活気づくインバウンド需要の中、小売業界をはじめ多様な事業者にビジネスチャンスが広がっている。一方、現場では人手不足やデジタル化、外国人への対応などの課題が山積し、機会を成長につなげることは容易ではない。こうした中で勢いが伸びている分野がトラベルテックだ。国内市場規模が約9,000億円と推計され、今後5年間で1兆2,000億円に達すると予測されるトラベルテックは(※1)、観光体験を向上させるとともに、テクノロジーを通じた事業者の課題解決にも寄与している。

トラベルテック企業の一つ、株式会社Pie Systems Japan(パイ・システムズ・ジャパン)は、デジタル免税ソリューション「PIE VAT(パイ バット)」を展開する外資系企業だ。利便性の高い免税システムを提供することで、個人商店から大規模店舗、アウトレットモール、ショッピングモール、商業ビルや商店街まで、さまざまな事業者における現場の課題を解消。また、訪日観光客と小売店をつなぐプラットフォーマーとしても、新たなマーケティングのモデルを創造しようとしている。

今回、Pie Systems JapanのCEO水野博商氏を取材。免税販売に乗り出すことには、どのようなチャンスとリスクが潜在し、なぜデジタルソリューションが必要なのか、その最新動向を探っていく。

売り上げ拡大に立ちふさがる、免税販売における3つの課題

観光庁は2025年1月、訪日外国人旅行消費額が過去最高の8兆1,000億円を記録したことを発表した。背景にあるのは、右肩上がりのインバウンド需要と、円安を背景にした訪日観光客の購買力向上だろう。消費額の構成比では、買い物代が宿泊費に次いで多く、約30%を占める(※2)。こうした動向を受け、小売業界で注目されているのが、免税販売だ。Pie Systems Japanの水野氏は、免税店となった事業者は、競合との差別化を図れると、メリットを解説する。

参考:費目別にみる訪日外国人旅行消費額。観光庁「【インバウンド消費動向調査】2024年暦年の調査結果(速報)の概要」

水野氏「免税販売における『免税(TAX FREE)』とは、訪日観光客に商品を販売する際に、消費税を免除すること。免税店側は、割引することなく消費税額分を差し引いて商品を提供できます。そして免税店シンボルマークを店頭に掲示することで、訪日観光客の集客拡大を見込めます。外国人にとって、免税店であることは購入を決める大きな要因です。チャンスにつながることは間違いないでしょう」

商機が広がる免税販売には、規模や形態を問わず多くの小売事業者が参入可能だ(※3)。他方、国内の免税店数は約5万9,000店にとどまる(※4)。この低い水準の背景にあるのは「現場に存在する三つの課題」だと、水野氏は指摘する。

水野氏「一つ目は、2021年に免税販売手続が電子化したことです。それまで購入記録表の作成などは書面で手続きできたのですが、現在はソフトウエアやアプリケーションでのデータ送信・保管が必須になりました。仲介するシステム事業者への手数料が発生するため、費用負担は増えてしまいます。つまり、免税販売で伸びた利益で、仲介コストを賄えなければ、赤字になる。参入前の小売事業者は、チャレンジングな選択を強いられるのです」

Pie Systems Japan CEO水野博商氏

水野氏が指摘する二つ目の課題は、煩雑な手続きだ。そもそも電子化の目的は店舗側の効率化だが、実際にはスキャンによるパスポートや入国許可証の読み込み、タブレットやPCでの管理が必要であり、一定のITリテラシーも必要となってくる。

水野氏「頻繁に更新される免税制度にも対応しなければなりません。直近では、2026年に大きな改定が予定されています。現在、日本の免税制度では、訪日観光客は店舗で免税還付を受けます。つまりは税抜き価格で購入できるため、商品を滞在中に課税価格で転売すれば、利ざやを稼げてしまうのです。この不正を防ぐのが2026年の制度改正で、出国時に持ち出しが確認された商品にのみ、免税額を還付する『リファンド方式』が導入されます。

このような新たな仕組みには、店舗側も都度対応しなければなりません。電子化や制度変更に対し、アップデートを強いられるのは、特に小規模事業者にとってハードルになっています」

免税制度変更後のイメージ

そして三つ目は、外国人に対する心理的障壁だ。外国語での接客に加え、オーバーツーリズムへの懸念など、キャパシティー面でのリスクを想定し、参入前に断念するケースも多いという。

水野氏「この点に関しては、実際には大幅な負担増加にはならないとも捉えられます。外国語会話表などを活用すれば、指さし確認だけで接客できるからです。ただし、現場の方々の不安な気持ちも理解できます。スムーズな対応ができるよう、ノウハウの共有などが重要になるでしょう」

“コスト” “手間” “心理的障壁”という三つの現場課題に対し、システム事業者の立場からアプローチするのが、水野氏がCEOを務めるPie Systems Japanだ。次に、同社の具体的なソリューションについて見ていく。

“コスト” “手間” “心理的障壁”をテックで解消する、「PIE VAT」

同社が提供する「PIE VAT」は、電子化移行に対応したデジタル免税ソリューションだ。その最大の特徴は、“無料&簡単”であること。小売店舗は費用を負担することなく、システムを導入・運用できるという。

利用者のサービス画面イメージ。デジタル上で免税手続きが可能になる

水野氏「当社も電子化をサポートするシステム事業者の一つですが、店舗には課金をしていません。PIE VATでは、アプリを通じて購入者に免税還付額を送金しており、その際に手数料を差し引いているからです。つまり、システム費用を負担するのは訪日観光客。小売事業者はシステム投資が不要となり、赤字リスクを防ぎながら免税販売を始められます」

こうした同社のビジネスモデルは、企業の沿革に由来する。グローバル本社であるPie Systems Inc.は、2018年にアメリカで設立。カリフォルニアで高度なテクノロジーを吸収した後、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン市場に参入してきた。培ったヨーロッパ式の免税販売モデルを、日本に向けて展開するのが、Pie Systems Japanである。

水野氏「免税システムの仲介費用を小売事業者に負担させない考えは、ヨーロッパでは主流です。『免税で恩恵を受けるのは購入者』というマインドが、源流にあるのでしょう。一方日本では、店舗がシステム投資を負担する風潮が強いので、無料のツールが必要と考えました」

このヨーロッパ式のモデルにより、PIE VAT は“手間”の課題も解消する。2026年のリファンド方式への変更に、もともと対応しているからだ。またアプリケーションはブラウザ内アプリで完結できる仕様となっており、専用のタブレット端末やPCの導入も不要(※5)。アプリ全体が簡単な操作を念頭において設計されている。

店舗側ではダッシュボードで情報を確認することができ、現場の負担軽減につながる

水野氏「パスポートや入国許可証の情報も、カメラで撮影・送信できるため、スマホ一台あれば免税販売をスタートできます。また近年普及しているタブレット端末のレジアプリとも連携を進めており、対応サービスでは『免税』ボタンを押すだけで、取引の登録が可能です」

免税店への登録手続きもスムーズに進む。通常は国税庁への申請のために、税務署との連絡、書類作成が必要になるが、Pie Systems Japanでは申請の無料代行を行っているのだ。

水野氏「免税店登録からシステムのセットアップに至るプロセスを、ほぼハンズフリーで進められます。また、第三の課題である“心理的障壁”も、全面的にバックアップします。ラミネーターポップで店員と顧客が指さしなどで対話できる案内キットを用意しており、『〇〇のケースでは、〇〇と対応』と、スムーズなコミュニケーションで外国人への対応ができるでしょう」

プラットフォーマーとして“旅ナカ”の観光客を起点にマッチング

PIE VATのもう一つの大きな強みは、訪日観光客向けのアプリでもあることだ。免税還付などを伴う同アプリでは、購入者側のアカウント登録が必要になる。この仕組みを応用すれば、免税店と訪日観光客をつなぐ、新たなプラットフォームとして機能するという。

水野氏「売る側と買う側をマッチングする、かつてないモデルの商圏を形成できるでしょう。観光というマーケットでは、よく『旅マエ(旅に行く前)』『旅ナカ(旅行中)』『旅アト(旅から帰った後)』と旅行者を区分し、事業者はそれぞれに適したコミュニケーションを施します。このうち、旅マエは検索や予約サイト、旅アトは会員登録やメールマガジンなど、比較的タッチポイントをつくりやすいです。しかし、流動を伴う旅ナカの観光客とコミュニケーションを図るのは、容易ではありません。ここにアプローチできれば、訪日観光客と小売事業者がwin-winとなるサービスを展開できるはずです」

旅ナカを起点にプラットフォームを確立することで、具体的にはどのようなマッチングが可能になるのだろうか。「訪日中の外国人ユーザーがPIE VATアプリを通じ、近くにある免税店を探す」「免税店が地域内にいる外国人ユーザーに対し、商品案内やキャンペーンを発信する」といったケースが想定されると、水野氏は期待を込める。

水野氏「『いま現在、日本にいる外国人』を把握できるのが、免税ソリューションであるPIE VATの特徴です。出国日も分かるため、ハロウィーン、クリスマスなどの季節性のプロモーションを展開したり、帰国直前に空港近くの店舗を案内したりと、細かなコミュニケーションも可能になります。コアなユーザーの行動にフォーカスすることで、マーケティングの手法が増幅するでしょう」

旅ナカを起点にサービスを拡充すれば、旅マエ、旅アトにもアプローチできる。免税という枠を超え、予約、決済、アフターサポートと機能を拡大し、対象事業者も飲食や宿泊へと広げるのが、水野氏の長期的なビジョンだ。

水野氏「訪日観光客は、ユーザー登録やクレジットカード決済の障壁もあり、日本人向けの予約サービスを使用できないケースが多いです。また、そもそもリピートを前提としない海外旅行において、事業者単体でアカウントやメールマガジンに登録させるのは、現実的でありません。このように、インバウンドといっても数々の“見えない障壁”があり、日本の事業者も機会を十分に生かせていないことを、私たちは課題視してきました。このギャップを埋められるのが、当社の強みであり、一本化されたプラットフォーム構想を実現し、一つ一つのギャップをつなげることができれば、消費行動はもっと活発になるでしょう。最終的には小売事業者に対し、集客という価値を還元できます」

ローカルの小売事業者を、グローバルな視点で支える存在へ

外国人ユーザーを巻き込みながら、小売事業者への価値提供に尽力する水野氏。同社のビジョンは「Supercharge tourism by empowering local partners globally and delighting global tourists locally」。「local partners」である日本の事業者を、グローバルにサポートすることを掲げているのだ。

水野氏「マクロな視点で見るならば、日本国内の消費力は大幅な伸長を見込めません。需要のあるインバウンドにアプローチできれば、経済全体も活性化するわけですが、現実的にはテクノロジーやマーケティングの障壁、文化・習慣の違いもあり、簡単に参入できない事業者さんもいるのです。この状況を打開するのが、私の個人的なやりがいでもあります。『みんなで元気になろう』と内側から地殻変動を起こすことが、社会には必要と考えています」

水野氏自身、日本が持つ観光立国としてのポテンシャルを強く感じる一人だ。

水野氏「外国人旅行者を最も多く受け入れているのはフランスで、その数は1億人に達しています。一方の日本は現在、約3,700万人。決して多いとはいえません。政府は2030年の6,000万人達成を目標にしていますが、私は達成できると見込んでいます。しかしその先の伸びしろは、関係者間のビジョン共有や協力に懸かっているでしょう。日本は優れた観光資産に満ちています。現場を担う事業者を取り残さず、グローバルトレンドにもしっかりと対応できれば、さらなる飛躍は十分に遂げられるはずです」

免税システムを起点に、事業者と訪日観光客をつなごうとするPie Systems Japan。単純なデジタル化や効率化にとどまらず、日本の観光業へのプラスのインパクトを目的にしているからこそ、画期的なソリューションを生み出しているのだろう。同社が実現する経済や地域の活性化、新たな観光体験の創出に、今後も注目したい。

取材・文:相澤優太
写真:水戸孝造