INDEX
「2025年問題」とも呼ばれる超高齢社会に突入し、医療現場の逼迫や社会保障費の増大が危惧される日本。生産年齢人口の減少とともに医療従事者の確保が困難となる中で、注目されるのが予防医療や医療の効率化を実現する技術開発だ。革新的なテクノロジーは、医療アクセスが限定される国・地域の課題解決にも寄与することから、世界的にも多方面からの研究開発が進んでいる。
こうした中、京都薬科大学発のベンチャー企業・コスメディ製薬株式会社は、微細な針に薬剤や有効成分を含有させ、皮膚に貼付して体内に吸収させる技術「マイクロニードル」にアプローチしてきた。“貼る注射”とも呼ばれるこの分野において、同社は2008年、世界に先駆けて「溶解型マイクロニードル」の技術を開発し、美容・健康領域において製品化。また、マイクロニードル技術を活用した医療機器、医薬品の開発に取り組み、イノベーティブな事業を推進している。
コスメディ製薬が挑む次世代技術は、私たちの社会にどのような革新をもたらすのだろうか。代表取締役社長・権英淑氏への取材を通じ、マイクロニードル技術の可能性を掘り下げていく。
医療の可能性を広げる、次世代型TTSとは
京都府を拠点に、医療・医薬領域、美容・健康領域で技術開発に取り組む、コスメディ製薬株式会社。「2001年の創業以来、研究開発の中核として取り組んできたのが『TTS(経皮吸収治療)』」と語るのは、代表取締役社長を務める権英淑氏だ。
「薬剤を体内に取り込む方法は、経口、経皮、経鼻、注射などさまざまです。このうち、ペプチドや核酸、タンパク質など、現代の発達した高分子成分は注射で投与されるケースが多いです。しかし注射は使用時の負担が大きく、セルフケアでの対応ができないという課題があります。そこで私たちは、注射の代替手段としてTTSに注目してきました。創業以来、一貫して追求しているのが、『いかに皮膚から薬剤を届けるか』です」

経皮から薬剤を届ける方法としては、湿布などの貼付剤が一般的だろう。一方で、浸透しにくい高分子成分などを効率的に届けるために、注射の代替手段として注目されてきたのが、「マイクロニードル」という“極小の針”だ。皮膚刺激を抑える工夫を施した技術は、長年にわたって世界的に研究されてきた。
「針を細くすることで届けられる薬剤の量が制限されるため、マイクロニードルでは複数の針を並べる設計が採用されています。テープ剤のような形状をしており、“貼る注射” のようなイメージで捉えると分かりやすいでしょう。塗っても貼っても皮膚から吸収されない高分子成分を体内に届けることを目指し、使用時の負担軽減にも配慮しています」
しかしマイクロニードルには安全性を巡る課題もあった。1980年代には米国で金属製マイクロニードルの研究が進められていたが、針が折れて皮膚内に残存する可能性などの懸念が指摘された。こうした背景を受け、素材の改良や技術開発が進められる中、コスメディ製薬は「溶解型マイクロニードル」という技術開発に取り組んでいる。
「皮膚に含まれる成分そのものを、針の基材にする。この発想から、ヒアルロン酸やコラーゲンを素材にしたマイクロニードルの開発に取り組みました。これらの水溶性高分子成分は、針が皮膚の内部に入ると溶解する性質を持っています。この特性を生かし、成分を届けるための新たな経皮吸収剤として、技術開発を進めました」

化粧品の可能性を広げる、溶解型マイクロニードル技術
溶解型マイクロニードルの実用化を目指し、同社がまず取り組んだのは、化粧品への応用だった。2008年には、世界で初めて(※)マイクロニードル製品の工業的プロセスを確立し、「マイクロニードル化粧品」という新たなカテゴリーを創出した。
(※)公益社団法人 日本薬剤学会発行 学会誌「薬剤学」より
「医薬品や医療機器は承認プロセスに時間を要するため、まずは短期間で製品化できる美容・健康領域に挑戦しました。手がけたのは、高分子成分を角質層まで届けるセルフケア製品です。針自体がヒアルロン酸で構成されるため、抗しわや保湿効果が期待でき、その他さまざまな有効成分を組み込むことで、多くの用途に応えます」
同社はその後、2011年に資生堂に技術が採用され、マイクロニードルの技術力が業界内で実証されたことにより、事業規模が飛躍的に拡大した。さらにスキンケアブランド「クオニス」、育毛ブランド「ファーサ」、リップケアブランド「リップショット」など、自社ブランド製品の販売も展開。現在はマイクロニードル化粧品における豊富な実績を積み上げ、海外市場にも販路を拡大している。
「製品ラインアップの多様化とともに、新たな技術開発にも取り組んできました。例えば『富士山ニードル』は、わずか0.02mmの厚さのターゲットである角質層に届けるために、肌の弾力に負けず、針が折れにくくなるよう設計した、その名の通り富士山のような形状をしたマイクロニードル。2023年には世界三大デザイン賞の一つである『iFデザインアワード』を受賞しました。また、タウリンを微細な針状に結晶化した『タウリン結晶マイクロニードル』の開発により、針そのものを“塗る”化粧品も開発。現在は美容液として展開しています」

こうした美容・健康領域での技術開発を進める一方で、同社は医療・医薬領域での研究開発にも取り組んできた。
「医薬品や医療機器も、基本的な考えは化粧品と共通しており、目的や用途によって設計を最適化することが重要です。『皮膚のどの層に針を届けるか』『どの成分を選択するのか』『針の素材は何にすべきか』『針を溶解させるか、させないか』『貼るべきか、塗るべきか』など、多様な工夫を模索する中で、技術力も向上してきました」
すでに製品化されている医療機器もある。2023年に「アネスパッチ」の販売を開始。マイクロニードル技術を活用し、歯科表面麻酔剤を付着させたパッチを歯肉に圧迫・固定する、局所的な麻酔処置のデバイスとして開発された。使用時の負担軽減にも配慮されており、従来の注射とは異なるアプローチが採られている。
同社が掲げてきた“注射を伴わない投与手法の可能性の探求”を形にした製品。患者、歯科医師の双方の負担を軽減する「アネスパッチ」はこれまでの研究開発の成果として、同社にとっても大きな一歩だったという。
“貼る注射”技術が開く、ワクチンや治療薬への新たなアプローチ
創業当初から医療・医薬領域での応用も視野に入れて技術開発を進める同社は、マイクロニードル技術を活用した「貼るワクチン」という新たな選択肢が持つ可能性に着目している。その背景には、医師不足などの社会課題があるという。
「ご存じのように、ワクチンの接種は原則的に医師の指示の下で行われています。また注射針の製造コストや流通量には一定の制約があります。こうした背景も相まって、医療従事者が不足する現代において、マイクロニードル技術による「自己投与」の可能性が注目されています。ワクチン製剤を貼付型マイクロニードルにのせることができる技術は、将来的に医療現場の課題を解決できると考えています」

貼るワクチンの開発が進めば、医療アクセスが限られる地域においても新しい選択肢が広がる。注射型のワクチン製剤は輸送や保管に一貫した低温温度管理を必要とするが、貼るワクチンであれば常温での取り扱いが期待されており、交通網や冷蔵設備、そして医療サービスが十分ではない地域での活用を模索できる。
「全ての人々が基礎的な保健医療サービスを享受できる『ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)』という考えがありますが、私たちはそうした未来を目指しています。同様の課題は、日本国内でも深刻です。人口減少が進む地方部、医療へのアクセスが困難な離島や山間部においても、予防医療や感染症対策などへの貢献が期待できます」

ワクチン接種以外にも、マイクロニードル技術はさまざまな成分に応用できる可能性がある。針が折れにくい設計の「富士山ニードル」はセルフケアや医療廃棄物の削減、塗るタイプの「タウリン結晶マイクロニードル」は皮膚疾患治療に応用できるポテンシャルがあるなど、美容・健康領域で培われた技術を医療・医薬領域に応用しようと取り組んでいる。
「現在は実用化を目指し、準備と研究開発を進めていますが、障壁がないわけではありません。世界でも多様なマイクロニードル技術の開発が進んでいますが、新薬としての承認のハードルが高く、製品化に至るまで多くの課題があります。市場に展開するためには、さまざまなガイドラインに対応しながら、社会的なニーズに即した研究開発を進める必要があります。私たちは15年以上にわたって溶解型マイクロニードルの基盤技術を強化してきました。この強みを最大化し、製品開発を加速させれば、医療現場の課題にもアプローチできるでしょう」
さらに先の未来も見据えている。「医薬品を超えた領域にも、技術を応用させたい」と権氏が期待を込めるのは、生体情報収集分野への技術展開だ。
「最近研究をスタートさせたのが、マイクロニードル生体バイオセンサーです。例えば糖尿病患者によるインスリンの在宅自己注射では、血糖の自己測定が重要な要素となっています。血糖測定器のセンサー部分にマイクロニードルを応用できれば、低侵襲で、リアルタイムかつ持続的に生体情報を取得するといった可能性が広がると考えています。増加する糖尿病患者の遠隔医療に対して、新たな選択肢を提供できるよう研究開発を進めています」
基盤技術があるからこそ、イノベーションを創出できる
多様な製品を開発し、医療、健康、美容の世界にイノベーションを起こすコスメディ製薬。研究と経営の両視点で事業を進める権氏は、どのようなマインドで成長を実現してきたのだろうか。
「『いかに皮膚から薬剤を届けるか』という原点を忘れず、研究開発に長い時間を費やしたことで、強固な基盤技術を築くことができました。常に医療・医薬領域での応用を視野に入れて、技術を深化させてきたからこそ、化粧品への横展開が可能になったと考えています。化粧品への参入は、しみ・しわ、薄毛など皮膚の変化に悩む人々が世の中に多くいたこと、そして私自身が女性であったことがきっかけになりました。このように、基盤技術の上に新たなアイデアが加わることで、事業の多角化が実現するのだと感じています」
企業戦略においても、医療と化粧品の両輪が功を奏した。化粧品事業では自社ブランドを展開しながらOEM・ODMも請け負い、販売網を強化。同時に生産拠点を増強し、医療機関や大学とのリレーションも築きながら、イノベーションを生み出す土壌を育んできた。
「医薬品の開発には莫大な投資が必要です。国のプロジェクトへの採択、製薬企業との連携はもちろん、資金力がなければ成り立ちません。医療以外の領域で収益を得られれば、研究開発を加速できます。中期的に化粧品事業を拡大し、より長期的な視点で医療事業を推進する。そのサイクルに、私たちの成長性があるのでしょう」

権氏の語る「強固な基盤技術」も、成長を可能にした要因だ。美容・健康領域では、すでに溶解型マイクロニードル技術に参入する競合も現れているが、高いシェアを維持できるのは、技術的な強みがあるという。
「後発品の出現は課題でもありますが、やはりよりどころにできるのは基盤技術です。私たちは、大学発ベンチャーとしてスタートした研究者集団。基礎研究、開発、評価、生産を全て自社で手がけられます。当社のマイクロニードルは、100〜800μm(※)で設計されていますが、この超微細な製品をつくるためには、皮膚構造の知識、鋳型の設計力、針の加工力、量産の拠点など、多くの要素が必要です。また当社は、針の強度や長さ、皮膚反応など、安全性への配慮を多角的に検証しながら、設計や開発に取り組んでいます。これら全てのプロセスを迅速に進めるには、揺るぎない基盤技術が不可欠です」
(※)マイクロメートル。1μmは1,000分の1mmに相当
一つの基盤技術が、さまざまな人々のニーズに応える。同社の強みは、技術力への愚直な探究心と、ユーザーに対する繊細な理解が支えているのだろう。
「当社のパーパスは、『知性とテクノロジーで、想像を超える感動を』。かつてない製品を世に送り出すためには、好奇心と顧客理解、情熱とビジネス戦略、スピードと確実性、独創性とチームワークなど、さまざまな力が必要です。医薬品の開発は、長期的な視点を忘れず、着実に積み上げていくもの。私たちは『技術のコスメディ製薬』として世界に誇れるよう、今後も研究を重ねながら歩んでいきます」

以上、コスメディ製薬のイノベーティブな事業推進を見てきた。近い将来、京都から生まれる次世代型技術が、世界中の医療課題に応える一助となる日がやってくるかもしれない。