの、喜び・不安・ストレスといった状態を一定の精度で推定できる段階に入っている。
一方で、研究者や倫理学者の間では慎重な見方も示されている。動物の行動は文脈依存性が高く、AIの推定結果はあくまで確率的なものである。それでも、2025年に起きた変化は明確であり、動物の反応が感覚や経験則ではなく、判断に用いられるデータとして扱われ始めた。
「種を超えたコマース」とは何か?
種を超えたコマースとは、ペット市場の拡大を指す言葉ではない。その本質は、顧客・使用者・影響を受ける主体が一致しない状況をどう設計するかという構造的な問いにある。
ペットフードを選ぶのは人間だが、食べるのは動物である。支払うのは人間だが、快・不快を感じるのは動物である。これまでは、そのズレを人間の想像力で埋めてきた。しかし、動物の行動データや生体データが取得・分析できるようになったことで、その前提が揺らぎ始めた。
種を超えたコマースとは、人間の好みや都合ではなく、動物の状態や反応を起点に最適化を行う経済活動である。それは倫理的理想論ではなく、誤った最適化を避け、関係性の持続性を高めるための実務的な設計思想だ。
海外事例に見る実装の現在地
海外ではこの考え方を体現する事例が具体化し始めており、以下に海外企業の取り組みを例示する。
中国のBaiduは、動物の鳴き声や行動、生体データを統合的に解析し、人間の言語に変換するAIシステムの特許を公開した。現時点で翻訳が実現しているわけではないが、動物の行動の意味を機械が理解することを企業戦略として掲げた点が重要である。

また、「CES 2025」でPETKITが示したのは、AIを用いて行動・健康・環境データを統合し、ペットの「状態」を把握するエコシステムだ。このサービスでは、飼い主が数値を解釈するのではなく、AIがペットの変化を整理し、判断材料として提示する。
Fiの犬用スマート首輪は、日常データそのものよりも、過去とのズレや急激な変化を検知する設計だ。異変に気づく主体が、人間からシステムへと一部移行しつつある。

(https://shop.tryfi.com/products/smart-collar-v3b)
WhiskerのAI搭載猫用トイレは、複数の猫を個体別に識別し、それぞれの行動パターンを学習する。このサービスでは、動物はまとめて管理される存在ではなく、個体として理解される主体になっている。

(https://www.whisker.com/litter-robot-5-pro)
以上の事例に共通するのは、動物が言葉を話すことを前提にしていない点だ。AIは翻訳者ではなく、反応の集積を判断材料へ変換する装置として機能している。
企業は何を見直すべきか?
企業が問われているのは、「技術を導入するかどうか」ではない。「誰を顧客として設計しているのか」である。
商品やサービスの評価指標に、動物の行動変化は含まれているか。人間の満足度と動物の反応が乖離した場合、どちらを優先する設計になっているか。短期的な売上と、動物個体の長期的な状態をどう両立するか。
種を超えたコマースとは、顧客の概念を再定義し、設計の前提を見直すための視点である。まずは自社の事業において、誰のデータを参照しているのか、誰の反応を成功指標としているのかを棚卸しする視点が求められている。
文:岡 徳之(Livit)
