「つながる」の次へ。GSMA最新レポートから読み解く、アジア太平洋のモバイル経済と日本の可能性
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アジア太平洋地域では、モバイル技術が通信インフラの枠を超え、経済成長や企業のデジタル化を支える基盤として存在感を高めている。
モバイル通信業界の国際団体であるGSMAの最新レポート「The Mobile Economy Asia Pacific 2026」によると、2025年にモバイル技術・サービスが同地域に生み出した経済価値は約1兆ドルに達し、2030年には1.4兆ドルまで成長する見通しだ。そして5Gの展開が進むにつれて、ネットワークの普及から、AIや企業向けサービスといった新たな事業や生産性向上へと焦点が移りつつある。
こうした成長機会を現実のものにするためには、安心してデジタルサービスを利用できる「信頼」と、災害や電力不足、サプライチェーンなどの混乱が起きても通信を維持する「レジリエンス(強じん性)」も欠かせない。
本記事では、GSMAのレポートと、2026年9月2日に開催され、同レポートについて議論されたオンラインラウンドテーブルで語られた内容を紹介する。同イベントに登壇したGSMA アジア太平洋地域責任者のJulian Gorman(ジュリアン・ゴーマン)氏と同地域公共政策・渉外担当責任者のJeanette Whyte(ジャネット・ホワイト)氏の発言を交えながら、アジア太平洋のモバイル経済と日本の現在地を読み解く。
経済効果が1兆ドルから1.4兆ドルへ。成長するアジア太平洋のモバイル市場
アジア太平洋地域の経済は、世界と比較して高い成長を続けている。2025年の実質GDP成長率は4.2%で、世界平均の3.1%を上回った。個人消費の伸びやインフラ投資、東南アジアを中心としたサービス産業の拡大が牽引しており、その背景にあるのがデジタル化だ。
ゴーマン氏は、「モバイル経済の成長スピードは、実体経済の2〜3倍、時には4倍にもなります。アジア太平洋地域の成長において、デジタル技術が果たす役割は極めて大きいです」と語る。
その経済的なインパクトは数字にも表れている。前述のとおり、アジア太平洋地域のモバイル経済効果は、2025年の約1兆ドルから2030年には1.4兆ドル(GDP比6.7%)へと拡大する見込みだ。ただし、この数値を単純に通信事業者の売上増と捉えるべきではない。

「最大の成長は、モバイル技術によって可能になる産業変革です。通信事業者の収益はその一部にすぎません」
ゴーマン氏がそう説明するように、成長の中心はモバイル技術を活用する幅広い産業である。なかでも大きな影響を受けているのが製造業だ。AIとモバイル技術の融合によるアナログからデジタルへの移行だけでなく、工場そのものの設計や運用方法まで変化していくことが期待されている。
「つながる」の先にある、10億人を阻む「利用ギャップ」の壁
アジア太平洋地域では、モバイルネットワークの整備とともに、5Gへの移行も加速している。2030年には5G接続数が約15億件に達し、同地域のモバイル接続の約半数を占める見通しだ。
加えて、4Gや5Gの通信圏外にいる人の割合も、アジア太平洋地域全体で約2%まで縮小し、ほぼすべての地域が接続圏内に入っている。これは通信事業者による長年の設備投資の成果だろう。
一方で、5Gの普及状況には地域差があり、日本などの先進市場では普及率が91%に達すると予測されるのに対し、インドは62%、東南アジアは43%にとどまる。

また、通信圏内にいながらモバイルインターネットを利用していない人の割合を示す「利用ギャップ(Usage Gap)」は35%に上り、10億人以上が接続の恩恵を十分に受けていないことが明らかになっている。端末や通信料金の負担、デジタルリテラシーの不足、安全性への不安、そして魅力的なローカルサービスの不足などが要因だ。

ネットワークの拡大だけでは利用ギャップの解消には不十分であり、つながる環境にいる人々がデジタルサービスを利用し、経済や社会に参加できる環境をつくることが次の課題となっている。
こうした課題を乗り越え、より多くの人がデジタルサービスを活用できるようにすることは、社会的な意義にとどまらず、経済成長にもつながる。ゴーマン氏は、誰もがモバイル接続の恩恵を享受できる環境を整えることが、今後の経済成長を支える前提条件となるという見解を示した。
AIが5Gの収益化エンジンに。変わり始めた通信事業者の役割
こうした変化の中心にあるのがAIだ。
レポートでは、今後の主要トレンドの一つとして「AIによる5Gの収益化」を挙げている。これまで通信事業者にとって重要だったのは、基地局を整備し、より広いエリアに高速な通信環境を提供することだった。しかし、5Gの普及が進む現在、その役割は変わりつつある。
通信事業者は、従来の通信回線を提供する“ビットパイプ”の役割から、エッジコンピューティングやソブリンクラウド、AIなどを組み合わせ、より付加価値の高いサービスを提供する存在へとシフトしている。
また、通信品質や本人認証などのネットワーク機能を、外部企業のサービスに組み込む「ネットワークAPI」の活用も進む。GSMAは、こうした仕組みを国や通信事業者を越えて利用できる「Open Gateway」を推進している。
ゴーマン氏は、「通信事業者の持つネットワーク機能を企業や開発者に提供することで、新たなサービスやイノベーションを生み出すだけでなく、産業におけるテクノロジー活用のあり方そのものを変えています」と語る。
5Gの価値は、通信速度や遅延の改善だけではない。AIやクラウド、ネットワークAPIなどと組み合わせることで、製造をはじめとするさまざまな産業の仕組みを変える可能性を秘めている。
一方で、AIの活用には、詐欺や不正利用の高度化をはじめとする負の側面も考えられる。これに対し、ホワイト氏は、「AIの負の側面だけでなく、社会にもたらす恩恵も踏まえ、バランスの取れた対応が必要だ」と指摘する。AIによる成長機会を生かすためにも、その活用を支える信頼とガバナンスが欠かせない。
AI時代の成長を支える「信頼」と「レジリエンス」
GSMAがもう一つの重要なトレンドとして挙げるのが「トラスト・バイ・デザイン」だ。
問題が起きてから対応するのではなく、デジタルサービスやネットワークを設計する段階から信頼性を組み込む考え方である。AIやデジタルサービスの利用拡大に伴い、デジタル詐欺やサイバー攻撃といった新たなリスクも高まっており、その対策が急務となっている。
この信頼性が意味するところは、セキュリティだけでなく、ネットワークの安定性や持続可能性も含まれる。ゴーマン氏は「気候変動や国際社会の分断、サプライチェーンの混乱などは、モバイル技術を基盤とするデジタル経済が直面している新たな課題です」と指摘。どのような状況でも通信を維持するレジリエンスの重要性を強調した。
その点で、ゴーマン氏が先進的な事例として挙げたのが日本だ。自然災害への対応を重ねてきた日本では、低軌道衛星、電力の冗長化、災害時の事業者間ローミングなど、通信を維持するための取り組みが進んでいる。
災害対応から海外展開まで。世界に先駆ける日本の通信技術
こうしたレジリエンスの面で先進的な取り組みを進める日本は、モバイル市場全体で見ても、アジア太平洋地域をリードする存在だ。
日本はこれから5Gを普及させる段階ではなく、世界に先駆けて整備してきた通信基盤を、どのように次の成長へとつなげるかが問われている。
GSMAのレポートによると、日本のスマートフォン普及率は約85%、成人のモバイルインターネットの利用率は推定93%、5Gの人口カバー率はすでに95%を超え、2030年にはほぼ100%に達する見通しだという。
さらに、企業向けアプリケーションや、5Gスタンドアロン(SA)の導入、オープンネットワーク(Open RAN)といった先進的な取り組みでも日本の通信事業者が市場を牽引している。

ゴーマン氏も、通信事業者がAIや半導体などの領域へ事業を広げている点を日本の強みとして挙げた。日本の課題は通信インフラの不足ではなく、すでに整っている高い普及率を持つ通信基盤と、ネットワーク運用で培った知見を生かし、いかに産業変革や海外市場での価値創出につなげられるかにある。
こうした技術は、海外市場でも生かされ始めている。ゴーマン氏はその例として、NTTドコモとNECの合弁会社OREX SAIが、インドネシアのSURGEと進める5G FWA事業を挙げた。
5G普及の先へ。日本がつかむ次の成長機会
「The Mobile Economy Asia Pacific 2026」が示しているのは、モバイル産業のみの成長予測にとどまらない。通信ネットワークを基盤にAIがさまざまな産業の生産性を高め、信頼性とレジリエンスがデジタル社会を支えるという、新しい経済の姿だ。
通信インフラが整備された日本にとって、次に問われるのは、その基盤を具体的な事業価値へ転換することである。製造業のデジタル変革、AIによる新サービス創出、災害対応で培ったレジリエンスの海外展開——。日本が培ってきた技術や知見は、アジア太平洋、そして世界が直面する課題の解決に貢献する大きな力となる。
一方、AIの普及に伴うリスクへの対応やデータガバナンス、詐欺対策、災害対応といった課題は、一つの企業や国だけでは解決できない。GSMAは、政府・通信事業者・テクノロジー企業をつなぎ、国境を越えたルールや技術基盤の形成を進めている。日本の技術や知見を国内外で生かすためにも、企業や業界の枠を越えた連携が欠かせない。
通信環境が広く普及した今、問われるのは既に持っている基盤をどのように社会の成長エンジンへと高められるかどうかだ。日本の真価は、その実行力にかかっている。