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アメリカで月間の退職者数が過去最高を更新し続ける「大退職トレンド」が発生して早一年近く。超・売り手優位の力関係が続くアメリカ労働市場では、新たな変化が報じられるようになっている。それは給与や待遇に関する情報の透明化だ。
終わりの見えない大退職トレンドで、労働市場の力関係が一変
アメリカでは2021年に約4,800万人が退職し、約7,600万回もの転職が記録されている。パンデミックに伴うライフスタイルや価値観の変化により、2021年4月頃から顕著になった大量退職トレンド。2022年に入っても未だ収束の気配は見えず、アメリカでは現在も1,100万人分もの求人枠が空いている状況だ。
そのためマーケットでは企業による求職者の奪い合いが激化しており、各社が競って高待遇の採用条件を提示するようになっている。人材コンサルティングのRobert Half社が2,800名以上のシニアマネジャーを対象に、新規採用者へ提示した待遇を調査したところ、入社ボーナスの付与が48%、有給休暇日数の増加が43%、より高い役職の提示が40%と、様々な好条件を提示していることがわかった。
企業側の人材獲得競争はこの数か月でさらに熾烈になっていて、中には現在の3倍の給与を提示される人や、数か月前には却下された給与水準やボーナス、転居費用の支給などの要求を全て企業側が飲む形で採用が決まる例もあったという。
求人情報の最初に給与待遇を明示し求職者を引きつけるケースが急増
この空前の求職者有利バランスが続くアメリカの労働市場において、企業の採用担当は、まずどうやって自社の求人に目を留めてもらうか、という段階ですでに苦戦を強いられている。採用広告に高額の費用を支払ったり、転職意欲の低い労働者に対しても破格の条件を提示して個別にコンタクトするなど、必死の活動を行わざるを得ない事態だ。
企業側の試行錯誤の中で最近顕著になってきたのが、求人情報を掲示する段階で、給与条件、週休3日やフレックス制などの待遇、有給休暇日数、在宅勤務手当の支給といった採用時の条件を明記する動きだ。ある企業のHR責任者は、昨年社内全てのジョブディスクリプションを書き直し、会社情報や求人ポストの説明ではなく、給与情報をはじめに記載するようにしたという。仕事内容よりもまず給与面などでの高待遇をアピールして求職者の注目を引きつけ、なんとか応募へ進んでもらおうという採用担当者の苦心ぶりがうかがえる。
給与水準の公開はこれまでアメリカでは当たり前でなかった
日本では多くの場合、募集要項に想定年収など何らかの給与情報が掲載されているが、アメリカではこれまでDOE(経験による)などとしか記載されないケースも多かった。
入社年次や役職によってある程度均一な給与テーブルが存在する日本企業と異なり、アメリカでは元々、雇用条件は雇用主と労働者間の個別交渉で決まる色合いが強い。特に2008年の金融危機以降の不況下では、雇用主側が労働市場の主導権を握っており、求職者が要求できることは限られていた。そのため給与待遇が公開されることは少なく、どんどん秘密主義的になっていった。
しかしパンデミックに端を発した大退職トレンドの到来により、雇用主と求職者の力関係は完全に逆転した。人材確保のために、企業側が募集段階で給与水準を明らかにするケースが増えるにつれ、労働者側でも給与待遇の透明化を求める意識が高まっている。
給与の透明化を求める労働者の意識に、企業側の準備が追い付いていない現状
給与関連ポータルのSalary.comが2021年12月に行った調査によると、自社は給与の透明性があると回答した労働者は4分の1に過ぎなかった。また回答者の約半分が、他社の同ポジションの人と比べ自分は公正な給与を得ていないと感じていて、約3分の1は同僚と比較して自分の給与が公平ではないと感じていた。
現状、給与待遇を透明化するポリシーを持っていると回答した企業は35%に過ぎず、労働者側の給与の透明化や情報取得意識の高まりに、まだ企業側の準備が追い付いていないのが現状のようだ。実態として、企業は採用時の個人交渉でより安い給与で働くことに同意した応募者を採用し、人件費の抑制を実現させてきた一面がある。そのため各従業員の給与や待遇はかなり個人差の大きいいびつな状態となっていて、すぐに体系的に整理して公開できるようなものではないというのが正直なところだろう。
しかし、コロナ禍で在宅勤務体制を整えない企業が求職者から見向きされなくなったのに続き、給与の透明化を進めない企業は、労働者から「クビにされる」段階に入りつつある、とSalary.comの取締役は分析している。
アメリカ各州で給与条件の明示を義務付ける規制が続々と成立
給与や雇用条件の透明化への意識の高まりを受け、アメリカの各州では、給与の透明化・平等化を規制面から推し進める動きが続々と起きている。
元々カリフォルニア州で、全米で初めて求職者に前職の給与を聞くことを禁止し、また求職者からの求めに応じ給与レンジを明かすことを義務付けた法律が2018年に成立していたが、2021年に入りコロラド州、コネチカット州、ネバダ州などでも、続々と雇用主側に給与の透明性を担保させる法律が整備された。すでにアメリカの14の州で、雇用主が求職者に前職での給与を尋ねることが禁止され、20の州とワシントンDCで、労働者が給与について交渉する権利を保障している。
ニューヨーク市議会では2021年12月、全ての求人情報に給与レンジ、昇進や転勤の可能性を明記するよう雇用主に義務付ける法案が可決され、2022年4月より施行されている。少なくとも10の州や市で、ニューヨーク市同様に給与テーブルの公開を義務づける法案が最近可決されており、給与条件の透明化を法律により推し進める動きが、アメリカ各地で急速に広がっている。
低賃金に陥りがちだった女性や有色人種の給与格差を是正する契機に
アメリカ連邦政府では、同一労働同一賃金の原則の元で、1963年に性別などによって給与を変えることを禁止する法律が成立している。しかしこのルールは形骸化しており、実態としては性別や人種による給与格差が数十年に渡り存在し続けていた。雇用主と労働者間の個人交渉という名の下に、女性や有色人種の労働者が正当な評価を受けられず、白人男性よりも相対的に低い給与水準で働くことが常態化していたのだ。
今回大退職トレンドに伴って売り手優位の労働市場となったことで、労働者主導の給与交渉が活発に行われるようになった。また各州での法整備によって、給与待遇の明示や体系的な給与テーブルの整備が進みつつある。給与情報についての透明性が高まることで、長らく続いたジェンダーや人種による給与格差が是正されるきっかけとなることが期待されている。
よりフェアでインクルーシブな給与体系の定着が経済回復には不可欠
パンデミックからの回復を目指す最近の労働市場において、雇用主はより公平でインクルーシブであることを求められている。3分の2の労働者が、自社が多様性、公平性、インクルーシブ性を向上させていくことは自分にとって重要だと回答している。一方で自社が実際にそうしていると感じている割合は、まだ3分の1に過ぎないのが現状だ。
給与水準の透明化を義務付ける法律が次々に整備されていることは、今日のポストコロナの経済回復の流れに不可欠なものだ。そして女性や有色人種、低賃金労働者などこれまで恵まれない条件下に置かれていたグループが、正当な権利と公平な給与水準の元で働ける環境を整えることが、パンデミック時代の経済再興の大きな力となることが期待されている。
文:平島聡子
編集:岡徳之(Livit)