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深刻化するオーバーツーリズム 各地で対策本格化
欧州の主要観光都市で、オーバーツーリズムに対する具体的な規制と管理が本格化している。その象徴的な事例が、欧州最大のクルーズ港であるバルセロナの大胆な方針転換だ。
バルセロナ港は2030年までに、クルーズターミナルを現在の7カ所から5カ所に削減し、同時処理能力を3万7,000人から3万1,000人に引き下げることを決定した。この決定の背景には、急激な観光客の増加がある。2025年1〜5月だけで、クルーズ船の寄港数は前年同期比21%増、乗客数は20%増の120万人を記録。この数年増加傾向にあったが、その中でもとりわけ急激な伸びとなった。

ハウメ・コルボニ市長は「歴史上初めて、クルーズ船の成長に制限を設ける」と宣言。単なる数の抑制ではなく、観光の質的転換を狙う。バルセロナを出発・到着地とする船を優先し、一日だけ立ち寄る観光客よりも、より長期滞在し地域経済に貢献する旅行者を重視する方針へと舵を切った。
環境対策も重要な要素となっている。EU規則により、2030年までに陸上電力供給設備の設置が義務付けられており、港湾の改修はこれに対応する側面も持つ。バルセロナ市は、この取り組みで、CO2排出量の削減と観光管理を同時に実現する狙いだ。
一方、パリも深刻な状況に直面している。2024年には約5,000万人の観光客が訪れ、前年比2%増を記録した。特にモンマルトル地区では、年間約1,100万人がサクレクール寺院を訪問しており、混雑状況はエッフェル塔を上回る。狭い石畳の通りは観光バスやトゥクトゥクで溢れ、住民の日常生活は完全に破壊されてしまった。

モンマルトル地元住民団体「Vivre à Montmartre」のアンヌ・ルノーディ氏は、29年間住み続けた地区の変貌を「まるでテーマパークのようだ」と嘆く。観光客は「3時間滞在してベレー帽やクレープを買い、遊園地のように立ち去る」と指摘する。肉屋は2〜3軒、チーズ店は2軒まで減少し、代わりにアイスクリームやタコスの店が増えているという。
モンマルトルが位置するパリ18区のエリック・ルジョワンドル区長は、住宅価格の高騰を最大の懸念事項として挙げる。モンマルトルの不動産価格は過去10年で19%上昇し、テラス広場近くの40平方メートルのアパートは約50万ユーロ(約8,700万円)に達した。
ただし、観光がもたらす経済効果は無視できない。フランスの観光産業は約2,200億ユーロ(約35兆円)を国家経済にもたらし、直接・間接合わせた雇用数は270万人に上る。さらには、今後10年間で年平均3%の成長が見込まれ、年間55万5,000人の新規雇用創出が期待されている。
5,000万人の観光客が殺到するパリの現実
オーバーツーリズムによる生活環境の悪化に対し、地元住民たちの不満は爆発し、大規模なデモに発展するケースも報告されている。
前出のパリ地元団体Vivre à Montmartreのベアトリス・ダンナー氏は、1979年から住み続ける地区の変貌を悲観する。「観光客は義務的なスポットを巡るだけ。特別でもない写真ブースがTikTokに載っただけで行列ができる」と嘆息。特に「愛の壁」前の混雑は「最も愚かな光景」と断じ、公園へのアクセスさえ遮断される状況だと語っている。

モンマルトル地区では、住民団体が具体的な提案を打ち出しており、今後は政治的な議論として発展することが見込まれる。たとえば、観光税の引き上げ、ツアーグループの人数制限、マイクロフォン付きガイドの禁止、カフェのテラス席による歩道占有の規制など、他都市の成功例を参考にした施策が打ち出されている。住民団体は、来年3月の市議会選挙に向けて白書を作成し、各候補者に訴える計画だ。
一方、ベネチアは世界初の入場料制度で新たな局面を迎えている。2024年の試験導入で240万ユーロ(約4億2,000万円)の予想外の収入を得て、2025年は適用日を54日に拡大。到着3日前以内の予約は料金が2倍の10ユーロとなる動的価格設定を導入した。
ベネチア市のシモーネ・ベントゥリーニ観光評議員は「魔法の杖はない」としながらも、「客観的なデータに基づいてオーバーツーリズムの現象を理解できる革新的なツール」と評価。「ベネチアに住む人々の権利と訪問したい人々の権利のバランスを取ることを目標にする」と語っている。
ギリシャでも対策が進む。アクロポリス遺跡では1日2万人の上限を設け、時間指定チケットによる「ビジターゾーン」システムを導入。現在約30カ所で実施されているこの制度を、全国100カ所以上の歴史的地区と博物館に拡大する計画が進行中だ。
アクロポリス博物館のニコラオス・スタンポリディス館長は「スタッフの適切な配置と柔軟な来館者フロー戦略」の重要性を強調。猛暑時には屋外の行列を避けて屋内に誘導し、地下の発掘展示室から見学を始めることで混雑を分散させているという。
パリ市当局も対応を強化した。民泊大手エアビーアンドビーの年間貸出上限を90日に短縮し、歩行者専用区域での映画撮影を制限。ジャン=フィリップ・ダビオー副市長は「パリの立場は明確だ。われわれはエアビーアンドビーに反対している」と明言している。
480兆円市場の可能性―再生型トラベルが変える観光の未来
オーバーツーリズムの処方箋の1つとして、観光により積極的に環境と社会を再生させる「再生型トラベル」への関心も高まりを見せている。
Red Sea Global、FII研究所などが発表した報告書が「再生型トラベル」の現状を浮き彫りにした。
同調査によると、世界の旅行者の43%が持続可能な宿泊施設により高い料金を支払う意向を示す一方で、真に再生的な価値を提供する選択肢は限定的であることが判明。また、投資家の58%が、再生型トラベルへの資金提供に必要な確信やデータの不足を指摘していることも明らかになった。3兆ドル(約480兆円)の市場機会があるにもかかわらず、ホスピタリティリーダーの半数が概念を理解しながら、実際に大規模展開しているのはわずか20%にとどまる。
それでも再生型トラベル関連の取り組みは着実に進行中だ。
インドのプネー地区では、25カ所の人気観光地で環境保護型の時間帯別予約システムが導入されている。森林局が提供するモバイルアプリで事前予約を行うシステムだが、各観光地の環境感度と安全閾値に応じて収容人数を動的に設定する仕組みとなっている。リアルタイム追跡により、安全閾値を超えた場合は一時的にアクセスを停止することができるという。5,000万ルピー(約8,300万円)の予算で、チケットカウンターや回転式改札口、ビジター情報センターなどの物理的インフラも整備される予定だ。
日本でも新たな動きが本格化しつつある。
沖縄に開業する自然体験型テーマパーク「ジャングリア沖縄」の入場券は、外国人向け8,800円、国内在住者6,930円という約30%の価格差が設定された。企画運営会社は「海外のテーマパークと比べて安い。グローバルで競争力のある価格」として理解を求めている。しかし、自治体運営の施設では公平性の観点から導入に慎重な姿勢も目立つ。姫路城では当初の「外国人限定値上げ」案が持ち上がったが、運用面の問題なども相まって、「市民と市民以外」の区分けに軌道修正された。
こうした二重価格議論では、予想以上の観光客減につながるのではとの懸念の声が聞かれるが、旅行業界関係者らは楽観的な見方を示す。
カナダの旅行メディアTravelWeekによると、イントレピッド・トラベルのケニー・オオニシ氏は「全体的な旅行価格への影響は控えめ」と分析。ゴーウェイのモイラ・スミス氏も「日本の平均予約額の1%未満」と二重価格の影響は限定的と評価している。むしろ「文化保存や混雑管理という具体的な恩恵と結び付けば、ほとんどの旅行者は変更を理解し受け入れる」というのが業界関係者の見立てとなっている。
文:細谷 元(Livit)
