「バティック」をご存知だろうか。日本では「ろうけつ染め」とも呼ばれる染めの技法のことで、世界中で用いられている。その中で、ベナンという西アフリカで染められたバティックの布を使用して、洋服や雑貨などを生み出す日本人女性がいる。国際協力を志した彼女がベナンで生活し、辿り着いた関わり方とは。
- 沖田紘子さん
- 埼玉県出身。AFRICL(アフリクル)代表。大学時代に国際協力の分野を志す。金融機関でIT関連の業務などを担当。退職後にAFRICLを立ち上げる。初の実店舗「カルフール」の運営なども行う。1歳児の子育てにも奮闘中。
丁寧に仕上げられる布だからこそ、長く愛される一枚に
水草がモチーフとなったシャツ。大ぶりの花が映えるワンピース。
日本人には発想ができないような目をひく柄のバティック布を使って、沖田さんは服や雑貨などのデザインを行い、販売している。デザインする際に大切にしていることは、暮らしに長く寄り添える一着かどうか。
「ベナンの職人さんが手染めしたものを服にするので、いっときの流行やシーズン、ライフスタイルや体型、世間の流行などが変化しても、ずっと着続けられるようなオーソドックスでありながら、美しく、AFRICLらしいデザインを心がけています」
服は締め付けが少なく着心地が良い。まとうと自然と笑みが溢れる、何度でも着たいと思う服で、性別や年齢問わず人気となっている。
そもそもバティックとは、“ろう”を使った染め方。溶かしたろうを布につけてから、染料に布を入れる。ポイントは、柄の形にろうを塗ること。ろうが染料をはじく性質を利用したもので、色をつけたくないところにろうをつけ、色を重ねながら模様を描いていく。
時間のかかる染め方だが、味わい深い色合いや特徴的な柄が引き出せる。日本では特にインドネシアなどで生産されたバティック布が一般的だそうで、着物や浴衣作りにも用いられることがある。
「インドネシアではペンのようなもので模様をろうで描くスタイルが盛んですが、西アフリカ地域では、型を作ってスタンプをするように置いていく手法が多いんです」
洋服のデザインが決まると、ベナンの職人へ発注をかける。このコミュニケーションが「むちゃくちゃ大変」と沖田さんは語る。
「ある製品の試作中、私が指定した色ではない色を彼らが出してきたので、私が『違うよ』と伝えたのですが、彼らは『同じだ』と言い張るんです。なぜ同じ色を見ているはずなのに感じ方が違うのか、はじめの数年間は不思議に思い、苦労していました。でも最近、人によって色の見え方感じ方が違うことに気が付いて、そのせいだったのかな?とやっと少し納得できました。でも、納得は出来ましたが解決していないので、今でも色の調整はとても苦労しています」
このほかにも仕立ての文化などが異なるなど、大変なことはたくさんある。少しずつコミュニケーションをとり、一つひとつ丁寧に作られるバティック。長く愛されるデザインにすることが沖田さんの使命になっている。
「ベナンの職人さんたちは、日本向けにバティックを作っているということを誇りに感じてくれているみたいです。以前、現地で布を販売する際に『紘子の写真を引き伸ばして、のぼりに使っていいか?』と聞いてくれたこともありました。ベナンの伝統をつなげるためにも、AFRICL頑張らないとですね」
ネットで出てこない国だったからこそ行ってみた
そもそも、世界中にあるバティックから、ベナンの布と出会ったのは大学時代。約12年前のことだ。
国際協力の世界に関心があった沖田さん。生まれた場所や環境で人生の選択肢が変わったり、食事や命の最低限のラインが保障されない格差があったりしてはならないと感じていた。
「どこに生まれても笑って生きていける世界に近づけたいと考えるようになって、それに関わる活動や仕事をしたいと思うようになりました」
しかし、国際協力と一言で言っても、どの分野で、どの団体に所属し、どう関わっていきたいのかは模索中だった。そこで実際に支援先となることが多い、いわゆる「途上国」と呼ばれる場所で生活し、現地での課題や支援のあり方、関わり方を見つけたいと思った。
受け入れてくれるインターンシップ先を探し始めたところ、3つのNGOから受け入れOKの返事をもらう。そのうちの一つが、ベナンにあった。
ベナンは国名こそなんとなく聞いたことがあったが、よく知らない。しかもネット検索でも国情報がほとんど出てこない。今でこそ、ネットで検索すればさまざまな情報が出てくるようになったが、12年前は検索候補に、『もしかして……マレーシアの“ペナン”?』と表示される始末であった。
「その国の情報がまったく拾えなかったのです。オンラインで今時情報を拾えない国の一次情報を取りに行きたいと思ったのが、ベナンでのNGOに参加した理由です」
そしてベナンでの生活が始まり、バティックに出合った。ホームステイ先の家族がクリスチャンで、日曜日の教会についていったところ、手染めのバティックで作られたテイラーメイドの服を華麗に着こなす人々の姿があったのだ。ベナンでは正装やおめかしなどの際に着用されており、もともと染め物や織物好きだった沖田さんは心奪われた。バティック布の服を購入し、バティック職人を紹介してもらうなど、どっぷりハマっていった。
当時のベナンは生活インフラが整っていない地域もあり、貧しさこそ垣間見たが、とても豊かで、素敵な文化をもつ国だった。当時は黄色人種自体が珍しい存在だったそうで、沖田さんが日本出身だと言えば、ベナンの人は「日本!知ってるぞ!」と興味を持ってくれた。驚きと同時に、「日本人はベナンのこと全然知らないのに」とむず痒さが後を引いた。
続ける覚悟があるのか?自問自答し開業へ
学びの多いベナン生活も終わり、日本へ帰国。
模索していた国際協力の形が見えてきた。その国に対して“してあげる”という支援のような関わり方は違う気がした。でも『どこで生まれても笑って生きられる世界に近づけたい』という思いは、ベナン渡航前よりも強く意識していた。
「”発展=欧米化”ではない形があってもいいんじゃないか?と考えるようになりました。実はベナンでも、バティックを纏う人が減っていたんです。経済発展が進むとともに、テイラーメイドが中心の文化からTシャツやデニムといった服を着るようになっていました。欧米の暮らしに均質化されていくベナンの未来を感じて、とても淋しかったのです。その地域に昔から根差し紡がれてきた文化が、暮らしのなかに生きていることが、笑って生きるということの秘訣でもあるのかもしれないと感じて、そのために私ができることをやっていきたいと思いました」
物質的、経済的に発展していくためのアプローチは、世界中の人たちがやってくれる。沖田さんは、発展した未来にも、その地で繋がれてきた、その地らしい文化や伝統が続き、今溢れている笑顔が繋がるために出来ることをしたいと思ったのだ。
そうして生まれたのが、アパレルブランド設立の構想だった。
当時大学4年生だった沖田さんは、国際協力でお世話になった方々などに自分の構想を伝えて回った。自身でもワクワクする構想に、周囲の反応も良かった。すぐにでも起業して取り掛かりたい!そんなふうに思った矢先、ある1人の人物から「続ける覚悟がないならやらないほうがいい」と厳しい言葉が飛んできた。
「始める、というのは善意です。でも続けられないと、迷惑になる。現地のベナン人は私の事業を始めるために、労働力や資源を投下することになるが、頓挫すればマイナスになる。続ける覚悟がないならやらないほうがいいと言われたんです。ハッとしましたね」
もし数年後にもブランドへの気持ちを持ち続けられたら、やり続ける覚悟があるということではないか。一度、会社員として働くことを決意した。そして働くことを知るところから始めた。
沖田さんは入社した生命保険会社でシステム部門でプログラミング担当を4年、IT関連の部署で2年勤め上げた。
生命保険会社に入ったのも「世界のどこに生きても笑っている世界にしたい」というベースから。生命保険は家族の収入源が何らかの理由で失われ、収入源が途絶えて学校に行けなくなることを避けるために備えるものだと思ったからだ。
また会社も、生命保険が一般的ではない東南アジアに進出していた。人生の選択肢が万が一の時に減らなくていいサービスを届けるのは、会社員をしつつも自分の目指す世界に繋がると感じられ、やりがいも大きかった。
「このまま会社員として生きていくのもありかな、と思うほど楽しかったです」
しかし、29歳ごろに退職。そこにはもう一つの夢が大きく関係している。
「母親になりたいという自分の夢があったんです。好きなことを仕事にする背中を見せるオカンになりたいなと。まだ結婚の予定もなかったし、子どもの予定もなかったですけどね。でも子どもが生まれると、働く時間が少なくなるかもしれないので、新規事業をやるなら、子どもが生まれる前に形にしておくほうがいいと思いました。そうでなければ何歳になって始められるかわからないなと。30歳の足音が聞こえてきたときに、そう思い浮かびました」
めでたく、息子さんを出産。1歳の息子さんを抱えながら、AFRICLの社長業に精を出す。沖田さんは自身で事業を行っていて、育休を取ることができない。息子さんは母親と過ごす時間が限られる日があるため、AFRICLとの両立が本当にいいことなのかと迷いはある。ただその一方で、お客さんをはじめ、母親以外の大人たちも息子さんを見守ってくれる環境に温かさを感じているという。
「子育てをする母親の暮らし方として今まで暗黙に日本で期待されてきた生活とは違うと思います。でも自分がそれを出来ていて、息子にそれを見せられている。そういう母親の姿があってもいいんだと知ってもらえることは嬉しいですね」
今年5月にはキッズ製品が登場。長らく、サイズアウトの早い子ども服はブランドコンセプトに合わないと考えていたが、子どものうちからベナンの布に触れて欲しいと考えるようになった。
また今年3月には実店舗がオープン。AFRICLの製品だけでなく、他の国の布で作られた服なども販売されている。実店舗では気軽に立ち寄れるため、これまで普段の生活で出会わなかった国の布に触れる機会をもたらすことが期待されている。
素敵な布で仕立てられた服を纏うことで、国際協力の活動に参加することにもなるAFRICLの洋服。まちでアフリカからの布を纏う人々がもっと行き交えば、伝統が広がりをみせる。日本人も、ベナンやアフリカの人たちの笑顔も増えるのだろう。そんな世界を想像するだけで、笑みが溢れる。
取材・文:星谷なな