米マイクロソフトは4月、UAE(アラブ首長国連邦)の首都アブダビを拠点とするAI企業、G42(Group 42 Holding)に15億ドル(約2,300億円)を投資すると発表した。両社はすでに協業関係にあったが、今回の多額の投資を機に、マイクロソフトがG42の少数株主となり、取締役を送り込む。G42の側は今後、マイクロソフトのAzureクラウドサービス上で、AIアプリケーションとサービスを実行することになる。
これは一見、投資と業務提携の深化という、よくあるビジネス事案だが、実際には米国、UAE両政府がこの案件に強く関与したことは疑いようがなく、非常に地政学色の強い契約となっている。新たにG42の取締役に就任したマイクロソフトのブラッド・スミス副会長兼社長によれば、「両国政府との緊密な連携」に基づく契約であり、バイデン政権から、このプロセスを前進させるよう「強い励まし」を受けたという。
マイクロソフトとG42が契約に当たり、両国政府に対してベストプラクティスを保証する協定に署名したことも、極めて異例だ。「安全で信頼でき、責任あるAIの開発と配置を保証」し、「米国および国際的な貿易法と規制を順守する」ための、最良のプラクティスを保証するとの内容だ。
この件に関する政府の強い関与の背景にあるのは、米中の「AI覇権争い」。中国との関係が疑われたG42を米国側に取り込み、中国から切り離すというバイデン政権の戦略があったというのが大方の見方だ。要するに、G42は今回、中東における米中ハイテク覇権争いの渦中に置かれた。
米国はG42のビジネスやUAEのAI産業から、ひとまず中国を締め出したとも言えるが、この先の展開は分からない。UAEは、米国とも、中国やロシアとも、良好な関係を保つという独自のバランス外交で知られる。中国はUAEだけでなく、中東諸国と友好関係にあり、この先まだ波乱の展開が待ち受ける可能性もありそうだ。
AI産業振興を目指すUAEの星、G42の会長は国家安全保障顧問
G42は2018年創業のAI企業。石油依存を減らし、AI分野の世界的リーダーへの躍進を目指すというUAEの構想を支える旗艦企業だ。UAEのアブダビ首長国の政府系ファンド、ムバダラによる支援の対象であり、タフヌーン・ビン・ザイド同社会長は、アブダビ王室の最有力者の一人。UAEの国家安全保障顧問を務める、「UAEで最も権力を持つ人物の一人」(ニューヨーク・タイムズ紙)だ。
公式サイトによれば、同社は政府機関や地元企業をサポートするためのAIリサーチやクラウドサービス、データセンターなどの事業を展開し、応用範囲は気候変動対策や医療、スマートシティ、公共サービス、エネルギー、スポーツなど広範。従業員数は2万人を超えるという。
6年前に創業して以来、マイクロソフトやOpenAI、デル、IBM、エヌビディアなどの米有力テック企業と相次いで提携したが、今回の15億ドルの投資を受け、AIインフラの開発はこの先、マイクロソフトとの連携が中心となる見通しだ。
両社の共同声明によれば、G42はマイクロソフトをクラウド・コンピューティングのパートナーとして迎え入れ、Azureクラウドプラットフォーム上でAIアプリとサービスを稼働させる。G42が開発を手掛けたアラビア語の大規模言語モデル(LLM)「ジャイス(Jais)」も、Azure上で実行する運びとなる。
米国がUAEに二者択一迫る、AI技術や遺伝子情報の流出を警戒
G42と中国との関係について、米国はここ1年ほど、警告を発していた。最初に懸念を示したのは2023年6月。G42のタフヌーン・ビン・ザイド会長(UAEの国家安全保障顧問)が訪米した際、バイデン政権は米国側の懸念を伝え、中国の企業・機関との関係を断ち切るよう要請。G42に対する制裁の可能性にすら言及したという。機密性の高い新興テクノロジーについて、米中のどちらを選ぶか、UAE側に選択を迫った格好だ。
さらにOpenAIとG42が提携を発表してからまもない2023年11月には、「米当局が安全保障上の脅威とみなす中国企業とG42の協力関係について、CIA(中央情報局)をはじめとする米諜報機関が警告した」と、『ニューヨーク・タイムズ』紙が報道。中国企業には米国が制裁対象としている通信設備の世界大手、ファーウェイが含まれるとした。
米国が恐れていたのは、G42と中国企業との関係を通じて、自国の先端技術が中国当局・企業に流出すること。米諜報機関の報告書は、数百万人を数える米国人の遺伝子データやその他情報を中国政府の手に渡すパイプ役となる可能性があるとも警告していたとされる。
また、2024年1月には、「米国と中国共産党の戦略的競争に関する特別委員会」の委員長を務めるマイク・ギャラガー米下院議員(共和党)が、米ブラックリストに載ったファーウェイなどの中国企業や、軍、諜報機関とG42が連携していると主張。商務省に対し、G42を貿易輸出ブラックリストに掲載すべきかどうかを「綿密に調査」するよう求めた。同委員会はこの際、G42のシャオ・ペンCEOに関しても、過去の職歴などを問題視していたという。
G42のシャオCEO、中国ビジネスのキーパーソンとの報道
米国サイドの警戒感は実際、シャオCEO個人にも及んでいたとみられ、『ニューヨーク・タイムズ』は当局筋情報として、「CIAはシャオ氏の極秘扱いのプロフィールを作成した」と報じている。同氏は米国で教育を受けた後、米国の市民権を捨ててUAE国籍を取得した人物だ。
CIAの報告書の結論は明らかではないが、中国の国家副主席である韓正氏が、シャオ氏の父親(婚外子)だという情報がある。米国に亡命した中国人実業家のマイルズ・グオ氏が暴露したもので、その根拠は示されなかったため、真偽は不明。ただ、中国語のSNS上では半ば公然の事実であるかのように、関連情報がアップされている。
香港系の『アジア・タイムズ』紙によると、シャオ氏は過去5年間にわたり、UAEの首長らと様々な中国企業をつなぐキーパーソンだったという。2014年まで米ビジネスインテリジェンス企業マイクロストラテジーの最高技術責任者だったシャオ氏は、その後、2018年までUAE企業ダークマターの子会社ペガサスの最高経営責任者を務め、2018年にG42の最高経営責任者に就任した。ダークマターはスパイウェアや監視ツールの開発を手掛けており、前出の米議会の特別委員会もこの点を問題視していた。
両社ウィンウィンでUAEのAI大国化にも恩恵、中国はどう出る
ただ、米国による圧力の下、G42は米国をこの分野のパートナーとして選択し、中国から距離を置き始めたようだ。ブルームバーグ通信は、今回の契約以前の段階で、G42は米国との間で、中国から手を引くという密約を交わしていたと報じた。『ニューヨーク・タイムズ』によれば、G42は今回、ファーウェイの通信機器を含む中国製機器を排除することで合意。マイクロソフトのAI技術を保護するために、G42による同社技術の利用方法をマイクロソフト自ら監査する権限も与えられたとされる。
G42はまた、「TikTok」を運営するByteDanceを含め、中国企業への投資持分をすでに手放したという。
マイクロソフトによる15億ドルの投資は米国政府の意向を色濃く反映した高度に政治的な案件となったが、G42にとってもマイクロソフトにとっても、これはウィンウィンの取引と言えそうだ。
G42としては、世界最強とも言える米テック企業マイクロソフトの後ろ盾を得て、そのクラウドインフラを利用することにより、自社のグローバルな存在感を「著しく高める」(シャオCEO)ことが期待できる。一方のマイクロソフトは中東に大きく歩みを進めた形。UAEや周辺国でAI、クラウド製品の浸透を加速させるという大きなメリットがある。
マイクロソフトは近年、ChatGPTを開発したOpenAIに数十億ドルを投資するなど、中小企業と提携することでAI革命の最前線に躍り出たが、最近ではフランスの新興AI企業ミストラルと提携するなど、米国外での投資が目立つ。『ワシントン・ポスト』紙はこうした取引を通じて、同社が従来の独占禁止法による監視の目をかいくぐりつつ、世界を舞台にテックリーダーとしての足場を固めていると指摘する。
今回の投資はまた、UAEにとっても、AI大国に飛躍する上での追い風となる見込み。米CNBCは「AIや暗号通貨などの分野で、中東における一大テックハブとしての地位を確立しようとしているUAEにとって、大きな弾みになる」との見方だ。
さらに、両社はすでに、10億ドル規模の開発者向けファンドの創設などを通じ、UAEだけでなく、中東全域や中央アジア、アフリカなどの開発者をサポートする計画を発表済み。より広範なエリアにメリットが広がる可能性がある。
ただ、中東諸国と友好関係にある中国がこのまま座して見ているかはまた別の問題だ。中国メディアはこぞって、主に米メディアの記事を引用する形で、この件の経緯を報じた。マイクロソフトの投資に関する中国当局者の直接のコメントは見当たらないが、ニュースメディア『観察者』はG42とファーウェイの関係に対する米国の懸念に関して、中国外務省の王文斌報道官が以前、米国側を批判したと報道。「米国の行動は国際貿易と経済協力のルールを損ない、世界のサプライチェーンの安全と安定に影響を与える。人々の共感を得られず、成功もしない」と述べたと伝えている。
文:奥瀬なおみ
編集:岡徳之(Livit)