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アディダスが「靴の片足販売」をスタート イノベーションは“新しさ”から“価値の再配置”へ

「靴は左右で1セット」という常識を破った——。アディダスがヨーロッパで開始した「片足のみ購入できるサービス」は、こうした文脈で“イノベーション”として報じられている。

実際、同取り組みを紹介した海外メディア「Trend Watching」でも、「靴は両足セットで売られるもの」という前提を覆した点が評価されている。

しかし、この評価には少し違和感も残る。なぜなら、片足だけを販売するという仕組み自体は、これまでも存在していたからだ。

では、今回の取り組みの本当の価値はどこにあるのか。本記事ではこのズレを起点に、「常識は何を変えたかではなく、“誰が・どの形で実装したか”によって価値になる」という構造を読み解く。

アディダスは何を始めたのか

アディダスがヨーロッパで開始したのは、必要な片方の靴だけを半額で購入できるサービスだ。主に脚に障がいを持つ人々を対象とし、左右どちらか一方のみを選んで購入できる仕組みになっている。

このサービスは2026年1月から、ヨーロッパ22カ国のアディダス直営店舗で展開されており、店頭に並ぶすべての在庫商品を対象に適用される。特定のラインや限定商品ではなく、通常の販売ラインの中で利用できる点が特徴だ。

また、この取り組みは企業側の発想だけで生まれたものではない。パラリンピック関連団体などと連携し、実際に生活している当事者の声をもとに設計されたサービスでもある。

これまで靴は「左右で1セット」として販売されるのが前提だったため、片足のみを必要とする人であっても、もう一方を含めて購入せざるを得なかった。今回の取り組みは、この構造そのものを見直したものだと言える。

そして重要なのは、このサービスが単なる“配慮”や“特別対応”ではなく、既存の販売モデルの中に組み込まれている点にある。つまりこれは、「例外への対応」ではなく、プロダクトと流通の前提そのものを再設計した取り組みである。

実は新しくない。それでも価値が変わる理由

片足だけを販売するという仕組みは、これまでも存在していた。日本を含め、義足ユーザー向けの専門店などでは、同様の対応が行われている。

つまり、「片足販売」というアイデアそのものは、新しくない。それにもかかわらず、今回の取り組みが“イノベーション”として語られるのはなぜか。その違いは明確だ。

これまでの片足販売は、「必要な人が、特定の場所でアクセスするもの」だった。いわば“特別な対応”であり、社会全体の選択肢としては可視化されていなかった。

一方でアディダスは、この仕組みをグローバルブランドとして、通常の販売チャネルの中で実装した。つまり、「誰でもアクセスできる選択肢」として提示したのである。

同じアイデアであっても、それが「限られた専門店で提供されるのか」「グローバルブランドによって広く展開されるのか」によって、その意味は大きく変わる。

アディダスの取り組みが示しているのは、価値は“アイデアそのもの”ではなく、“実装のスケールと文脈”によって決まるという事実だ。

片足販売は新しい発想ではない。しかしそれを「当たり前の選択肢」として社会に提示したことが、新しいのである。

見えていなかったのは「ニーズ」ではなく「設計」

では、なぜこの価値はこれまで広がってこなかったのか。理由はシンプルだ。企業のプロダクト設計が、「標準化」と「効率化」を前提としてきたからである。

たとえば靴の販売は、サイズごとに左右セットで在庫を持ち、価格を設定し、流通させる仕組みで成り立っている。こうした前提は、製造・物流・販売のすべてにおいて合理的だ。しかしこの仕組みは同時に、「左右で1セット」を前提としないニーズを排除する構造でもある。

片足だけを必要とする人の存在は、決して見えなかったわけではない。実際には、専門店などで対応されてきたように、ニーズ自体は長く存在していた。それでも広く普及しなかったのは、そのニーズが既存の設計の中に“組み込めなかった”からだ。

たとえば、片足販売を前提にすると、在庫管理は左右別で持つ必要がある。また、サイズごとの組み合わせが複雑になり、価格設定や返品ルールも再設計が必要になるだろう。こうした変更は、従来の効率的な仕組みと相反する。

結果として企業は、そのニーズを「例外」として扱い、標準の設計には取り込んでこなかった。つまり、問題はニーズの不在ではなく、「既存の仕組みに適合しない」という理由で設計から排除されていたことにあるのだ。

アディダスの取り組みは、この前提を見直した点に意味がある。それは新しいニーズを発見したのではなく、既存の設計の外に置かれていた価値を、内側に取り込んだ行為だと言える。

なぜ今、それが価値になるのか

こうした取り組みが今、注目される背景には、企業を取り巻く環境の変化がある。これまでのプロダクト設計は、「より多くの人に同じものを届けること」が前提だった。大量生産・大量消費の時代においては、標準化と効率化こそが競争力だったからだ。

しかし現在は、その前提が揺らいでいる。市場は成熟し、機能や価格だけでは差別化が難しくなっている。その中で企業に求められるのは、「どれだけ多くの人に売るか」だけでなく、「どのニーズを取りこぼさないか」という視点だ。

さらに、SNSやコミュニティの影響によって、これまで可視化されてこなかったニーズや不便さが広く共有されるようになった。企業が見過ごしてきた“例外”は、もはや見えない存在ではなくなっている。

こうした環境の中で、アクセシビリティやインクルーシブデザインは、単なる配慮ではなく、ブランドの姿勢そのものを示す要素へと変化している。実際、企業がどのような人を前提にプロダクトを設計しているのかは、商品そのものと同じくらい強く評価されるようになっている。

つまり企業は今、単なる商品提供者ではなく、「どのニーズを標準に含めるかを決める存在」へと変わりつつある。

アディダスの取り組みは、この変化の中で生まれたものだ。それは単なる機能改善ではなく、“誰を前提にするか”という設計思想そのものを示す行為でもある。

イノベーションは「新しさ」ではなく「再配置」

この事例が示しているのは、イノベーションの本質が変わっているということだ。重要なのは、新しいアイデアを生み出すことではない。すでに存在している価値を、どこに・どの形で配置し直すかである。

そしてそれを、例外ではなく「誰もが選べる当たり前」として設計できるかどうかが、企業の競争力になる。

常識は、壊しただけでは価値にならない。“誰が壊し、どのように実装するか”によって初めて意味を持つ。「まだ実装されていない価値」は、どこにあるのかが問われる時代となっている。

文:中井 千尋(Livit

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