人材定着率92%──人材派遣の常識を覆す、三陽工業の”人が辞めずに育つ”仕組み
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経済や産業の基盤を支える製造業。その現場では、“人材不足”と“承継者不足”という深刻な課題が広がり、働き方や組織づくりの在り方が問われ続けている。
そうした中、兵庫県明石市に本社を構える三陽工業株式会社は、「製造業」と「製造派遣事業」という二つの軸を掛け合わせ、人材の課題を解決するための仕組みづくりに挑んできた。
特に同社が2016年に立ち上げた「生産推進グループ」は、従来の人材派遣とは異なり、派遣する全員を三陽工業の正社員として雇用する今までにない取り組み。採用から育成、そしてキャリアアップまでを一つの流れとして整える独自の仕組みで、人材定着率は92%にも及ぶ。
この仕組みを通し、製造業の現場をどのように変えようとしているのか。三陽工業の代表である井上 直之氏に話を聞くと、どの業界にも当てはまる、従業員と会社の関係性の本質が見えてきた。
- <企業概要>
- 三陽工業株式会社
- 1980年3月24日に設立。兵庫県明石市大久保町江井島に本社を構え、製造業と製造派遣事業の二軸で事業を展開している。特に製造派遣事業においては、2016年にすべての社員を正社員として雇用する「生産推進グループ」を立ち上げ、高い人材定着率(92%)を実現するなど、業界の構造的な課題解決に取り組む。製造業では、連続的なM&Aを通じ、日本の中小企業が抱える事業承継や技能承継など、社会問題の解決に貢献している。
- 企業公式サイト: https://sanyou-ind.co.jp
「人をモノとして扱う」状況で抱いた強烈な違和感
三陽工業が独自のビジネスモデルを立ち上げる以前、日本の製造業の現場、特に製造派遣業には、構造的な問題が深く根付いていた。井上氏は、この問題意識の原点を、時代をさかのぼって説明する。
「端的に言いますと、人をモノとして扱うような運用が続いていました。人件費の安い海外へ工場が移る中、国内の製造メーカーは少しでもコストを下げたいという意向があったのです。人が集まる時代でしたから、人を辞めさせないように定着させるよりも、辞めたらまた追加で人員を投入すればいい、という考え方になっていたんです。
また、派遣会社は立場が弱く、派遣先の意向に従う中、時給単価もどんどん下がり、その代償はすべて働く人に押し付けられていました。働く側も『いくらでも代わりがいる』状況でしたので、立場が弱い。その結果、入社日に連絡もなく来ない人が一定数発生するなど、派遣先にも大きな負荷がかかり、『どうせ派遣だからまたすぐに辞めるだろう』という不信感が募る、まさに負のスパイラルが生まれていたのです」

このコスト至上主義に対し、「人を大切にすべきだ」という理想を抱いた業界経験者は多かったというが、一方で「業界の構造上、仕方ない」という諦めも生んでいた。
井上氏自身、三陽工業に入社後、製造業特有のものづくりにおもしろさを感じつつも、製造派遣事業に対しては「お金を得るための手段」と割り切り、違和感を抱えながら仕事をしてきたという。
転機となったのは、2014年頃からの人材獲得競争の激化だ。長年抱いていた業界への違和感と、世の中のニーズが合致した瞬間だったと話す。
「現場で仕事をしていた私自身の肌感覚として、2014年頃から人が採用しにくくなっているのを強く感じました。さらに、お客様の派遣単価はそれまで数十年ずっと下がり続けていたのですが、『もう底を打ったんじゃないか』と感じたんです」
そこで立ち上げたのが、「生産推進グループ」だ。
「当時すでに県外にも展開していましたから、大手派遣会社とバッティングする機会も増えていました。一方で、売上高が8億円しかなかった小規模な我々が、売上高が5〜600億円あるような企業に勝てるはずがない。そこで、大手派遣会社と同じ土俵で戦うのではなく、新しい形を作ろうと決断したことが、業界の常識を覆す生産推進グループの誕生につながりました」
派遣の常識を覆す、全員”正社員化”という決断
生産推進グループは、「人材供給」ではなく「人材育成」というコンセプトを掲げ、「採用」「育成」「定着」を三本柱とする独自の仕組みを構築した。この根幹にあるのは、派遣という働き方であっても、働く人の「安心」と「キャリア」を会社が保証するという強いコミットメントだ。
なかでも、生産推進グループがほかの派遣会社と大きく異なる点は、働く人すべてを三陽工業の正社員として雇用する点にある。これは派遣というスキームの枠を超え、通常の事業会社と同じ水準の雇用環境を提供するという、井上氏の強い思いをかたちにしたものだ。
「一般的な派遣会社では、派遣先の単価が上がったときにしか昇給の機会がありません。しかし、当社の生産推進グループの社員は、派遣単価に関わらず、毎年昇給し、賞与も支給されます。また、一般的な無期雇用派遣では、現場が変わることで月給が下がるケースもありますが、我々の場合はそれがない。『通常の事業会社の正社員とまったく同じ待遇にする』という思いで、この仕組みを立ち上げたのです」
この正社員化は、製造派遣で働く人が抱える「将来の不安」という最大のリスクを会社側が引き受けるという、業界の慣習を覆す覚悟の表れだ。
「製造派遣において、短期契約で将来がどうなるか分からないという最大のリスクを抱えていたのは、ほかならぬ働く人自身です。そのリスクを派遣元と派遣先が負わず、利益だけを享受しているのはおかしいと考えました。『我々自身が変わらなければ、働く人も、そしてお客様も変わらない』。そこで、まず我々がリスクを取ることから始めようと、正社員化を決断したのです。2016年当時は派遣単価が底値の状況だったため、昇給を続ければ『赤字を抱える可能性がある』というリスクはありましたが、現場で感じた肌感覚が間違いないと信じて実行に踏み切りました」
三陽工業では、人事課とは異なる専門のチームが採用を担当している。このチームは、営業部門と連携し、現場の状況を詳細に把握した上で、単なるスキルではなく、人柄や価値観を含めたマッチングを重視している。
「採用はマーケティングであり、経営者自身が取り組むべき仕事だと考えています。採用に対する考え方が専門的かつ複雑になってきたため、専門チームを置くことが必然だと考えました。また、入社前の内定者面談を繰り返し行い、ポジティブな面だけでなくネガティブな面も含めてすべてを理解し、不安を解消した上で入社してもらいます。これが、高い入社率と、その後の定着につながっていると思います」
事実、従来の製造派遣業で常態化していた入社時の無断欠勤・無断退職を劇的に減らすことに成功。同社では、入社日にはほぼ100%の社員が出社する。
育成面では社員自身がキャリアを描けるよう、年に一度、目標設定制度を導入。これは単なる評価のためではなく、自分の未来を考えるきっかけとして機能している。
「目標設定制度では、社員の等級に応じて目標の個数が決まり、その内容を自分自身で設定し、達成を目指します。定量的な評価軸もありますが、他人と比較するのではなく、比べる相手は過去の自分自身だという意識を大切にしています」
技術的な育成に加え、「心の軸」の育成も重視している。
「社員の行動指針を記した50項目から成る『三陽ルールブック』を全員に配布し、正しい思考と行動のベースを共有することで、心の軸の育成を行っています。例えば、現場では挨拶をしない人もいるかもしれませんが、当社の社員には、『挨拶を返してくれない人を見つけたら、この人から挨拶を引き出してやろう』というくらいの強い思いを持って、挨拶をし続けようと伝えています。こうした育成が、現場での信頼関係を築くための土台になるんです」

さらに、人材育成や社員定着の鍵となるのが「主任制度」だ。同一の配属先に複数の社員がいる場合、そのまとめ役として「主任」が置かれ、業務調整だけでなく、メンバーの相談役としても機能する。
「主任は、現場で孤立しがちな社員の不安を軽減し、『何か困ったときに頼れる仲間がいる』という安心感を生み出す存在です。一般的な派遣会社は外部からのケアが中心となりますが、我々は現場内に、仲間を増やすというミッションを持った主任を配置することで、孤立を解消しています」
主任は、新しい社員の入社時に、派遣先の正門前で待機し、一緒に入場するといった現場でのケアも行う。また、主任を目指すことがキャリアアップの身近な目標となり、給与水準も上がるため、社員のモチベーションアップと定着にもつながっている。
派遣社員から”子会社社長”へ。真面目に働く人が、正しく報われる世界をつくる
主任制度のような仕組みは、社員のキャリアに具体的な「ジャンプアップ」の道筋を示している。生産推進グループの中では、主任のさらに上を目指す者も出てきており、彼らは自身の後任を育成する役割も担うことで、「自分の代わりをつくる」という形で人材育成の循環を生んでいる。
「生産推進グループ出身の社員の中には、M&Aでグループに加わった子会社で、工場長や事業所長といった重要なポジションに就き、キャリアアップしている例もあります。これらは、技能承継者不足という社会課題の解決と、社員のキャリアの選択肢を広げるという二つの挑戦を同時に実現しているのです。生産推進グループの出身で子会社の社長になる、といったことも、近い将来に実現すると思っています」
このように生産推進グループでは、「派遣社員はキャリアを積めない」という長年の常識を覆し、子会社の社長候補までを輩出できるキャリアパスが構築されているのである。
また三陽工業は、製造派遣事業での人材育成と並行し、製造業が抱えるもう一つの社会課題である「技能承継者不足」にM&Aを通じて挑んでいる。
M&Aで買収した中小企業に対し、平均年齢32歳の生産推進グループの社員を「技能承継者」として送り込んでいるのだ。
「この技能承継者不足を解決するのも、生産推進グループの主任の一つのミッションです。昨年M&Aを行った会社の中には、社長が72歳、現場の平均年齢がちょうど60歳という企業もありました。そこに、当社から平均年齢30代前半の社員が10名以上、出向しています」

このM&Aと生産推進グループの連携は、相乗効果を生み、日本が世界に誇る製造業の技能を次世代へとつないでいる。
そして井上氏が目指すのは、製造派遣業の枠を超え、製造業全体へとこの仕組みを広げていくことだ。
「製造派遣の現場で、人がモノ扱いされ、未来が見えないから辞めていくという負のスパイラルを断ち切りたいと考えています。我々が作りたいのは、『入社時の月給20万円から、10年後には年収が800万円、あるいは1,000万円になっている』という世界です。真面目に、そして一生懸命に働く人が、正しく報われる世界。これこそが、『日本の製造現場を元気にする』という我々のビジョンの根幹にあります」
このビジョンの実現に向け、同社は派遣単価の上昇にも積極的に取り組んでいる。人材の質を上げることで、一見コストは高くなるが、定着率の低さや採用コストによるロスを減らすことで、結果的にトータルコストが安くなることを顧客に理解してもらうアプローチを徹底している。
「見た目の単価は高くなるかもしれないが、さまざまなロスが減ってくるので、トータルコストとしてはこちらの方が安くなる、という話を常にお客様にしています。『どうせ派遣』という考えをみんなが持っている。この負のスパイラルを逆転して正のスパイラルにするには、まず我々がリスクを取らないといけないと考えています」
生産推進グループを立ち上げたときは、「きれいごとだ」「うまくいくはずがない」と周囲から反対する意見もあったと話す井上氏。しかし、リスクを取って「人を大切にする」という理念を「仕組み」に変えてきたことで、派遣先からは三陽工業の人材が評価されるようになり、働く側も賃金の上昇やキャリアアップによってモチベーション高く働ける、好循環が生まれてきた。
彼らの挑戦は、人材不足が深刻化する日本社会において、どの業界にも通じる「人が辞めない、“育つ”組織づくり」のヒントに溢れている。