これは、鹿児島の豊かな自然の中で、一つの蒸溜所から始まる物語だ。小正 芳嗣(こまさよしつぐ)氏は、蒸溜家としての情熱と家業を守るという強い信念を胸に、「嘉之助蒸溜所」を造り上げた。そこで生み出されるウイスキーは、単なる蒸溜酒ではない。造り手の哲学と鹿児島の風土が溶け込んだ、唯一無二の一杯となっている。2021年には、蒸溜酒世界最大手であるイギリスのディアジオから出資を受け、同社のマーケティング手法や販路を活用。アメリカやヨーロッパへの展開を強化し、世界市場にも視野を広げている。

幼少期から家業である「小正醸造」に触れ、伝統を守るだけでなく新たな挑戦を続けてきた小正氏。彼が紡ぐストーリーと、その手から生み出されるウイスキーの個性に迫る。

小正 芳嗣(こまさよしつぐ)氏
小正嘉之助蒸溜所株式会社 代表取締役

2003年に、家業である小正醸造株式会社に入社。入社後は、東京農業大学で学んだことを生かし、独自性のある新商品開発に没頭。2017年11月、ウイスキー蒸溜所の「嘉之助蒸溜所」を立ち上げ、2021年8月に小正醸造より分社化し小正嘉之助蒸溜所株式会社を設立。同社の代表取締役を務める。

10歳で決意した家業を継ぐ道

小正氏は、1883年創業の小正醸造の4代目だ。3人兄弟の長男として生まれ、幼い頃から酒蔵が身近にある環境で育った。

「別に継げと言われたわけでもないんですが、小学生の頃から自然とこの仕事をやりたい、家業としてやっていきたいという気持ちが芽生えてきたんです」

その決意をしたのは、10歳の頃。小学校で「将来の夢」を書く機会があり、そのときにはすでに「跡継ぎになる」と記していた。

「ちょうど2分の1成人式のようなタイミングで、将来の仕事について書く機会がありました。明確なきっかけはないのですが、家業を営む祖父と父と一緒に暮らしていたので、自然と影響を受けたのだと思います。実家と製造所は離れていましたが、たまに製造所に行って芋の香りを嗅いでいました。当時は良い香りとは思いませんでしたが、そういうのも自然と感じ取っていたのかもしれません」

小正 芳嗣氏

小正氏が幼少期の頃、会社の業績は低迷しており、その空気を肌で感じていたという。

「祖父は技術一筋で強い思いを持つ人でしたが、父は経営面を重視するタイプで意見が合わないことがよくありました。そういう姿を見ながら、会社を良くしたい、自分が経営をうまく回していきたいという気持ちが自然と芽生えたのだと思います」

スコットランドのウイスキー蒸溜所を初めて見学し、衝撃を受ける

10歳で後継ぎになると決意した小正氏は、そこから何を勉強したら良いか逆算し、まずは酒造りの理論を学ぼうと考えた。そして高校卒業後、醸造科のある東京農業大学へ進学。

東京農業大学には、小正氏のように実家が酒造りを営んでいる学生が多くいた。日本酒や味噌、醤油など、さまざまな蔵元の子どもなど、同じ境遇の学生たちと接することが刺激になり、学びの幅も広がったという。

「蒸溜酒や焼酎、日本酒、ワイン、ウイスキーなど、お酒全般に加え、発酵の仕組みなど幅広く学びました。新しいアイデアもたくさん浮かびましたね。例えば、日本酒やワインの酵母を焼酎に応用したらどうなるかなど、学ぶことで試したいことが増え、酒造りへのモチベーションが上がるきっかけになりました」

こうして大学で得た知識は、実家に戻ったあとの商品開発にも生かされる。小正氏がのちに嘉之助蒸溜所で造ることになるウイスキーと初めて出会ったのは、大学3年生のときだ。海外旅行で訪れたスコットランドの蒸溜所で、その光景に衝撃を受けたという。

「建屋も製造設備もクラシカルで趣があって、日本の酒蔵とは全く違う印象でしたね。とにかく感動しました。そのときは、ウイスキーを造ろうという発想よりも、焼酎造りにどう応用できるかを考えていました」

品質は高いが、取引できない。悔しさからウイスキー造りを決意

正式にウイスキー造りを始めたのは、それから10年以上が経った2014年。それまでは焼酎一筋で、ウイスキーは考えてもいなかった。きっかけは「悔しさです」と小正氏は語る。

「大学卒業後は、小正醸造で品質管理や生産管理、商品開発などを行ってきました。とくに造った商品をどう伝えるか、どう届けるかが非常に重要だと思っており、国内だけでなく海外にも輸出しながら販売活動に力を入れてきました。しかし海外では、焼酎を飲んだ経験がない人がほとんどで、なかなか受け入れてもらえませんでした。焼酎は日本では食中酒として親しまれていますが、海外にはその文化がないのです」

そんな試行錯誤の中、スコットランドの商社から、樽熟成焼酎「メローコヅル」に興味を示す連絡が入った。

「メローコヅルは、祖父の嘉之助が焼酎の価値を高めるため、ウイスキーやブランデーの樽熟成の概念を取り入れて1957年に開発した日本で初めての樽熟成焼酎です。スコットランドに行き、テイスティングしてもらうと『まさにウイスキーのような味わいだ』と高く評価してもらいました」

しかし帰国後、期待していた注文は来なかった。問い合わせると、「品質はとても高いが、やはり焼酎というものを受け入れるのが難しいので取引できない」と。

「非常に悔しかった。焼酎の限界を感じてしまったんです」

そこで、小正氏は「自分たちの焼酎造りの技術を、世界共通言語であるウイスキーに生かそう」と決意する。

しかし、当時日本でウイスキー造りを行っているのは大手メーカーのサントリーやニッカが主流で、全国でも数社しか存在していなかった。

「ウイスキー造りには免許が必要で、鹿児島税務署の酒税課に相談に行ったのですが、『ウイスキーは寒いところで造るもので、南国の鹿児島で造れるわけがない』と担当官に言われ、免許の申請を出しても突き返される始末でした」

「諦めてほしかったのでしょう。でも、私は諦めませんでした」

そこから度重なる交渉を経て、ついに事業を推進する認可が下りた。

鹿児島から世界へ。長年の技術がもたらす、ウイスキーの個性

ウイスキー造りを進めることになったものの、当初は経験者が一人もおらず、焼酎造りの技術者ばかり。そこで、スコットランドに研修に行き、ウイスキー造りを学びながら、ようやく2017年に製造免許を取得。祖父の名を冠した「嘉之助蒸溜所」を設立することができた。

さらにその3年後の2021年に、嘉之助蒸溜所初のシングルモルトジャパニーズウイスキー「シングルモルト嘉之助2021 FIRST EDITION」を発売。2023年12月には、嘉之助蒸溜所のシングルモルトウイスキーと、5分ほど離れた場所にある日置蒸溜蔵で造ったポットスチルウイスキー「嘉之助 HIOKI POT STILL」を、2024年7月にはシングルモルトとポットスティルウイスキーをブレンドしたジャパニーズウイスキー「嘉之助 DOUBLE DISTILLERY」も発売した。

嘉之助 DOUBLE DISTILLERY

こうした、KANOSUKEのウイスキーの個性はどこにあるのか。

「鹿児島で、しかも海沿いで造っているというロケーションこそが私たちのウイスキーの個性です。ここは、長年焼酎を造り続けてきた場所であり、祖父が将来の蒸溜所建設を構想した地でもあります。その夢を引き継いだ場所でこそ、造る価値があると思いました」

嘉之助蒸溜所

そうした歴史と、培ってきた技術がウイスキーに反映されている。樽熟成焼酎である「メローコヅル」の空き樽をウイスキーの熟成に使っていることも、他にはない特徴になっている。

「味わいは少し甘く、“メロー”な仕上がりです。他の蒸溜所ではなかなか出せない独自の風味だと思っています。ストレートでもハイボールでも、さまざまな飲み方で楽しんでいただきたいです」

日本のウイスキーらしくないオシャレなパッケージにもこだわり、海外での浸透も見据えている。

「ジャパニーズウイスキーは定義が曖昧で、海外の原酒がブレンドされているものも少なくありません。その中で造り手としてのプライドを持ち、ジャパニーズウイスキーの健全な成長と発展に貢献していきたいです」

最終的に目指すのは、世界中から「KANOSUKEに行きたい」と言われるブランドだ。

「海外のお客様にも鹿児島の地に訪れて、ゆっくりとウイスキーを飲みながら過ごしてもらいたいです」

祖父・嘉之助の意志を引き継ぎながら、世界に通用する蒸溜酒を探求する小正氏。その挑戦はまだ、始まったばかりだ。だが、ウイスキーに込めた情熱と世界を本気で目指す姿勢に、これからの未来への期待が高まる。

文:吉田 祐基