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銀行は慎重で保守的。そんな常識を覆す出来事が起きている。OpenAIのCEOサム・アルトマン氏自身「金融業がこんなに早く飛びつくとは思わなかった」と驚いたほど、大手銀行がChatGPTなど生成AIを先行採用しているのだ。
実際、モルガン・スタンレーやバンク・オブ・ニューヨーク・メロン(以下、BNYメロン)などがOpenAIと提携し顧客対応や業務効率化にAIを活用し始めている。銀行経営者の言葉は生々しい。「これをやらなければわれわれはビジネスとして生き残れない」。
2025年末までに日常業務の40%をAIが処理できるとも予測され、知的労働のコストは急激に低下中(知能の単価がほぼゼロに近づいている)。だが同時に、AIが生む新たな脅威も現実に迫る。
金融界の実例から、「AI導入の加速」と「新リスクへの対応」、両面の必要性が浮かび上がる。
金融業界が先陣:「銀行×ChatGPT」の意外な早さ
「金融機関がこんなに早く飛びつくとは思わなかった」。米連邦準備制度理事会(FRB)主催カンファレンスで、OpenAIのサム・アルトマンCEOが放ったこの発言は、金融業界におけるAI導入の現状を如実に示す。
ChatGPTが2022年11月に公開された当初、AIの「幻覚(事実と異なる情報を生成する現象)」問題が話題となり、正確性を重視する金融業界は慎重になると誰もが予想していた。
ところが、現在AI導入に最も積極的なのが金融業界なのだ。
OpenAIの初期の大型パートナーには、モルガン・スタンレーやBNYメロンといった大手金融機関が名を連ねていた。当時の様子について、アルトマン氏はこう明かす。「我々は思わず『本当にやるんですか?』と聞き返した。すると金融機関側は迷いなく『ええ、絶対にやります』と即答した」という。
実際、モルガン・スタンレーは早期からOpenAIと協力し、GPT-4を組み込んだ社内向けチャットボット「AI @ Morgan Stanley Assistant」を開発。同社の10万件に及ぶ文書から必要な情報を瞬時に検索できるシステムを構築した結果、現在では98%以上のアドバイザーチームが日常的に活用するまでになっている。
なぜ慎重なはずの金融機関が、AIの初期導入に踏み切ったのか。その答えは、同業界が新技術のリスク管理に長けていたことにある。モルガン・スタンレーの全社AI責任者ジェフ・マクミラン氏は「この技術により、組織内で最も賢い人と同等の知識を誰もが持てるようになる」と効果を強調する。同社は評価フレームワークを構築し、AIの回答精度を専門家が検証する体制を整えた上で本格導入に踏み切った。
アルトマン氏が指摘した通り、金融機関は「AIをどう構造化し、重要なプロセスで信頼できるようにするか」を見出したのだ。新技術に適切な制御を加えることで、リスクを管理可能なレベルに抑え込むことに成功。むしろ「使わないリスク」の方が大きいという判断が、早期導入の決め手となっている。金融業界の変化は想像以上に速く、保守的という従来のイメージは過去のものになりつつある。
生存戦略としてのAI:「やらねば会社が存続しない」
先進的な金融機関の動きは、もはや単なる技術導入の域を超えている。ある金融機関の幹部は、アルトマン氏との対話の中で衝撃的な言葉を残した。「私たちがこの技術を使わないリスクは、ビジネスとして存続できなくなることだ」。生成AIの活用は、競争優位を築くための選択肢ではなく、生き残りをかけた必須条件へと変貌を遂げつつあるのだ。
この危機感は数字にも如実に表れている。KPMGが3月に実施した調査では、米国の銀行幹部200人のうち57%が「生成AIは将来のイノベーションを推進し、業界での「relevance(存在意義)」を維持するための長期ビジョンに不可欠な要素」と回答。半数以上の経営層が、AI抜きでは将来の競争に勝ち残れないという認識を持っている事実は無視できない。
さらに驚くべきは、業務の自動化スピードだ。同調査によれば、銀行幹部の約半数が「2025年末までに日常業務の21〜40%を生成AIが処理できるようになる」と予測。4分の3の幹部は、少なくとも6〜40%の業務がAIに置き換わると見込んでいる。事務処理やデータ整理といった定型業務の大半が自動化され、人的リソースをより高度な顧客対応や戦略立案に振り向けられる未来が、もう目前に迫っている。
実際の導入も急ピッチで進行中だ。不正検知や金融予測において、約半数の銀行が生成AIのパイロット運用を積極的に展開。サイバーセキュリティ分野でも34%が実証実験を進めている。特に注目すべきは、78%もの金融機関がセキュリティや不正防止の分野で生成AIを本格活用または試験運用しており、85%がデータ分析や顧客体験のパーソナル化に活用しているという事実だ。
フィンテック企業との競争も、従来型銀行に変革を迫る要因となっている。調査対象となった銀行幹部の半数以上が「フィンテック企業との競争が自社サービスの進化を促している」と回答。機動力に優れるフィンテック勢に対抗するには、大手銀行といえども旧来の慎重姿勢を捨て、積極的な技術投資に舵を切るべきという認識が強まっている。
「経済の不確実性にもかかわらず、銀行幹部の10人に6人が生成AIを今年の最優先投資分野に位置付けている」とKPMGは分析する。もはやAI導入は選択の問題ではない。生き残りをかけた必然の戦略として、金融業界全体が生成AIの取り組みを加速している。
「知能コスト」が激減:生産性革命の衝撃
金融機関がAI導入を加速させる背景には、知的労働のコスト構造を根本から覆す、前代未聞の変化があることも見逃せない。
アルトマン氏は衝撃的な事実を明かす。「AIによる知的作業のコストは、過去5年間で毎年10倍以上のペースで下がり続けている」。同氏は、この劇的な価格破壊が今後5年間継続すると指摘。さらに「知能がメーターで測れないほど安価になる(intelligence too cheap to meter)」時代が到来する可能性にも言及している。かつて「電気がメーターで測れないほど安くなる」という予測は実現しなかったが、知能については現実になりつつあるというのだ。
具体的な数字で見ると、その変化の激しさがより鮮明になる。「1年前なら1万ドルかかっていた知的労働が、今では1ドルか10セントで済む。これは前例のない変化だ」とアルトマン氏は述べる。従来の技術革新では考えられなかった規模とスピードで、知的労働を取り巻く状況が激変している。
JPモルガン・チェースのダイモンCEOも、AIがもたらす変革の大きさは「電気やインターネットに匹敵する」との認識を持つ。だが、アルトマン氏の見解では、AIの影響はそれらをも凌駕する。インターネットは確かに多くを変えたが、コストを1万分の1に削減するような劇的な効率化は実現しなかった。
金融業界ではすでに、この「知能コスト革命」の恩恵が具体的な成果として現れ始めている。BCGが支援したある銀行のコールセンターでは、生成AIの導入により顧客対応時間を約50%短縮することに成功した。従業員からの評価も高く、AIアシスタントに対する承認率は75%に達した。
より広範な効果も報告されている。BCGの分析によれば、生成AIツールを幅広く展開することで、企業全体で10〜20%以上の生産性向上が可能という。重要な業務機能を再構築すれば、30〜50%の効率化も視野に入る。ある企業では、AIと予測モデルを組み合わせた現場作業支援システムにより、修理時間を30%削減。別の金融情報企業は、AIを活用した対話型分析プラットフォームで最大1億ドルの新規収益創出を目指している。
アルトマン氏は、AIをトランジスタになぞらえて将来を展望する。「トランジスタは1947年の発明以来、あらゆる電子機器の基礎となった。同じように、AIも特別な技術としてではなく、当たり前の存在として社会に浸透していく」。製品やサービスが人間より賢くなることが、ごく普通の世界がやってくるというのだ。
金融機関にとって、この変化は単なる効率化を超えた意味を持つ。浮いたコストをどう再投資し、新たな価値創造につなげるか。それが次なる競争軸となる。知能がほぼ無料になる時代、人間にしかできない創造的な仕事の価値はむしろ高まる。AIがもたらす生産性革命は、金融サービスの在り方そのものを問い直している。
広がる新リスク:ディープフェイク詐欺との闘い
AIがもたらす恩恵の裏側で、金融業界は新たな脅威と向き合わざるを得なくなっている。その最たるものが、生成AIを悪用した「ディープフェイク詐欺」だ。
「正直言って恐ろしい。いまだに音声認証で本人確認をしている金融機関があるなんて」。アルトマン氏は7月23日、ワシントンで開催されたFRBカンファレンスでこのように発言。「AIは音声認証を完全に打ち破っている」と警鐘を鳴らす。
10年以上前から富裕層向けサービスで普及してきた音声認証。顧客が電話越しに特定のフレーズを発声することで本人確認を行う仕組みだが、もはやその安全性は失われた。AIによる音声クローンは、本物と「見分けがつかないレベル」にまで進化。さらに今後は映像のディープフェイクも同様の脅威となることが確実視されている。
実際の被害もすでに発生している。business.comが2024年に実施した調査では、企業の10社に1社がディープフェイク攻撃の標的になったことが判明した。犯罪者は生成AIを使って個人の声や映像を複製し、それを悪用して詐欺を働く。経営者の声を偽装して送金指示を出すといった、従来では考えられなかった手口が現実のものとなっているのだ。
FRBのマイケル・バー氏は状況の深刻さをこう表現する。「かつて熟練した偽造犯は署名を真似ることで偽の小切手を通すことができた。だが今やAIの進歩により、人の全アイデンティティを複製することで、はるかに大きな被害をもたらすことが可能になった」。ディープフェイクは「なりすまし詐欺を超高速化させる可能性がある」と注意喚起していた。
さらに厄介なのは、サイバー犯罪が本質的に「非対称な」ゲームだという点だ。詐欺師は広く網を張り、わずかな成功率でも利益を得られる。一方、銀行は厳格な審査とテストプロセスを経て防御策を構築する必要があり、対応は必然的に遅れがちになる。多くの攻撃を防いでも、たった一度の失敗が大きな損失につながる構造的な不利を抱えている。
こうした新たな脅威に対し、金融業界は「火には火を(fire with fire)」の精神で対抗策を講じ始めた。バー氏は「銀行はAIへの投資を増やし、ディープフェイク攻撃を阻止しなければならない」と金融業界全体に檄を飛ばす。具体的には、顔認識、音声分析、行動バイオメトリクスなどの高度なAI技術を組み合わせ、人間が見逃すような音声や映像の微細な不整合を検出するシステムの構築が急務となっている。
さらにバー氏は、規制当局もAIを活用してリアルタイムで不正を監視・検出する能力を強化すべきと主張。「これにより、影響を受ける機関や業界全体に早期警告を発することができ、われわれ自身のシステムも保護できる」と語った。米国では、官民が一体となって、AI時代の新たな金融犯罪に立ち向かう体制づくりが始まっている。
米国の金融業界や官民の取り組みから、日本の当局や金融業界が学べることは多分にある。グローバル市場での競争を見据えるなら、なおさらAIの活用は死活問題と言っていいだろう。
文:細谷元(Livit)