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AI活用を加速させる2つの要因:期待と不安
職場での従業員によるAI活用が加速の様相となっているが、その要因はさまざまで一様ではない。最新の調査では、スキルアップや生産性向上への期待だけでなく、取り残される不安などが要因でAI活用が加速している状況が浮かび上がってきた。
Slackの調査は、この実態を如実に映し出している。デスクワーカー1万7,000人のうち、実に76%の回答者が「AIエキスパートになる」ことへの切迫感を表明。注目すべきは、この動機が経営陣からのトップダウン的な圧力ではなく、業界動向や個人のキャリア目標に基づくものだという点だ。もっとも、経営層の姿勢も無関係ではない。同調査によれば、経営陣の99%が来年度のAI投資を計画し、97%が業務へのAI統合を急務と位置付けている。この強い意気込みは、従業員への暗黙の期待となって組織全体に浸透しつつある。
AIスキル不足への危機感は、より具体的な形でも表れている。EY調査によると、66%の従業員が「AIを使用しないと遅れをとる」との懸念を示し、67%が「AI活用スキルの欠如により昇進機会を逃す」可能性を不安視。さらに4分の3近くが、AIへの対応が給与に影響を及ぼすことを心配している状況が明らかになった。
一方で、AIがもたらす実質的な恩恵も、導入を後押しする要因となっている。マイクロソフトの「2024 Work Trend Index」では、AI活用者の90%が時間の節約を実感し、85%が重要タスクへの集中度向上を、84%が創造性の増進を報告した。
現場の切実な事情も、AI導入を加速させる一因だ。マイクロソフトの調査では68%の従業員が業務のペースと量に苦心し、約半数が燃え尽き症候群の兆候を示しているという。こうした状況下で、AIは業務負荷を軽減する救世主として期待を集めている。競合他社や同僚がAIを駆使して業務を効率化する中、取り残されることへの焦りが、さらなる導入を促す構図となっているのだ。
広がるAI活用の現場、4つの主要領域
職場では、どのような用途で生成AIが活用されているのだろうか。
具体的なユースケースとして早い段階から注目されてきたのは、文書作成やコンテンツ制作だろう。
マーケティングや人事部門では、メール作成や文書作成、クリエイティブな文章の執筆にAIチャットボットが活用されている。ギャラップの調査によると、AI利用者の41%がアイデア創出に活用しており、メッセージの表現方法やレポートの構成についての提案を得ているという。
また、39%の従業員が情報の集約にAIを活用。たとえば、数十ページの報告書の要約や、数時間に及ぶ会議の議事録から重要なアクションアイテムやハイライトを自動的に抽出する用途で利用されている。
ソフトウェア開発やIT分野では、AIがコーディングパートナーとしての地位を確立しつつある。GitHub CopilotやAmazon CodeWhispererのようなコード生成アシスタントが、開発者のコーディングや レビュー作業を支援。JetBrainsの調査では、84%以上のプログラマーがコーディング業務で生成AIを使用し、関数の自動補完やボイラープレートコードの生成、デバッグの提案など、幅広い用途で活用している状況が浮き彫りとなった。
データ分析やリサーチ業務においても、AIは日常的なツールとして定着しつつある。アナリストや財務、戦略部門の従業員は、数値の処理やデータセットからの洞察抽出にAIを活用。連邦準備制度理事会のレビューによると、金融やコンピューティングなどのデータ中心の職種では、AI採用率は、平均を上回るとのことだ。
Slackの調査では、87%の従業員が「管理業務」にAIが最も適していると回答。スケジュール管理やフォームへの入力、経費報告書の作成といった定型業務がAIに委ねられつつある。
AIがもたらす新たな課題
職場でのAI活用が加速する一方で、従業員と企業の双方に新たな課題と倫理的なジレンマが浮上している点も見逃せない。最も顕著な問題は、従業員によるAI利用の「隠蔽」だ。
Slack調査によると、約48%の従業員が一般的な業務タスクでのAI利用を上司に報告することに不快感を示しているという。アイデア創出やデータ分析、コーディングにAIを活用していても、怠惰または能力不足と見なされることを恐れ、多くの従業員がその事実を隠匿。マイクロソフトの調査でも、AI利用者の52%が重要タスクでのAI活用を公表することに消極的な姿勢を示している。
データのプライバシーとセキュリティも深刻な課題となっている。KPMGの調査では、生成AIを使用する従業員の24%が企業の機密情報をパブリックAIツールに入力していることが判明。この数字は年初の16%から8ポイント増加している。さらに19%が雇用主の財務データを入力していることも判明した。企業秘密や機密戦略、顧客の個人情報がAIプロバイダーのサーバーに流出している可能性が懸念されている。
AIの出力精度と説明責任に関する懸念も浮上。生成AIは強力だが、誤った情報や偏向したコンテンツ、また「ハルシネーション」(虚偽)を生成する可能性がある。KPMGのレポートは、監視体制が不十分な場合、企業がAIによる誤った情報に依存するリスクを警告している。また、AIを使用してマーケティングコピーやコードを生成する際に、既存の著作物を意図せず盗用し、著作権侵害に発展する可能性も指摘されている。
人材評価や採用プロセスなど、重要な意思決定へのAI活用も新たな課題として浮上している。生成AIモデルの学習データには、インターネット上に存在するさまざまな偏見が含まれており、その影響を危惧する声が少なくない。マッキンゼーの調査によれば、37〜50%の経営層がAIの役割に対して慎重な立場を取っており、特に判断の根拠や責任の所在について強い懸念を示している。
AIガバナンスの整備も喫緊の課題となっている。KPMG調査によれば、3分の1以上の従業員が、職場におけるAI利用のガイドラインや管理体制の存在すら認識していない状況だという。さらに深刻なのは経営層の対応の遅れで、2024年後半の調査では、46%のビジネスリーダーが、自社のAI利用方針が未整備であることを認めている。
AI時代の組織変革、成功企業の共通点
AIのリスクを低減しつつ、効果を最大化するには、明確な方針、従業員の研修、強力なガバナンスを備えた戦略的アプローチが不可欠だ。
ChatGPTが登場した当初は、JPモルガン・チェースやアップルなど多くの企業が生成AIの使用を全面的に禁止していた。しかし、この流れは監督下での導入へと変化している。かつて利用を制限していたJPモルガンやウォルマートなども、従業員向けに社内生成AIアシスタントを展開。また、プロセス自動化や新たな価値創造のためにAIソリューションの購入または構築を計画している企業の割合は97%に上る。
この戦略的統合の要となるのが、従業員の能力開発と研修だ。
セールスフォースは2024年9月、AI関連のスキルコースと認定プログラムを2025年末まで無料で提供することを発表。デロイトはコンサルタントとクライアント企業の従業員向けにAIアカデミーを設立、IBMはAWSと提携して1万人の従業員に生成AI技術の研修を実施するなど、組織的な能力開発プログラムがAI導入戦略の標準となりつつある。
また、企業は承認済みのAIツールとインフラストラクチャの提供にも注力し始めている。リスクの高い「BYOAI(個人所有のAIの持ち込み)」を抑制するため、安全なAIプラットフォームに投資する企業が増加。これを受け、マイクロソフトもOffice 365アプリケーション全体にCopilot AIを統合し、従業員がWord、Excel、Teams内でAIを安全に使用できる環境を整備している。
さらに、先進企業の間では、単なるツール導入から一歩踏み込み、組織全体の変革チャンスとして捉える動きも広がりつつある。
注目を集めているのが、「AIサンドボックス」と呼ばれる実験の場づくりだ。従業員が失敗を恐れることなくAIを試せる環境を整備することで、組織全体のAIリテラシー向上を図る。
こうした取り組みは、生産性に対する考え方も大きく変えつつある。これまでの「より速く、より多く」という発想から一転、品質向上やイノベーション創出に重点を置く新しい価値基準にシフトする流れも見られる。
この戦略の有効性は、数字からも見えてくる。AI研修を受けた従業員は、そうでない従業員と比べて生産性向上を実感する確率が19倍に跳ね上がるという。さらに、General AssemblyとAdeccoの共同調査では、AIツールを使用する従業員の75%が業務効率の改善を実感していることが判明した。
しかし、ここにも課題は潜む。AI研修を受けた従業員は全体の25%にとどまり、スキル格差が新たな懸念材料として浮上。この「デジタルデバイド」の解消が、経営陣にとって次なる重要テーマとなりそうだ。
文:細谷元(Livit)