「谷根千」という言葉をメディアで見かけることが多くなった。このエリアを散歩してみると、新しくできた飲食店に出合うことが多い。活気を得つつある街は、歩いているだけでなんだかワクワクする。もし谷根千に住んでみれば、その盛り上がりを肌で感じることができるだろう。

昨年、そんな谷根千に一件の八百屋がオープンした。「今の時代に八百屋なんて」と思うかもしれない。その八百屋を営む「VEGERY」は、九州のオーガニック野菜を扱うデリバリーサービスを運営するスタートアップだ。

「急成長を志す(という印象が強い)スタートアップが、なぜ地域に根ざした八百屋を?」

そんな疑問を抱きながら、VEGERYの店舗に取材する機会をもらった。開店準備中の店舗の前でしばらく待っていると、VEGERYを提供する株式会社ベジオベジコ代表の平林聡一朗さんが迎え入れてくれた。

「店内で取材は難しいので」と、平林さんに案内され、近所のカフェに。VEGERYの店舗から歩いて1分ほどの場所にあるSigne Coffeeは、なんとVEGERYの元スタッフの方が店長をしているカフェだそう。店舗では実際にVEGERYの野菜を使ってランチの提供も行っていると、平林さんは嬉しそうに教えてくれた。

平林さんにVEGERYの話を聞いていく中で見えてきたのは、こだわりと成長を両立し、ユーザーと農家に真摯に向き合う企業としてのあり方だった。

平林 聡一朗(1991.06.18生)宮崎出身
宮崎県立大宮高等学校在学中にアメリカ合衆国オレゴン州Jefferson high schoolに1年間留学。高校卒業後は法政大学法学部政治学科に入学し国際政治を専攻。
大学3年次に株式会社ベジオベジコ(当時あらたな村)の代表取締役に就任。新規事業「VEGEO VEGECO」をスタートさせ1年で黒字化。

「宮崎産のさまざまな野菜を届けたい」事業転換を決意し、VEGERYリリースへ

VEGERYは、最短1時間で九州のオーガニック野菜が届くデリバリーサービスだ。一般的なECのリピート率が20%程度なのに対し、VEGERYは約57%を記録している。ユーザーが利用する1回の金額は平均5,000円に達する。

その人気の理由は、「1時間で野菜が届く」便利さや、野菜そのものの美味しさ。宮崎の珍しい野菜をInstagramに投稿するユーザーも多く、Instagram経由で注文するユーザーも増えているそうだ。

そんなVEGERYを率いる平林氏は、祖父が農材屋を営み、幼少期から農家は身近な存在だった。懸命に農作業に取り組む大人たちを見て育つうち、いつしか「地元の農業を盛り上げたい」という気持ちが強くなっていったという。

平林氏は大学進学を機に上京するも「地元の宮崎を盛り上げたい」という想いを心の中にずっと秘めていた。2010年頃、鳥インフルエンザや新燃岳の噴火などで宮崎の農業が危機に瀕す中、「自分も宮崎のために何かアクションを起こしたい」という使命感が芽生えていったという。

平林氏は大学を休学し、宮崎でインターンを決意。宮崎でECサービスを展開するアラタナにて事業に関わる中で、平林氏に転機が訪れる。

平林:アラタナの子会社が事業転換するタイミングで「代表をやらないか?」とアラタナの社長に声をかけてもらったんです。「農業をやりたい」と言い続けていた自分の想いを汲み取ってくれた形でした。自分がずっと関心があった農業とECをかけ合わせ、新しい事業を始められないか。そんな思いから事業を模索し始めました。

平林氏が子会社の代表に就任し、株式会社ベジオベジコと社名を変更。社名には、「ベジタブルを食べる男の子(ベジオ)、女の子(ベジコ)を増やしたい」という意味が込められた。

そんなベジオベジコが最初に手がけたのは、スムージー用野菜のデリバリーサービス「ベジオベジコ」だった。

平林:九州はマンゴーやミカンなどスムージーに最適なフルーツや野菜が取れやすいという地理的環境と、東京でのスムージーブームが追い風になり、最初はスムージー用の野菜とレシピのデリバリーサービス「ベジオベジコ」を手がけました。4年ほど事業を続ける中で「スムージーに使われる野菜以外も届けたい」と考えるようになったんですね。そのタイミングで事業のピボットを決意し、オーガニック野菜のデリバリーサービス「VEGERY」を立ち上げました。

事業をピボットしても変わらなかったのは、宮崎県を中心とした九州産の野菜をより多くの人に届けたい、という想いだ。地元である宮崎を盛り上げるために、平林氏は東京で事業に取り組み続けた。

目指すは「現代の三河屋」。サービスの“手触り感”を大事にする

2017年1月にVEGERYはリリースされ、時を同じくしてシードマネーも調達。

「ベジコベジコ」を運営していた際はWebサイトからの注文も受け付けていたが、VEGERYに事業ピボットを行ったタイミングで、アプリのみから注文を受け付ける決断をする。ECで「アプリのみ」にチャネルを絞る事業者は多くない。

だが、「スマートフォンが普及し、『1時間後に野菜が欲しい』と思ったユーザーはPCではなくアプリから注文するはず」という平林氏の仮説に基づき、アプリはリリースされた。

その日の料理で野菜を使えるように、VEGERYでは最短1時間で野菜を届けられる流通チャネルを構築している。その対象エリアは、港区・目黒区・渋谷区・世田谷区などに限られている。1時間という速さでの配送はできないものの、それ以外の地域への配送も行っている。

4年ほど「ベジオベジコ」の事業を続ける中で、この4エリアからの注文頻度が高かったため、まずは彼らにとって魅力的なサービスを提供することを目指した。

最短1時間での配送を実現するために、VEGERYでは宮崎の野菜農家からユーザーに届けるラストワンマイルまで、全て自社の流通網が担っている。

中でもユニークなのは、ラストワンマイルの部分。単に届けるだけではなく、ユーザーとのコミュニケーションを重視し、届ける際にデリバリースタッフが一言添える。手間はかかるが、そこには温もりがある。「現代の三河屋を目指したいんです」と、平林氏はその野望を教えてくれた。

平林:サザエさんにおけるサブちゃん、つまりは三河屋のような存在でありたいんです。通常の配送業者であれば、機械的にサインやはんこを押すだけで、そこにコミュニケーションはありません。VEGERYでは、どう食べると美味しいか、いま旬の野菜はなにか、そんな一言を添えることで、野菜を受け取ったほうが料理を食卓に出すときに、それが家族との会話のタネになるかもしれない。

デリバリースタッフには、将来的に農業分野で新しい取り組みを始めたい農大や農学部の学生が多い。彼らが自然とユーザーとのコミュニケーションを取るようになっていったという。

スタッフが若いためか「正月には顧客からお年玉をもらうスタッフ」もいるそうだ。「温かい輪が広がってきている感覚はありますね」と、平林氏は嬉しそうに語る。

ユーザーの声を丁寧に聞くことは事業にも活きてくる。VEGERYは農家からユーザーに届くまでの流通網を構築しているため、ユーザーの声を農家に伝える機会が多くある。その声があれば、農家もユーザーからのニーズが高い品目に集中し、生産効率を高めることができる。VEGERYが目指しているのは、ユーザーも農家も幸せにできるモデルだ。

農家にも、ユーザーにも信頼されるための「実店舗」

今回訪れた「VEGEO VEGECO 根津」がオープンしたのは、VEGERYが資金調達を行い、オーガニック野菜のECサービスに事業転換した2017年1月の同タイミング。店舗を開くにあたり、次のようなメッセージを込めた。

平林:大切にしたいのは、長く続くことなんです。農業は短期的に売上が伸びるというよりも、長く少しずつ売上が伸びていく成長モデルです。一歩ずつでも前に進む中で、そこにあることで安心感を与えられる店舗にしたかった。

店舗を開く場所を探す中で、日本一の魚屋とも評される『根津松本』の隣が空くことを知りました。『日本一の魚屋と一緒に日本一の八百屋を目指したい』そんな想いからこの場所を選んだんです。

「安心感」を与えたいのは、農家だけではない。野菜を自宅に届けるユーザーに対しても、店舗があることは安心感につながる。

平林:楽天やAmazonのような誰もが知っているサービスならば、玄関前に荷物を届けても不信感はないじゃないですか。でも、VEGERYの認知度はまだ高くない。店舗があることがユーザーから信頼される一因になっているんです

そこで平林氏は、配送拠点と店舗の場所を分ける決断をした。ブランドの看板となる店舗は根津に構え、港区や渋谷区などに野菜を届ける配送所は渋谷に構えた。

「最近も出店が増えているんです」と平林氏が語るように、「根津」というエリア自体も盛り上がりを見せている。新しく出店した店舗との交流も多く、ゆるやかなつながりが生まれているそうだ。今回伺ったSigne Coffeeも、もともとVEGEO VEGECO 根津で働いていたスタッフが立ち上げたコーヒー屋だ。エリアが盛り上がるに連れ、エリア外からお店に足を運ぶ人も増えている。

農家の継承問題を解決したい

独自の流通網を構築し、九州の野菜をユーザーに直接届けてきたVEGERY。彼らが次に進んだのは、生産工程の上流に位置づけられる「野菜の生産」だった。

VEGERYは2018年に入り、農業法人VEGERY FARMを設立。農業分野におけるDtoCサービスとして、自社栽培を行うことで収穫から配送までの日数を短く、中間手数料もかからない姿を目指した取り組みをスタートした。

栽培から配送まで一気通貫で行うことには、大きな利点がある。ユーザーとの接点があるからこそ、VEGERYはニーズが高い野菜に関する情報を持っている。その情報を野菜の生産段階に反映させることで、需要の高い野菜の生産を増やすことができる。

VEGERY FARMの利点は、ユーザーニーズを反映した野菜の栽培だけに留まらない。「農業人口の高齢化」という課題に対しても、VEGERY FARMの仕組みは効果を発揮する。

平林:僕たちがサービスを始めた頃に出会った75歳の農家の人は今は80歳になり、農業を続けるのが徐々に難しくなっています。VEGERYで販売していた漬物を作っていたおばあちゃんが腰を痛め、販売できなくなったこともあります。その漬物のファンの方が東京にはいたのに、もう販売できないと。農業に興味がある若者と農家をマッチングすることで、農家の方の土地や想いを継承していきたいんです。

VEGERY FARMでは新しく農地を買い取るのではなく、VEGERYの取引先の農家が余らせている土地でVEGERYのスタッフが野菜を育てる。「畑のシェアリングエコノミー」だと、平林氏は表現する。

平林:農業の課題のひとつに、定番以外の野菜を作りにくいことがあります。JAに卸し、関東や関西に輸送することを考えると、ある程度の量を生産し、それが売れる定番野菜を生産するインセンティブが働きやすい。宮崎ならば、きゅうりやピーマンのような特産品ですね。農家の方は売るためにピーマンを作り続けますが、本当は作りたい野菜がほかにあることも多いんですよ。

VEGERY FARMでは、VEGERYの流通ルートで野菜を届け、ユーザーデータから野菜が売れる量をある程度は予測できるため、定番以外の野菜の生産も可能になる。

平林:VEGERYではカボチャやオレンジ色のカリフラワーなど、定番以外の野菜でも飛ぶように売れるものが存在します。そういった野菜を農家さんに提案して、畑で一緒に作っていきます。

VEGERY FARMが最終的に目指すのは、野菜のトレンドと実生産の乖離をなくすことだ。たとえば、5年ほど前にアボカドがトレンドになったとしても、アボカドの木が成長するまでに約3年、そこから育てることにも時間もかかり、市場に出回り始めるのはトレンドの7年後になってしまう。

そのタイムラグをなくすために、VEGERYを通じて収集したデータを活用し、「次に流行る野菜はなにか」を明らかにし、先回りして生産していくことを目指している。

スピード感は持ちつつも焦らない。農家とともに事業拡大を目指す

VEGERYもスタートアップとしての成長を志向しつつ、自社のこだわりを大切にする。とりわけVEGERYの場合は「どうすれば農家とユーザーの両方を幸せにできるか」という視点でサービスに取り組んでいるように感じられる。取材の最後に「農業分野に取り組むスタートアップとして大事にしていること」を平林氏に伺ってみた。

平林:10倍や100倍の成長を目指すスタートアップのあり方は、農業と相性が良くないんです。成長を志したとしても、いきなり土地や生産量を増やすことは難しいですから。もし事業がうまくいかなくなったときに、いきなり生産量を減らすなんて無責任すぎます。『人を採用し、土地を買って、もう作り始めているよ』となってしまうから。

VEGERYは徐々に売上を伸ばしながら、農家との信頼関係を築いてきました。その中でVEGERY FARMのような取り組みを通じて、農家の支援も始めています。事業としてスピード感を持って成長しつつ、焦りすぎないようにバランスに気をつけていきたんですよね。

Photographer : Kazuya Sasaka