AIで“サイバー攻撃が誰でも可能”に? 公開中止された「Mythos」が変えるセキュリティの前提
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Anthropicが開発したAIモデル「Mythos Preview(以下、Mythos)」が、「危険性が高すぎる」という理由で一般公開を見送られた。AIの公開が性能ではなくリスクを理由に止められるのは異例である。
しかし、この判断は決して過剰ではない。実際に行われたテストでは、このモデルは主要なOSやブラウザを対象に解析を行い、数千件規模の脆弱性(ゼロデイ)を発見したと報じられている。中には数十年放置されていた欠陥も含まれていた。
さらに重要なのは、その次の挙動である。Mythosは脆弱性を見つけるだけでなく、それをどう組み合わせれば侵入できるかを分析し、実際にOSやブラウザの権限奪取に至る攻撃手順を構築したとされる。
また、本来は外部と隔離されているサンドボックス環境において、制約を回避しようとする挙動も確認された。これは従来の生成AIとは異なり、目的を理解した上で「どうすれば達成できるか」を考え、具体的な手順まで設計するシステムである。
AnthropicはMythosを完全公開せず、「Project Glasswing」と呼ばれる枠組みのもと、限られた組織にのみ提供している。
正確な参加企業は公開されていないが、報道ではGoogle・Microsoft・Appleなどの大手テック企業が関与している可能性が指摘されている。対象は約40の信頼された組織に限定されており、用途も防御目的に絞られている。
Mythosとは防御のために生まれたAI
Mythosは、一般的な生成AIとは目的が異なる。文章や画像を生成するのではなく、サイバーセキュリティに特化したAIである。システムやソフトウェアを解析し、脆弱性を発見することを主目的として設計された。
その背景にあるのは、深刻なセキュリティ人材不足だ。高度な脆弱性を発見できる専門家は世界的に不足しており、多くの企業やインフラが「守り手不足」に直面している。Anthropicはこの課題に対し、AIによって防御側の能力を補完するという発想から開発を進めた。
つまり本来Mythosは、防御のためのAIである。しかし、その能力は防御と攻撃の境界を曖昧にする。脆弱性を見つける力は、そのまま攻撃にも転用できるからだ。
一般的なAIとの違い なぜここまで強力なのか
従来の生成AIは、与えられた情報をもとに答えを生成する存在である。一方でMythosは、対象を解析し、問題を発見し、行動を設計する。
特徴は3つある。第一に、探索能力である。システムの中から弱点を自ら探し出す。第二に、連鎖的な推論能力である。複数の脆弱性を組み合わせ、侵入経路を構築する。第三に、実行可能性の評価である。理論ではなく、実際に成立する手順を組み立てる。
これらを支えているのは、過去の脆弱性データや攻撃事例の学習に加え、複数ステップで思考を進めるエージェント的な構造であると考えられている。「調査→仮説→検証→修正」というプロセスを繰り返すことで、単なる回答ではなく実行可能な手順を導き出す。
結果としてMythosは、「答えを出すAI」ではなく「問題解決プロセスを設計するAI」へと進化しているのだ。
攻撃の民主化 “誰でもできてしまう”という変化
この変化が意味するのは、サイバー攻撃の構造そのものの変化である。従来、攻撃は高度な専門領域だったが、MythosのようなAIによって、攻撃は「スキル」から「操作」へと変わりつつある。
これは極めて重要な変化だ。これまでであれば、システムに侵入するにはOSやネットワーク、認証の深い理解が必要だった。しかし今後は、「どこが弱いか」「どう攻撃するか」をAIが提示する。
極端にいえば、専門知識のない人でも“それらしい攻撃手順”にアクセスできる状態が生まれつつあるのだ。
この影響はすでにビジネスの現場に及んでいる。マーケティングでは複数のSaaSがAPIで連携されているが、その接続部分は攻撃の入口になる。営業部門では顧客データが集中しており、アクセス管理の隙が侵入口になる。
さらにサプライチェーンでは、取引先を経由した侵入が増えている。自社が守っていても、他社経由でセキュリティが破られる構造が一般化している。
生成AIという新たなリスク 判断が個人に委ねられる
もう1つの変化は、私たち自身の行動である。AIの活用によって業務効率は大きく向上したが、その一方で新たなリスクも生まれている。
例えば、顧客情報や社内資料をそのままAIに入力するケースである。「この情報は安全か」「学習に使われるのか」という問いに対して、私たちは明確な答えを持たない。サービスごとにデータの扱いは異なり、利用者が完全に把握することは難しい。
つまり、リスクの判断が個人に委ねられる時代に入ったということだ。技術の問題ではなく、日々の意思決定の問題なのである。
守るためには前提を変える必要がある
この状況で重要なのは、完璧な防御ではなく前提の転換である。データの共有範囲を見直し、アクセス権限を適切に設定する。ツール連携を把握し、不要な接続を減らす。違和感を無視しない。
そして最も重要なのは、「攻撃される前提で備える」という発想である。完全に防ぐことが難しい時代においては、被害を最小化し、迅速に回復できる体制が競争力になる。
AnthropicはMythosの公開を中止したが、同様の技術が広がるのは時間の問題だ。報道では、今後6〜18カ月以内に同レベルのAIが他社から登場する可能性が指摘されている。
セキュリティは教養になる
Mythosが示したのは、AIの進化ではなくビジネス環境の変化である。サイバー攻撃は専門領域から、誰もが関わり得るものへと変わった。それに伴い、防御もまた変わる。
セキュリティはIT部門の仕事から、全社員の基本動作へと移行している。この前提を理解しているかどうかが、これからの企業と個人の差を分けるだろう。
技術を完全に理解する必要はない。しかし、AIやサイバーセキュリティで何が起きているのかを理解し、自分の仕事に引き寄せて考えることが、これからのビジネスパーソンに求められる新しい教養である。
文:岡 徳之(Livit)