空室率20.7%の衝撃 44兆円の「オフィスローン爆弾」が米金融を揺るがす
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空室率20.7%──統計開始以来の歴史的水準が意味するもの
日本と米国、リモートワークをめぐる実情は大きく異なることがオフィス不動産市場の数字で明らかになりつつある。
CBRE Japanによると、東京のオフィス空室率は2.5%、大阪2.6%、名古屋3.1%と、世界的にも低水準を維持しており、賃料も上昇傾向が続いている。
一方、米国では2025年第2四半期、オフィス空室率が20.7%という前代未聞の水準に達していることが判明した。リモートワークの浸透がもたらした変化は、もはや一時的なトレンドではなく、不動産市場の構造そのものを揺るがす地殻変動となっている。
この米国の数字は、1980年代後半から1990年代初頭の貯蓄貸付組合危機(S&L危機)で記録した19.3%を上回る、統計開始以来の最高値。しかも、この空室率は6四半期連続で過去最高を更新し続けており、下げ止まる兆しはない。リーマンショック時の混乱すら超える深刻さといえよう。
地域ごとに見ると、その実態はさらに鮮明になる。かつてテック企業の聖地として世界中から人材を集め、パンデミック前の2019年には空室率わずか8.6%だったサンフランシスコでは、27.7%まで跳ね上がった。金融の中心地ニューヨークのダウンタウン地区も23%、南部の成長都市シャーロットも同じく23%と、全米平均の20.7%を大きく上回る状況だ。
この状況を招いた主因は、リモートワークと慎重な出社方針にある。企業が従業員にオフィス復帰を求める「リターン・トゥ・オフィス」政策を打ち出しても、その効果は限定的。むしろマクロ経済の不透明感と、経営層がAI活用により利益率向上を図る動きが、雇用の増加を停滞させ、不動産拡張計画にブレーキをかけている。
さらに深刻なのは、連邦政府によるオフィス需要の縮小だ。ワシントンD.C.では、2025年前半だけで連邦政府が85万平方フィート(約7万9,000平方メートル)のオフィススペースを削減した。ムーディーズの予測では、この連邦政府の撤退は今後数年にわたって緩やかに続くという。公的セクターまでもが縮小に動いているという事実が、市場全体に暗い影を落とす。
一方、パーソル総合研究所の調査によると、日本ではテレワーク実施率は22.5%で週1日以下が半数を占めるなどリモートワークは縮小傾向が続く。また、XYMAX総研の「大都市圏オフィス需要調査2025春」では、過去1年間にオフィスを拡張した企業が16.4%、縮小した企業が7.6%と、オフィス拡張が純増している状況が明らかになった。
米国はリモートワークが定着したことでオフィス需要が大幅に低下。一方、日本ではリモートワーク減少を背景にオフィス需要が堅調に推移する正反対の状況が生まれている。
44兆円規模の債務爆弾──金融システムを揺るがすオフィスローン危機
米国におけるオフィス空室の増加は、単なる不動産業界の問題にとどまらない。金融システム全体を揺るがすリスクを含み、地方自治体の財政を圧迫し、最終的には市民生活にまで影を落とす可能性がある。その連鎖の起点となるのが、オフィスローンの満期到来だ。
2027年末までに満期を迎えるオフィス関連ローンは2,900億ドル(約44兆円)に達する。これは全オフィスローン市場の3分の1に相当する規模だ。問題は、これらのローンの60%以上がパンデミック前の2020年より前に組成されたもので、当時の不動産評価額と現在の市場価値との間に大きな乖離が生じている点にある。
実際、オフィス不動産の価値はピーク時から30~35%も下落した。借入額を下回る資産価値では、借り換えはほぼ不可能に近い。貸し手側も、これまでのように返済期限の延長に応じる余裕がなくなりつつある。2025年に満期を迎えるローンの約45%は、すでに前年からの延長案件だという。
その結果、債務不履行が急増している。オフィス担保証券(CMBS)の延滞率は2024年に約600ベーシスポイント(6%)急上昇し、データ収集が始まった2000年以降で最速の増加を記録した。深刻なのは、この数字がリーマンショック時の金融危機を上回る水準に達している点だ。2025年前半だけでも280ベーシスポイント上昇し、記録的なペースで悪化が続いている。
特に打撃を受けているのが、オフィスローンを多く抱える地方銀行だ。銀行全体の商業不動産延滞率は2022年以降2.5倍に増加し、1.57%に達した。まだ管理可能な水準とはいえ、上昇トレンドに歯止めがかからない状況への懸念は払拭できていない。
さらに影響は自治体財政にも及ぶ。オフィス不動産の価値下落は固定資産税収入の減少を意味し、学校、公共交通、治安維持といった基礎的な公共サービスの財源を直撃する。サービス削減が都市の魅力を損ない、さらなるオフィス需要の減退を招く。この悪循環が現実のものとなりつつある。
転用革命とAIシフト──不動産業界が選んだサバイバル戦略
危機は転機でもある。空室だらけのオフィスビルを、どう活用するか。米国の不動産業界は、この難題に正面から取り組み始めた。その答えは、大きく2つの方向性に集約される。既存ビルの用途転換と、より堅調な市場への資本シフトだ。
最も注目を集めているのが、オフィスから住宅への転用である。米国では、全オフィス在庫の1.9%に相当する8,100万平方フィート(約752万平方メートル)のオフィススペースが転用計画もしくは工事中。わずか半年前の7,100万平方フィートから1,000万平方フィート増加し、転用の勢いは加速の様相を呈している。2025年には、前年比ほぼ2倍の7万700戸という記録的な住宅供給が見込まれている。
成功事例として際立つのがフィラデルフィアだ。老朽化したオフィスビル100万平方フィート以上を住宅に転用することで、中心部の空室率を20.4%に安定化させた。ニューヨークでは、ウォーターストリート25番地の22階建てビルを約1,300戸に転用する「SoMA」プロジェクトが、全米最大規模の転用事例として進行中だ。
だが、転用は決して万能薬ではない。オフィスビルは奥行きのある大きなフロアを持つため、自然光や換気が十分な住戸設計が困難になる。給排水や電気、空調システムの全面改修も必要で、建設コストは膨らみやすい。1970~80年代に建てられた大型フロアのビルは解体対象の半数以上を占める一方、転用案件では35%にとどまる。
もう1つの動きは、物流施設やデータセンターへの資本シフトだ。不動産投資信託(REIT)大手のプロロジスは、倉庫事業からデジタルインフラへと軸足を移し、80億ドル(約1兆2,000億円)を投じて20カ所のデータセンター建設を計画している。AI需要の高まりにより、電力を大量消費するデータセンターへの需要は急増しており、同社は6,000棟以上の既存倉庫をデータセンターや電力拠点に転換する構想も描く。
投資家にとっても、データセンターへの転換は魅力的だ。オフィス市場の低迷で価値を失った資産を、長期安定収益を生むデジタルインフラに変えられるからである。特にAmazon、Google、Microsoftといったクラウド大手との大型リース契約は、予測可能な収益をもたらす可能性を秘めており、年金基金やソブリン・ウェルス・ファンドといった機関投資家の関心を集めている。オフィス不動産への投資リスクを減らしつつ、成長セクターへのポートフォリオ分散を図る動きは今後さらに加速する見込みだ。
文:細谷 元(Livit)