RAG技術の登場からみる「チャットボットの未来」

チャットボットは私たちの暮らしのなかで、一般的なツールとして認識されるようになっている。とはいえ、筆者も、自分が住むオランダの郵便局のチャットボットを利用したことがあるが、荷物が紛失していないかというシンプルな質問にも関わらず、まったく関係ない答えが返ってきたり、違う角度から同じ質問をすると、毎回異なる回答になったりした。これがチャットボットの限界だと早々に諦めた記憶があるが、目的に合っていない、精度が低い、適切な回答を得られないなどの理由から、チャットボットの精度に疑問を抱く人も少なくないはずだ。

しかし、今、そのチャットボットが脚光を浴びている。Statistaによると、チャットボットの市場規模は2016年には1億9,080万ドルだったが、2025年には約12.5億ドルに成長すると予測されている。この成長の背景にはAIの進化がある。あらかじめプログラムされたルールやスクリプトに基づいて回答するチャットボットから、生成AIによるチャットボットへと進化しているのだ。

今年2月、アメリカを拠点とするAIプラットフォーマーのVectaraが、生成AIによる高精度のチャットボットを構築・展開する新モジュールを発表した。このプラットフォームは、最新情報をAIに学習させ、ハルシネーションリスクを低減するRetrieval Augmented Generation(RAG)技術とBoomerangベクトルエンベディングを使用するという。

ハルシネーションを抑止する技術

AIシステムが大規模なデータから学習する際、トレーニングデータに偏りや不足があったり、文脈の誤解により、誤った情報を生成することがある。このような現象はハルシネーションと呼ばれるが、データや計算リソースの制約、事柄の複雑な関係性などにより、避けることはできないと言われている。

Vectaraが新しいモジュールに用いるRAGは、関連する外部の知識ベースから事実を検索、最新の正確な情報に基づいて新しい情報を生成する技術で、誤情報によるハルシネーション抑止に効果があると言われる。また抑止するだけではなく、様々なトピックや領域に対応する豊富な情報を提供できる利点もある。

RAG技術に加え、Vectaraが開発したベクトルエンディング技術の1つで、言葉の意味を理解して関連する情報を見つけるBoomerangを組み込むことで、ユーザーが求める情報やサポートを正確に理解し、適切な回答やアドバイスを提供することができるようになるとVectaraは語る。

「自分の保険契約でカバーされる最大限度額は?」という問いに対し、チャットボットが回答とともに外部データも提供する。Vectaraのウェブサイトより。

生成AIチャットボットのメリットとは

このような技術によって回答精度が向上することで、チャットボットが有効活用できる分野はたくさんある。その中で代表的なセクターと、そのメリットを挙げてみよう。

■カスタマーサポート

人件費などのコスト削減、24時間対応、負荷の高さ・低さに関わらず迅速で正確な対応、複数の顧客に同時対応、一貫した品質、チームのパフォーマンス追跡と測定

教育

学習支援の個別化、自己学習へのモチベーション向上、授業中でのリアルタイムの質疑応答、教師の負担軽減、提出物などの個別リマインダー送付

医療

24時間体制の医療サポート、症状の評価、緊急性の高いケースを優先して処理、ユーザーが健康管理に積極的になり予防や早期発見に貢献、医療従事者の負担低減、スケジューリング、医療事務の自動化

■eコマース

購買履歴や興味に基づいた個別サービスの提供、商品をカートに入れたまま放置した顧客に追加情報や特典などを提供して購買意欲を高める、注文の簡素化、対話による思考や行動パターンなどのデータ収集

AIチャットボットとの対話で救急車の必要があるか緊急性を判断する。そして、救急車が到着するまでの間、応急処置のガイダンスを提供することも可能だ。

ユーザーエクスペリエンスの向上への取り組み

AI生成チャットボットが目指しているのは、人の頭脳を超えた情報の蓄積、分析力を備えながら、より人間らしく、よりパーソナルな会話を提供して、ユーザーエクスペリエンスを向上させていくことだ。

そんな未来を実現させる技術として欠かせないのが自然言語処理と顔認識技術だ。感情サポートのチャットボットは、テキスト、音声などの感情的な手がかりを分析し、感情状態を認識する。そして言語に加え、顔認識技術を導入すれば、目や口、眉の表情など、特定の顔の特徴を分析して、さらにユーザーに寄り添った対話が実現できる。

eコマース分野では、そういった感情認識技術に拡張現実(AR)を取り入れ、没入感のあるリアルタイムショッピング体験を実現しようとしている。

例えば、インテリアショップのアプリで新しい家具を検討しているとする。ARでお目当ての仮想家具を配置して、部屋へのフィット感をシミュレーションしながら、チャットボットに家具の詳細や、お勧めなどを相談する。購入を決定して注文する際は、リアル店で店員と会話しながらレジへ行くように、決済もチャットボット画面で済ませる。

このような外部システムとの相互運用性は、eコマース業界にとって、チャットボットの利便性を向上させる重要な概念のひとつである。相互運用性が高まれば、美容院のサイトのチャットボットで予約を入れるとWhatsappからリマインダーが送られるといったことも可能になる。

AI生成チャットボットの限界

そんなチャットボットの利便性向上と対を成して企業が取り組まなくてはいけないのが倫理面とセキュリティのリスクだ。

先のVectaraはセキュリティを最優先事項と位置づけ、外部機関による監査を受けレポートの提出、情報セキュリティとプライバシーに関連する国際的な資格を取得した企業との連携するなど、技術開発と同じ熱量でセキュリティに取り組んでいる。

人間とAIの決定的な差が不確実性である以上、全てを技術で運用することはできない。人間は感情、直感、個人的な経験などから不確実性を理解して対処できるが、AIはデータやプログラムに基づいて作動するので不確実性を正確に処理することが難しいからだ。

また、人間の特性は変数が多すぎてアルゴリズムで完全に捉えることもできない。従って、感情や道徳的な観念などをはらむ倫理的な判断や同じ問題や状況でも背景や文脈によって最適な解決策が異なる場合もあるセキュリティ対策は、どれだけ技術が進んでも常に人間が介入していく必要がある。

文:水迫尚子
編集:岡徳之(Livit

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