シリコンバレーのベンチャーファーム、べッセマー・ベンチャー・パートナーズ(以下、べッセマー社)は2024年版「State of the Cloud」レポートを発表した。同社のレポートは毎年業界トレンドを正確に突いていることで知られるが、2024年のレポートでは、AI技術の急成長により、想定されていたよりも遥かに早いスピードで、クラウドAI時代の到来が現実味を帯びてきたと指摘している。
クラウドAIの未来を形作るとされる5つのトレンドについて、レポートに基づいて見てみよう。
1.大手テック企業のAI基盤モデルをめぐる競争激化
2023年にAI市場で動いた投資金額のうち60%は、基盤モデルに関わるものだった。OpenAI、Anthropic、Mistral、Cohereといった基盤モデルプロバイダーが230億ドルの資金を調達し、その時価総額は合計1,240億ドルに達している。
その出資者にはマイクロソフト、アマゾン、グーグル、アップルといった超大手テック企業が名を連ねていて、その豊富な資金により、基盤モデル領域における競争とイノベーションがこれまでにない勢いで加速しているという。
現在先頭を走るのはMicrosoft/OpenAI、AWS/Anthropic、Google/Geminiなどで、Linuxと同等のOSS代替としてMeta/Llamaも参戦。ヨーロッパではフランスのMistralがリードしている。
AI基盤モデルは、下流のAIアプリケーションやツールを動かす新たな「石油」のようなものであり、大手テック企業のうちどこが今後のクラウドやコンピューティング市場の主導権を握るかが左右されるため、当面この白熱した戦いが続くと予測されている。
2.AIによるソフトウェア開発者の立場変化と裾野拡大
AIにより、ソフトウェア開発者の立ち位置も大きく変わりつつある。GitHubやOracle、Amazonなどが次々にAIコーディングアシスタントをローンチ。CognitionもAIエンジニアツールを発表し、テクノロジーによってプログラミングがより多くの人に開かれることになった。
べッセマー社の見立てでは、10年後には、コンピューターと電話さえあれば、全ての人が「かなりの開発能力」を持つことになるという。その結果、ソフトウェア開発の速度は上がり、コストは下がり、テクノロジー系スタートアップの創業者の平均年齢が劇的に下がることも予測されている。
このような環境下では、ソフトウェア開発者の仕事はもはやキーボードを叩くことではない。2030年までに、企業のソフトウェア開発者の大半は、完成品のレビュー担当者に役割が変化するという。手を動かしてソフトウェアを作るのはAIであり、人間は最終レビューのみを行う時代が間もなく訪れるのだ。
3.マルチモーダルモデルとAIエージェントが、人とソフトウェアの関係を変える
テキストベースのチャットボットは過去のものとなり、マルチモーダルモデルとAIエージェントの台頭が、AIの潜在的な適用範囲を劇的に拡大している。
より自然な会話体験のできる音声AIアプリケーション
べッセマー社は、特に音声AIアプリケーションが、今後12カ月の間に飛躍的に成長すると予測している。これまでの音声AIは、自動音声認識(ASR)により音声をテキストに書き起こし、それをLLMに繋げて、テキストをText-to-Speechモデルにフィードバックさせる、という流れだった。しかしOpenAIの最新モデルGPT-4oなどでは、テキストに書き起こすことなく生の音声データをそのまま処理・推論し、ネイティブ音声で応答する音声ネイティブアーキテクチャへの移行が進んでいる。
これにより、会話型音声製品の応答時間が劇的に短縮され、またこれまでは取り込むことのできなかった、ユーザーの感情やトーンといった非テキスト情報に対する理解も大幅に向上するという。これまでよりはるかに自然な会話体験が提供可能になることで、音声AIの活用先も広がり、今後5年間で最大100億ドル規模の市場が誕生するとも推測されている。
自律型AIエージェントの実用化期待
自らタスクを処理し、作業工程を管理する自律型AIエージェントも、直近での飛躍が期待される分野だ。
自律型AIエージェントは既にカスタマーサービスやプロジェクト管理などの分野で使われているものの、まだ複雑なマルチステップタスクをエンドツーエンドで完全に自律的に機能するほどには信頼性高く動作していないのが現状だ。
しかしこの分野の進歩は非常に速く、思考連鎖推論、自己反映、ツールの使用、プランニング、マルチエージェントコラボレーションなどさまざまな方法を通じて、AIエージェントの動作を改善するための、新しいアーキテクチャアプローチに焦点を当てた研究が盛んに行われている。
最近公開された新しいデモはどれも前回よりも優れており、AIソフトウェアエンジニアであるCognition AIのDevinは、AIのプランニングおよび推論機能が拡大し続けるにつれて何が可能になるかを示唆している。
4.バーティカルAIが従来のSaaSを凌駕した事業機会を産み出す
バーティカルSaaSは最初のクラウド革命時に業界を変革した立役者であり、現在米国のバーティカルSaaS上場企業Top20社の合計時価総額は約3,000億ドルに達している。
現在、LLMの台頭により、従来のバーティカルSaaSの範囲外だった業界をターゲットとする新たなLLMネイティブスタートアップが生まれ、バーティカルSaaSの次の波が巻き起ころうとしているという。
そのひとつが、コストの高い反復的な言語ベースのタスクをターゲットにしたバーティカルAIアプリケーションだ。
反復的な言語ベースのタスクが活動の主流となる「ビジネスおよびプロフェッショナルサービス業界」は、アメリカのGDPの13%を占め、ソフトウェア業界の約10倍の経済規模を持つ。加えて他の業界においても、この種のタスクは業務のある程度の割合を占める。
つまり、バーティカルAIは、既存のSaaSを大きく凌駕した事業機会を産み出す可能性が高く、既存SaaS企業の時価総額3,000億ドルの、少なくとも10倍の経済規模になると予測されているのだ。
バーティカルAIの3つのビジネスモデル
バーティカルAIを巡っては、現在3つのビジネスモデルが台頭している。AIコパイロット、AIエージェント、AI対応サービスだ。
まずAIコパイロットはLLMを活用してタスクを自動化することで、作業者の業務効率を高める。例えばSixfoldは、保険業者のデータ分析とリスク把握をサポートする。Copilot=副操縦士の名の通り、コパイロットモデルでは、AIアプリケーションが人間と並んで存在し、ユーザーの業務を支援するイメージだ。
一方AIエージェントは、ワークフローを完全に自動化し、ユーザーの業務を代替する。例えばSlangAIはレストラン業界に特化した音声AIエージェントで、予約や問い合わせへの回答などインバウンドコールを自動処理する。このようにAIエージェントは、アウトバウンドセールスやインバウンドコールの受付など、企業内の特定の機能に重点をおいてワークし始めている。
そしてAI対応サービスは、会計、法務、医療費請求など、これまで外部にアウトソーシングされてきた分野をターゲットとする。これらの分野は人手がかかり、従来のテクノロジービジネスに比べて利益率も低いため、規模拡大や差別化が難しかった。そこをAIソフトウェアを使って自動化し、より安価でより迅速かつ優れたサービスを提供することを目指している。
バーティカルAIは既存のSaaSと競合しない形で拡大
べッセマー社はバーティカルAIスタートアップの大きな特徴として、従来のSaaSと競合しない機能に強みを持つことを挙げる。現在バーティカルAIアプリケーションは、既存のSaaS製品を補完するポジションにあり、既存商品を複製し置き換えるようには求められていない。
その一方で、バーティカルAIスタートアップは、従来のバーティカルSaaSのコアシステムの80%程度のACV(顧客1人あたりの年間契約額)を既に獲得している。つまり、企業側はバーティカルAIへの支出をソフトウェア費の代替ではなく、新たなサービス費用として捉えているということだろう。
バーティカルAIスタートアップは前年比400%の勢いで成長しており、その粗利益率は平均65%で、健全な効率性を誇っている。彼らのコスト構造も盤石で、開発コストは収益の10%程度、総売上原価の25%程度だ。開発コストは今後更に引き下げが可能で、彼らの利益は向上していくだろう。
当然ながら既存のソフトウェア企業もこの動きを注視しており、トムソン・ロイターはCaseTextを6億5,000万ドルで、DocusignはLexionを1億6,500万ドルで買収するなど、バーティカルAIスタートアップを買収する動きも出ている。
EvenUp、Abridge、Rilla、AxionといったAIバーティカルスタートアップのリーダーたちは驚異的なスピードで成長しており、べッセマー社は今後2-3年の内にARR(年次経常利益)が1億ドルを超えるスタートアップが少なくとも5社は誕生し、IPOも発生するだろうと予想している。
5.AIがコンシューマークラウドを生き返らせる?
個々の消費者にクラウドベースのストレージやデジタルアプリケーションを直接提供するコンシューマークラウド分野は、この10年低迷を続けてきた。
Cloud100(2016年~Bessemer、Forbes、Salesforce Venturesが毎年発表しているクラウド企業ランキングTop100)のうち、コンシューマークラウド企業は3-4社のみで推移しており、2018年のDropbox以来、IPOも途絶えている。消費者向けテクノロジー自体、iPhoneとソーシャルメディアプラットフォームが開発されて以降、大きな変化がなかったともいえる。
しかしこの2年でLLMのマルチモーダル機能が急激に進化し、AIは一般消費者からも高い関心を寄せられる対象となった。たとえばChatGPTへの月間アクセス数は、X(Twitter)とほぼ同じレベルにまで増加しており、AnthropicのClaudeやGoogleのGeminiなど他の汎用AIアシスタントも注目度を増している。
その他にも、検索のPerplexity、交流系のCharacter.ai、音楽生成のSunoとUdio、映像生成のLuma、Viggle、Pikaなど、各分野で消費者向けAIスタートアップが高い評価額で多額の資金を調達し、イノベーションを進めている。
AIによってテクノロジーとの関わり方や遊び方が変化している今、消費者向けクラウドは開発者や投資家にとって魅力的な市場のひとつになりつつあり、べッセマー社は今後5年間で複数の消費者向けクラウドIPOが行われると予想する。LLMの技術革新が私たちの生活を大きく変え、コンシューマークラウドの市場環境を活性化させることは確実なようだ。
クラウドAIは想像より遥かに早いスピードで現実のものになっている
レポートの最後に、べッセマー社はクラウドAIをめぐるこれら5つのトレンドは、私たちの実感よりも早く現実のものになっていることに注意すべきだと述べている。
ドットコムからナノテク、ブロックチェーンまで、これまでの新規テクノロジーはまず話題性だけが先行するハイプ(誇大宣伝)の時期があり、その後長い時間が掛かってようやく実際のプロダクトがハイプに追いつく、という順序を踏んできた。しかしAIについては、既に前例のないレベルであらゆる分野に組み込まれつつあり、「現実の方がハイプよりも速く進んでいる」とべッセマー社は警鐘を鳴らす。
例えば2023年時点でべッセマー社は、AIネイティブ企業は従来のクラウド企業の半分の時間で、10億ドルの収益に到達すると予測していた。これは当時としては相当に大胆な予測だったが、現実はそれをも遥かに超えていた。OpenAIは2024年2月に早くも収益20億ドルに達し、6月には年間34億ドル相当になると報じられている。Anthropicも24年末までに8億5,000万ドルの年間収益に達すると報じられ、MidjourneyやCharacter.aiも2億ドルの収益規模になると推定されている。
将来的にAIを組み込むことを想定したプロダクトや業務設計が重要に
べッセマー社のレポートを受けて、あらゆる企業や組織は、AI分野の動きを注意深く監視し、自社のプロダクトや社内ツールにAIソリューションを組み込むための準備をしておくべきだ、とVentureBeatは結論付けている。
つまり、プロダクトや業務設計の際に、将来的にAI技術をモジュール的に組み込むこと想定して構築することが重要だという。そうすれば、自社にとって有効なAIソリューションがリリースされた時に、その技術を簡単に埋め込むことが可能になり、時間とリソースを節約することができる。
裏を返せば、あるAIソリューションがローンチされて初めて、自社のプロダクトにどう組み込むか、どう活用するか、と考え始めるような悠長なことはできない市場環境になってきているということだ。
この1~2年でクラウドAIを取り巻く技術は大きく進化し、様々なAIソリューションが現実のものとして急速に立ち上がり始めている。企業側も、これまでの新規テクノロジーとAIではスピード感、規模感、影響力が桁違いであることを十分に認識し、その取り込みに向けて準備を加速させなければならないだろう。
文:平島聡子
編集:岡徳之(Livit)