伝統的屋台「ホーカー」とは?

シンガポールには「ホーカー」という屋台がある。安価でローカルフードを提供するホーカーは、日本のように日々の自炊が根付いていないシンガポールの人々にとってはお袋の味であり、なくてはならない存在だ。

マレー半島の南端に位置するシンガポールは、中国・マレー系・南インド・英領マレーシアなど様々な文化が融合した独特の文化を持つ国、まさに「文化のるつぼ」だ。それは食文化にも色濃く反映されており、シンガポールの唯一無二の食文化は、現地の人々のみならず、海外から足を運ぶ観光客をも魅了している。

だが、そんなホーカーが近年減少傾向にある。

ホーカーの厳しい経営状況

その背景にあるのは厳しい経営状況だ。

ホーカーは、シンガポールの人々の暮らしを支える大切な文化であり、売られている料理は多種多様だ。そのような競合相手の多い中で、2S$(約160円)程度のお手頃な価格で商品を提供し続けることは簡単ではなく、全てのホーカー経営者が十分な利益を得られているわけではないようだ。

しかし、ホーカー文化はシンガポールの文化遺産とも言えるものだ。それを絶やさないために、政府は支援金を提供するなどの政策を行っている。

主にその支援の恩恵を受けることができるのは、1970年代に普通の道端からフード・センター(多くのホーカーが集まる区画)へホーカーの場所を移した「第一世代」。第一世代の支出が1ヶ月あたり約240S$であるのに対して、新規参入者は約1,260S$という大きな差が生じてしまっているのも事実だ。

また、料理に使われる生鮮食材の仕入れ代が高くなっている。2014年の通商産業省と環境省の調査によれば、ホーカーの賃料が支出の12パーセントであるのに対して、生鮮食品の仕入れ代は50パーセント以上を占めていることが分かった。この状況を改善するために、政府は生鮮食品の大量仕入れが推奨している。

その結果、あるレストラン経営者は、以前と同じ契約にも関わらず、1ヶ月約500S$のコストを削減できたという。彼は元々ホーカーから飲食業を始めた人物で、「500S$という差は、ホーカー経営者にとって非常に大きな違いです」と語っている。

見つからない次世代の担い手

ホーカー減少の第二の大きな理由は、次世代の担い手が少なくなってきていることだ。第一世代と呼ばれる人々は、現在60、70代を迎え、後継者がいないまま引退し店をたたんでしまう。

第一世代が若かった時代よりも、現在のシンガポールの生活水準は高くなり、子ども達は十分な教育を受けられるようになった。そのため、企業に就職して安定した職を得ることができる。彼らの親も、収入の安定しないホーカーの仕事を子ども達にわざわざ勧めることはないというのは、想像に難くない。

ホーカーで働くということは、エアコンはなく、一日中暑い中で調理して、それを売り続けるということだ。オフィスワークのように9時から17時まで、というわけにはいかないだろう。また、土日祝日も関係なく、友人や家族が遊びに行っている日も、休まず働かなければならないこともある。

Roast Paradiseというホーカーを経営するカイさん(33歳)は、「どちらも月に2,000~3,000S$稼げるというなら、もちろん空調のきいたオフィスでの仕事を選んでしまいますよね」と語る。

会社を辞めホーカー経営に乗り出す若者たち

だが、後継者が少なくなっている反面、カイさんのように、若い世代が新たにホーカーを始めるという例が増えてきているのも事実である。

カイさんは友人のランダルさんと共に2015年、Old Airport Road Food Centreに「Roast Paradise」というホーカーを開いた。彼らのお店の目玉商品は、マレーシア仕込みのチャーシューとローストポークだ。


「Roast Paradise」Facebookページより

元々2人はイベント会社で知り合ったが、20代でその職を辞め、将来性を感じた飲食業界へ飛び込んだ。しかし、彼らにはその業界のノウハウはなく、また近親者にホーカー経営者もおらず料理を教えてもらうこともできなかったため、マレーシアのクアラルンプールまで行き、そこで6ヶ月の修行をしたという意欲溢れる若者だ。

カイさん達のように、企業や銀行での安定した職を辞して、一念発起、自分のホーカーを持ち、飲食業を始める人々は少なくない。

気になる、若手ホーカー経営者の収入

自営業となると、やはり気になるのは収入である。Roast Paradiseのカイさん、ランダルさんの例を紹介しよう。

先述の通り、彼らはホーカーのノウハウ、商品のチャーシュー、ローストポークの作り方を学ぶために、半年間マレーシアのクアラルンプールで育成プログラムに参加している。その際の生活費などが、少なくとも1ヶ月1人あたり2,000S$だとすると、半年間で約24,000S$(約200万円)となる(このプログラムの間、2人は働いていた可能性もある)。プログラムにかかった費用は、ここには含まれていない。

2人は通常の店舗を持つことも考えたが、ホーカーの方が賃料が安く、人件費もより少なく済むと考え、ホーカーを選んだそうだ。Old Airport Road Streetにホーカーを持つには、屋台の購入なども含めて10,000S$(約82万円)かかったようである。さらに、デポジットとして2ヶ月分の賃料を支払わなければならなかった。クアラルンプールでの費用(※プログラムの費用は除く)と賃料などを含めた初期費用が約40,000S$(①約330万円)である。

開店後の、食材購入費(肉、麺など)、賃料、光熱費、維持費などの支出は、1ヶ月あたり11,000~15,000S$(②約90万~120万円)である。ホーカーは、カフェなどに比べて支出が安く済むと思われがちだが、それは間違いのようだ。

開店初日の売上は80S$(約6,600円)で、①・②の費用を回収するため、初めの3ヶ月程度は利益が出なかったようだ。

その後、Roast Paradiseはリピーターのお客さんもつき、そのお客さんたちがさらに新しい人々を呼び込んでくれたおかげで、安定した収入をあげられるようになった。営業日は、火・木・金・土曜日が一日、水・日曜日が半日営業だそうなので、週5日、月22日営業していることになる。1日あたり200人が来店し、1人あたり5S$を払ってくれると仮定すると、1日の売上は1,000S$となる。

1ヶ月の売上は1,000S$×22日=22,000S$(③、約180万円)
1ヶ月の収入は22,000S$(③)-13,000S$(②)=9,000S$(約740,000円)
2人で折半するとなると、1人あたり4,500S$(約370,000円)が収入になるようだ。


「Roast Paradise」Facebookページより

苦労も多いが、やりがいはそれ以上

数字だけを見ると、思いのほか多い収入のように思える。だが、シンガポールは物価が安くなく、さらに彼らの労働時間についても考えてみてほしい。

Roast Paradiseは一日営業の日は、11時~23時まで営業している。さらに営業開始前には、その日に売るためのチャーシューを焼くなどの仕込みの時間があり、営業終了後には後片付けや宣伝のためのFacebook更新などの仕事もある。それを考慮すると、彼らは1日あたり13時間、半日以上を労働に費やしていることになる。

これだけハードな仕事で、政府からの支援も少ないのに、なぜ彼らはホーカー経営を続けていられるのか? それは、お客さんたちが喜んでくれること、お客さんたちからの感謝が彼らの励みになっているからだという。

「自分の商品が人々に受け入れられるかどうかをテストするには、最初から店舗を持つよりも、まずはホーカーから始めてみる方が小さなリスクで済みます」と、フレンチ・レストラン経営者のジョシュアさんは語る。彼は、「Joo Chiat」というコーヒーショップの屋台から飲食店経営を始め、レストラン経営者となった経歴を持つ。

ホーカー経営に挑戦する若い世代は、彼のように将来的にはレストラン経営などに繋げたいと考えている人も多いのだろう。あるライターは、「シンガポール人は、私があった中で、最も自国の食文化を愛する人々だ」と語っており、食べることは娯楽のひとつである。そのため、将来性がある業界として飲食業界を選ぶ若者も多いであろう。

フード・センターにホーカーがずらりと並び、人々が集まる光景はとてもエネルギーに溢れていて、日本の市場とは違う東南アジア特有の雰囲気があるものだと思う。食べることは旅の醍醐味でもあるため、その光景がなくならないように、若い力が活躍してくれることを祈るばかりである。

文:泉未来
編集:岡徳之(Livit