屋台のデジタル化、シンガポールのDX取り組み

国土面積725平方キロメートル、人口約560万人のシンガポール。東京23区(627平方キロ)と比較されることが多い東南アジアの島国。国土、人口ともに小さな国であるが、その分、政策における意思決定/実行のスピードや国民全体のコンセンサスの醸成に関しては、他国を上回る場面が多い。

デジタル・トランスフォーメーション(DX)の取り組みでも、そのような傾向が観察される。

シンガポールが国を挙げてデジタル化の取り組みに本格的に乗り出したのは2014年末頃。同国リー・シェンロン首相は2014年11月、シンガポールがテクノロジー国家として世界をリードするため「スマート国家」イニシアチブを発表。このスマート国家イニシアチブの一環で、政府機関や企業のデジタル化を促進するテクノロジー予算を組んだほか、政府組織を改変するなどし、国家主導のDX取り組みを本格化させたのだ。

具体的な取り組みとしては、公共交通機関やホーカーセンター(屋台)のキャッシュレス化が挙げられる。公共交通機関に関しては、もともと鉄道とバスをシームレスに利用できる電子カード「EZ Link」が普及していたが、これにデビット/クレジットカードも利用できるようにした。さらに現在は、Eクレジットカードを通じてスマートフォンのみでも利用できるようになっており、デジタル支払い方法の多様化が進んでいる。

ホーカーセンターでもデジタル支払いシステムの導入が始まったが、高齢者が運営しているケースが多く、デジタル支払いの導入は交通分野に比べ遅れていたと思われる。しかし、新型コロナの発生とサーキットブレーカー(シンガポール版ロックダウン)の発動で状況は大きく変化した。

シンガポールのホーカーセンター

シンガポール政府は2020年5月末、新型コロナの影響を受けている中小企業/事業主のデジタル・トランスフォーメーションを促進するために、5億SGドル(約380億円)の支援を表明。中小企業/事業主の中でも特に影響を受けている飲食業やリテール業のオンライン支払い/デリバリー/Eコマースシステムの導入を支援するものだ。シンガポール政府が5月26日に発表した新型コロナ禍救済支援「Fortitude Budget」の一環。

同施策では、ホーカーセンターなどの飲食店におけるQRコードシステム導入に1500SGD(約12万円)が支給されるなどした。このQRコードを店先に掲げておくことで、客は複数のスマホアプリでデジタル支払いが可能となる。

QRコードを掲げるホーカー

テックメディアZDNetによると、5月末時点では、19のプロバイダ(アプリ)を通じて支払いができるという。その中には、配車サービスGrabが運営する「GrabPay」やシンガポール銀行最大手DBSが運営する「PayLah」などが含まれている。これにより利用者は、よく使うアプリでQRコードを読み取るだけで、簡単に支払いができるようになった。

この飲食店におけるデジタル支払いシステムの普及には5年ほどかかると見込まれていたが、パンデミックの影響で数週間で全土に広がったという。今では、ほとんどのホーカーセンターでデジタル支払いが可能だ。

飲食分野ではデジタル支払いのほか、オンラインデリバリーの仕組みを導入する店舗が急速に増加。上記の政府支援もあり、GrabFoodなどを通じてホーカーセンターからもデリバリーを頼むことが可能となった。

シンガポールのフードデリバリー

また、デジタル支払いに関しては、上記のようなプロバイダを通じた支払いのほか、ビジネス相手と直接的に銀行口座間のやり取りができる「PayNow」という仕組みも普及している。

PayNowは、シンガポール銀行協会(ABS)が2017年に開始したピアツーピアの送金サービス。2018年には「PayNow Corporate」という法人向けのサービスが導入された。銀行口座に登録されている電話番号かID、またはQRスキャンのみで簡単に口座間の送金ができる仕組み。利便性は非常に高いものの、大きな話題になることは少なかった。しかし、新型コロナの影響で注目が集まる格好となった。

上記の政府支援では「PayNow Corporate」を導入する飲食企業とリテール企業に最大で5000SGDが支給されたということもあり、この数カ月間で一気に普及が進んだようだ。

デジタル支払いが最も普及するシンガポール

シンガポールの飲食やリテール分野におけるデジタル支払いの普及が進んでいることは他国との比較でより明確になる。

Consultancy.orgが伝えたデジタルコンサルティング企業ピュブリシス・サピエントのレポート(2020年8月)によると、米国、カナダ、オーストラリア、英国、シンガポールの5カ国比較で、シンガポールがデジタル支払いに最も適応していることが判明。

「店舗でデジタル支払い(contactless payment)が可能な場合、どれほどの頻度で、デジタル支払いの手段を選択するのか」という質問で、「毎回」または「ほとんど毎回」という回答割合は、米国26%、英国32%、カナダ41%、オーストラリア44%だったのに対し、シンガポールは49%で最大となったのだ。

デジタル支払いの手段で、最も利用されているのは「タッチ型クレジットカード」。利用率を国別に見ると、シンガポールが63%で最大。これにオーストラリア53%、カナダ52%、英国37%、米国24%が続いた。

「QRコード」に関しても、国別利用率ではシンガポールが最大で、その割合は30%だった。このほか、米国16%、オーストラリア15%、カナダ14%、英国10%だった。

シンガポールDXの中心機関「GovTech」の動向

シンガポールのデジタル化はスマート国家イニシアチブのもとに進められているが、その取り組みの中心的な存在が「GovTech」と呼ばれる首相官邸傘下の機関だ。

GovTechは2018年6月に国のデジタル・トランスフォーメーションの具体的な目標を掲げた「Digital Government Blueprint」を発表。同年から5年後の2023年までに実施する取り組みとKPIを定めている。

たとえば、上記で言及した飲食やリテール分野などのデジタル支払いに関しては、2023年までに100%の普及率を目指すとしている。

このGovTech、2020年中に中小企業のデジタル・トランスフォーメーション促進に35億SGD(2700億円)を投じる計画を発表。さらなるデジタル化の加速が見込まれる。

英The Economist誌が2018年に公表した「Digital Transformation Index」アジアランキングで1位だったシンガポール(2位は日本)、その地位をどう強固なものにしていくのか、今後の動向に注目が集まるところだ。

文:細谷元(Livit