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「内定を出したのに、初日に来なかった」──。
採用担当者にとってはにわかに信じがたい出来事かもしれないが、いまアメリカではこの“職場ゴースティング”が深刻な問題として認識されつつある。しかも、それが一部の特殊なケースではないことが、データからも明らかになってきた。
このような現象には、SNS文化から派生した新しい呼び名がついている。それが「キャリアキャットフィッシング(Career Catfishing)」だ。
従来であれば、仕事のオファーを承諾した以上、出勤するのは当然のマナーであり、社会人としての責任だった。しかしZ世代を中心に、内定を出しても初日に姿を現さない、あるいは最終面接を通過したにもかかわらず音信不通になる──といった行動が拡がっている。
これは、単なる「若者の非常識」や「モラルの低下」といった一言で済ませられる問題ではない。そこには、働くことに対する価値観の大きな変化と、テクノロジーに慣れ親しんだ世代特有の心理的背景がある。
本記事では、このキャリアキャットフィッシングという現象を入り口に、Z世代の就業観の変化や企業が直面している課題、若者側にとってのリスク、そしてこれから求められる採用や組織づくりの在り方を、多角的に読み解いていく。
キャリアキャットフィッシングとは?
もともと「キャットフィッシング(Catfishing)」とは、SNS上で偽のプロフィールを用いて他人を欺く行為を指すネットスラングだ。
そこから派生した「キャリアキャットフィッシング」は、主に就職活動や転職活動で企業に意図的に誤解を与える行動を指す。
たとえば、
・採用内定を承諾しておきながら、初出勤日に姿を現さない
・面接を進めつつも、最終的に企業からの連絡を無視して音信不通になる
・入社予定日直前で一方的に辞退する
といった行動が該当する。これは単なる「内定辞退」とは異なり、候補者が自らの意思を伝えることなくフェードアウトする点が特徴だ。
データで見る“ゴースト化する”若手たち
この現象の実態は、もはや個別のケースにとどまらない。
5月、アメリカのニュースメディア「New York Post」は、「Z世代の3人に1人がキャリアキャットフィッシングを経験している」という調査結果を報じた。
また、企業が内定後に“連絡が取れなくなる”事例は、オンライン採用が常態化したパンデミック以降、特に増加傾向にある。対面機会がないまま、内定から入社日までが進むため、「関係構築が未熟なまま終わってしまう」構図が起きやすい。
なぜZ世代は職場から“フェードアウト”するのか?
キャリアキャットフィッシングの背景には、Z世代特有の価値観や社会構造の変化が存在する。
1. 選択肢の過多と“決断疲れ”
求人サービスの進化、SNSでの情報収集、企業口コミの拡散──Z世代は常に「もっと良い選択肢があるかも」と考えてしまう環境にいる。選択肢が多い分、最終判断の“確信”を持ちづらく、ギリギリまで保留してしまう傾向がある。
2. 関係性の希薄化と“対話回避”
面接から内定までをすべてオンラインで完結するケースも増えた。相手の顔や空気感を感じないまま意思決定するため、辞退や出社キャンセルも“無責任”と感じにくくなっている。
3. 忠誠ではなく“合意ベースの関係性”
Z世代にとって、働くとは「どこで長く勤めるか」ではなく、「どれだけ自分と合っているか」が重要だ。カルチャーが合わない、条件が合わないと感じれば、スパッと縁を切ることに躊躇がない。
なお、これらの傾向は日本でもすでに兆候として現れている。
たとえば、職場に退職を直接伝えることに強いストレスを感じ、「退職代行サービス」を利用する若者が増加している現象は、「対話」より「代行」を選ぶというZ世代的判断の表れだと言える。
企業ができること:“ロイヤルティ”より“エンゲージメント”
かつて企業が人材を引き留める際に重視していたのは、「ロイヤルティ(忠誠心)」だった。長期雇用や福利厚生によって社員を囲い込み、会社への恩義や義務感で継続就業を促していた。
だがZ世代にとっては、それだけでは不十分だ。彼らが重視するのは「エンゲージメント(共鳴・共感)」──つまり、「この組織と価値観が合っている」「ここで自分が活かせる」という感覚である。
ロイヤルティが“縦”の力関係で結びついていたとすれば、エンゲージメントは“横”の協働関係である。
それを強化する際には、
・採用段階から「会社の顔」を見せる:オフィス紹介動画や社員の声、ワークカルチャーの可視化
・内定から入社までの“空白”を埋める:Slackへの招待やウェルカムメール、チーム交流の導入
・候補者を“選ぶ対象”ではなく“選ばれる相手”と認識する:双方向的コミュニケーションの徹底
といった具体的な実践が考えられるだろう。
Z世代側のリスク:関係性を断つことの“見えない代償”
一方で、キャリアキャットフィッシングを行う若者自身にも、無視できないリスクが存在する。
・信用が“裏で伝播する”社会
業界内で人事担当者同士がつながっていることも多く、極端なゴースティングは「要注意人物」として認識される可能性がある。また、リファレンスチェック文化が進みつつある日本でも、職歴や推薦者が重要視される機会が今後増えていくだろう。
・対話から逃げることによる“機会損失”
難しい対話や葛藤を避けて行動すると、「説明力」「交渉力」「自己理解力」といったキャリアの基盤となるスキルが育ちにくくなる。これは短期的には気楽でも、長期的には“仕事の選択肢が狭まる”というリスクにもなりうる。
「合わない職場から離れる」こと自体は問題ではない。ただし、「何も伝えずに離れる」ことで、信用もスキルも失うのだとしたら、それは本末転倒だ。
日本では今のところ、キャリアキャットフィッシングという言葉こそ一般化していないが、同様の現象は確実に増えている。
・退職代行の市場拡大
・内定辞退代行の出現
・企業口コミ文化の浸透と選別志向の高まり
終身雇用や年功序列が崩れつつある今、企業と働き手の関係も変容している。これまでのように「会社が選ぶ側である」という採用観ではなく、「両者がパートナーシップを築く対象」という前提に立ち戻ることが、いま強く求められている。
キャリアキャットフィッシングは“Z世代のわがまま”ではない
Z世代によるキャリアキャットフィッシングは、単なるわがままではなく、「選択の自由」と「関係性の希薄さ」が交差する場所で生まれている。
企業も、若者も、そして社会全体も、「選ぶ自由」と「誠実な対話」が両立する環境を築く必要がある。
この現象を“異常行動”として片付けるのではなく、時代の移行期に現れた“新たな対話の起点”として捉えることが、次の雇用文化を築く鍵になるだろう。
文:岡徳之(Livit)