退職代行の次は「辞めさせるDX」へ──海外で進む「オフボーディングSaaS」と日本が取り残される理由
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退職代行サービスが広がり、「辞める側」の選択肢は確実に増えた。しかしその裏側で、「辞めてもらう側」の現場はどう変わっているのか。この問いはこれまでほとんど言語化されてこなかった。
社員や業務委託との契約を終了する判断や手続きは、企業側にとって心理的にも実務的にも負担が大きい。だが海外では、この領域はすでに「オフボーディング」という概念で整理され、さらにSaaS(Software as a Service、インターネット経由で利用するクラウド型ソフトウェア)としてプロダクト化されつつある。
本稿ではその実態をたどりながら、「人材の切り方」がどのように変わり始めているのかを考察する。
オフボーディングはなぜ重要なのか
オフボーディングとは、従業員や契約人材が企業を離れる際の一連のプロセスを指す。退職、解雇、契約終了など、企業との関係を終了するあらゆるケースが対象であり、単なる手続きではなく、法務・IT・人事が関わる複合的な業務である。
このプロセスは長らく軽視されてきたが、近年その重要性が急速に認識されている。例えば、約70%の企業が体系化されたオフボーディングプロセスを導入しているという調査結果もある。
また、オフボーディングの不備は具体的なリスクを伴う。ある調査では、退職者の25%が退職後も勤務先のシステムへのアクセス権を保持していたというデータがある。さらに、20%の企業が元従業員に起因するセキュリティ侵害を経験している。
つまり、オフボーディングは単なる「別れの手続き」ではなく、「企業のリスク管理」そのものである。
“人材の切り方”がSaaSになった
こうした背景のもと、海外ではオフボーディングがSaaSとして急速にプロダクト化されている。
代表例の1つが、DeelやRipplingといったHRテック企業である。これらの企業が提供するサービスは、雇用契約管理から給与処理、ITアカウント管理までを統合。そして、従業員の離脱時にはアカウントの一括停止、デバイスの回収とデータ消去、最終給与や契約終了処理、法規制に応じたドキュメント生成といった処理を自動化する。
特にDeelは130カ国以上でオフボーディング対応のサービスを提供しており、国ごとの法規制を踏まえた処理を一元化している。
また、IT領域では「Okta」や「Microsoft Intune」のようなIT管理サービスが、退職と同時にシステムアクセスを自動的に無効化する仕組みを提供している。これにより、人的ミスによるセキュリティリスクを最小化できる。
重要なのは、これらのサービスが「解雇を代行している」のではなく、「解雇に伴うプロセスを標準化・自動化している」点である。
なぜ今プロダクト化が進んでいるのか
オフボーディングSaaSの普及には、いくつかの構造的要因がある。
第一に、リモートワークの導入拡大である。地理的に分散したチームでは、手動でのアクセス管理や機材回収が困難になり、自動化された仕組みが不可欠だ。
第二に、業務用SaaSの増加である。現代の従業員は複数のクラウドサービスにアクセスしており、退職時にはそれらすべての権限を適切に管理する必要がある。こうした複雑性は、人による管理だけでは対応しきれない。
第三に、法規制とコンプライアンスの強化である。個人情報保護や労働法規制の強化により、企業は「正しく辞めさせる」責任をより強く問われるようになった。
こうした背景から、オフボーディングSaaS市場は年平均8%以上で成長しているとされる。なかでも、クラウド型サービスはすでに市場の約67%を占めており、今後も拡大が見込まれている。
日本でオフボーディングSaaSが広がらない理由
一方で、日本ではオフボーディングという言葉自体がまだ一般化していない。その理由は単純ではなくいくつかの背景がある。
その1つが、文化的要因だ。日本企業では「辞めさせる」という行為自体が強く忌避される傾向があり、社員や業務委託との契約をどのように終了させるかという課題が、上司や人事担当者個人のコミュニケーション能力に委ねられやすい。
加えて、制度的要因も挙げられる。日本では解雇規制が厳しいため、企業は解雇の際のプロセスを形式化するよりも、慎重な個別対応に頼る傾向がある。
さらに、認知の問題も大きい。オフボーディングはオンボーディングに比べて投資優先度が低く、サービス導入の対象として見られてこなかった。その結果、日本では「人材を辞めさせる」という行為が、いまだに属人的スキルとして扱われる傾向が強い。
それでも変わり始めている
しかし、この状況は長く続かない可能性が高い。人材の流動化や、業務委託の増加、リモートワークの定着により、企業と個人の関係はより短期的かつ可変的になっている。実際、アメリカでは年間数百万人規模での離職が発生しており、離脱管理は日常業務の一部となっている。
こうした環境では、「どのように人材を獲得するか」だけでなく、「どのように関係を終了するか」も経営上の重要な論点となる。
オフボーディングSaaSは、その変化に対する1つのアプローチである。ITサービスは、人の感情や関係性を完全に代替することはできないが、少なくともプロセスの設計や標準化を支援することは可能だ。
「代行」ではなく「設計」の時代へ
退職代行が「辞める側へのサービス」であるのに対し、オフボーディングSaaSは「辞めさせる側へのサービス」である。しかし両者の本質は異なる。
退職は「権利」であり、代行が成立する。一方で解雇は「責任」を伴うため、完全な代行は成立しにくい。だからこそ海外では、行為そのものではなく、そのプロセスが分解され、プロダクト化された。
この違いは重要である。解雇は代行できないため、そのプロセスを設計・標準化するという発想が、オフボーディングという新しい領域の本質なのだ。
企業はこれまで「採用の技術」に投資リソースの多くを割いてきた。しかし今、静かに「関係を終わらせる技術」の重要性が問われ始めている。オフボーディングSaaSは、その変化を最も象徴するプロダクト領域である。日本においても、この領域が顕在化するのは時間の問題かもしれない。
文:岡 徳之(Livit)