リモートワークや遠隔医療、オンライン教育をはじめとした、デジタル技術の進展は、さまざまなシーンで場所や空間の制約を取り払い、私たちに効率化、多様化をもたらしている。しかし、対面で接するコミュニケーションの形が変化したことで、交流や人流という側面においては希薄化が進んでいることも、多くの人が体感していることだろう。これらの社会変化を俯瞰する時、私たちは「人と人」や「人とモノ・コト」の“つながり”が、“移動”と深く結び付いていることに気付かされる。“移動”と“つながり”がもたらす価値は、今、見つめ直すべき新たなテーマなのかもしれない。

そうした中、移動を通じた“つながり”の可能性を追求し続けているのが、JALグループだ。同グループでは空の移動が結んださまざまな縁に関わる人々にフォーカスし、その“つながり”について想いを語ってもらう「My ENJIN(マイ エンジン)」を始動。

「My ENJIN」の「ENJIN」という言葉には、縁を紡ぐ人「縁人」、原動力を表す「エンジン」、そしてつながりの輪を表す「円陣」の三つの意味が込められている。同グループが提供する移動を通じた“つながり”によって、社会課題や未来の可能性と向き合う人たちが原動力となり、人と人はもちろん、場所、モノ・コトと縁を紡ぎ、多様なステークホルダーと手を取り合うことで、さらなる“つながり”の輪を創出し、広げていく取り組みだ。

今回AMPでは、この「ENJIN」が生み出す、人々の多様な“つながり”の可能性を連載形式で探っていく。

連載の第1〜5回は、地域の伝統・文化の継承や、自然保護を目的とした活動、ドローンによる実証実験をJALと進める鹿児島県・奄美群島の「ENJIN」を紹介。第1回の主人公は、JALの客室乗務員である持木絹代(もちぎきぬよ)さんだ。地域に移住し、地域課題の解決に向けて活動する「JALふるさとアンバサダー」に従事している。「奄美は自分の価値観を変えてくれた。そんなきっかけを、多くの人に届けたい」――。持木さんが奄美で感じた、“つながり”の可能性とは。

奄美の風土に一目惚れし、「JALふるさとアンバサダー」として移住

鹿児島の南方に位置し、八つの有人島から構成される奄美群島。亜熱帯の自然で育まれた豊かな生態系、人々の手により受け継がれた島文化に恵まれ、2021年7月には世界自然遺産に登録された。島を訪れる多くの観光客は、奄美の独特な風土に魅了されていくという。

JALで客室乗務員を務める持木さんも、その一人だった。キャリア採用枠で入社し、国内線・国際線で世界各地を飛び回っていた持木さんは、プライベートでも島やビーチリゾートを旅行することが多い。初めて奄美群島を訪れたのは、2021年12月。コロナ禍に悪天候が重なり、十分な観光体験ができなかったにもかかわらず、奄美に魅力を感じたという。

「海に入ると数メートルでウミガメに出会えることや、マングローブカヌーで間近にイノシシの親子を見ることができるなど、人と自然の距離の近さに感動しました。自然が残されているだけでなく、その中に人の暮らしが溶け込んでいて、小さなカフェなど居心地の良い空間も整っています。奄美が持つ魅力と可能性に惹かれ、この自然を守りたいと感じました。車で島を回っている時、助手席に乗っていた友人に『私、奄美に住みたいかも』と話していたのを今でも覚えています」

日本航空株式会社 客室乗務員 鹿児島支店 奄美営業所「JALふるさとアンバサダー」持木 絹代さん

東京に戻ってからも、奄美で出会い、体験した自然や動物を守りたいという気持ちは消えなかった。とはいえ仕事もある中、頻繁に訪れることもできないので、持木さんはできることからアクションしたという。

「『移住』という選択肢も頭のどこかにあったのですが、現実として考えてはおらず、ふるさと納税で世界自然遺産に関する項目に寄付をしたり、自宅で使う洗剤を環境に優しい製品に変えたりと、暮らしの中でできる行動をしていました。私の実家も山に近い地域で、動物や自然への思い入れも強かったのかもしれません」

そんな持木さんの運命を変えたのは、「JALふるさとアンバサダー」の社内公募だった。「JALふるさとアンバサダー」は、客室乗務員が故郷やゆかりのある地域に移住し、その地の活性化に向け企画提案や商品開発をする制度。帰京して3カ月後の2022年3月に、奄美群島担当の公募が始まったのだ。

「『与えられたチャンスかもしれない』。そう感じた私は、国際線フライトに向かう電車の中で応募していました。何事にも慎重で、勢い任せでは行動しない性格なのですが、この時だけは特別だったように思います。その後、全てがとんとん拍子に進み、翌月には奄美へ移住。新たな人生がスタートしました」

持木さんが奄美大島で体験した自然の風景

知り合い・友人もゼロ。“つながり”を支えてくれた、島民の温かい人柄

こうしてJAL奄美営業所に赴任した持木さんだが、当然ノウハウも人脈もない。奄美には他の「JALふるさとアンバサダー」もいないため、ゼロから仕事をつくっていく形だ。

「世界自然遺産に登録されて間もない奄美は、島内外のPRイベントに積極的に出展しており、そこでのお手伝いから始めました。奄美には地元の催し物も多いのですが、いち早く地元の皆さんと“つながり”を持ちたいと、JALの制服を着て参加したり、週末のイベントにも極力足を運んだりもしてきました」

東京から来た持木さんを、奄美の人々は温かく迎え入れた。街中で世間話をしたり、飲み会に誘われたりと、移住2年目となる現在は、すっかり地元に溶け込んでいる。

「奄美の魅力は、人と人が本来持つ“つながり”が残っていることです。何か一つ質問をすると10も20も教えてくれたり、長らく顔を合わせていないと心配してくれたりと、親身になって接してくれます。台風の時には『食料がなかったら届けるよ』『必要だったら車出すよ』と連絡をくれ、プライベートでも何度も助けてもらっています」

持木さんは仕事だけでなくプライベートでもさまざまな交流を増やし続けている。

奄美の人々と親交を深める中、持木さんは地域課題にも理解を深めていく。その一つが厳しい天候だ。

「奄美群島は台風や波風が強まると船が止まり、生活物資が島に届かなくなります。人に会う、物を手に入れる、何かあったらすぐに病院で診察してもらうという、東京に住んでいた時には当たり前と思っていたことは、島ではありがたいことなんです。自然と隣り合うからこその難しさも感じました」

「JALふるさとアンバサダー」は学校向けの“お仕事”講演なども行うため、子どもたちと接する機会も多い。「未来の選択肢を広げたい」という思いも、活動のモチベーションになっている。

「子どもたちに将来の夢を聞くと、公務員など子どもたちにとって身近な職業や職種を挙げることが多いです。航空会社や客室乗務員は、テレビの中の世界であり、自分たちからは遠い存在であると思われているのかもしれません。奄美では島の外に出て就職をする人が多いため、仕事の選択肢を増やすのも大人の役目だと感じます。私自身も中学生の頃に『客室乗務員になりたい』と夢を抱いたのですが、もっと身近に感じられるようにと、小・中・高等学校向けに航空業界の仕事に関する講演を行っています」

「JALふるさとアンバサダー」として、奄美市の中学生180名に向けて仕事講演を実施した際の写真

そして、最初に地域課題として意識していた環境保全にもアプローチしていくことになる。持木さんが現在注力しているのは、自然保護、文化理解を両立させるツアーの造成だ。さまざまな関係者との“つながり”により、企画が形になっていった。

交流を通じて環境課題を意識する、新たなツアーを立案

観光促進は「JALふるさとアンバサダー」の重要な役目だが、一方的に観光客を増やすことが目的ではない。地元のニーズに即した形でツアー企画を進めなければ、地域にとって逆効果を招いてしまうこともある。

「地元には、『奄美をもっとより良くしていきたい』と精力的に活動する方もいれば、『今の奄美に満足しているから、このままでいい』と考える方もいます。奄美の魅力を発信するのが私の役目ですが、島の皆さまの気持ちを取り残さないことが大前提です。じっくりと島の方々と対話をし、プロジェクトを形にすることを常に心掛けています」

日々の対話の中で持木さんが感じたのは、観光客の“数”ではなく、関係性の“質”が求められているということだった。

「奄美には『集落』というコミュニティーがあり、それぞれが踊りや祭りなど、長い歴史の中で育まれてきた文化を持っています。『奄美の文化を一緒に体験し、好きになってくれる人に来てほしい』という声を聞いた時、一つの方向性が見えてきました。『豊かな自然は、沖縄や屋久島にもある。人や文化とのつながりにこそ、奄美の個性があるのかもしれない』。そのように考えたんです」

文化体験と環境保全の要素を組み合わせ、新たなツアーを企画できないか。持木さんは試行錯誤を重ねていく。根底にあったのは、「価値観が変わった自分自身の原体験を、多くの人に共有したい」という思いだった。

「私自身、旅がきっかけになり、『移住しよう』と思うくらい価値観が変わりました。旅行者の方にも何かを感じるきっかけを提供したいと、立案したのが複合的なツアーです。文化や自然の素晴らしさを体感してもらい、その上で島の人々と一緒にビーチクリーン活動をしたり、環境配慮に取り組む宿泊施設を利用したりと、課題にも理解を深めていく。このツアーには、地元の方々にも自然環境を見つめ直すきっかけにつながってほしいという、もう一つの思いも込めました」

過去に取り組んだビーチクリーンの様子

自然に恵まれた地域の人々が、必ずしも環境意識が高いわけではない。島外の情報と接する機会が少ない奄美では、日常生活におけるサステナビリティ意識が十分ではないと、持木さんは考えている。

「ゴミの分別がされていなかったり、廃棄物がそのまま放置されていたりと、本土と比べて環境に対する意識の高まりが薄いのを感じました。決して地元の方々に悪気があるのでなく、問題や解決策を知るきっかけ自体が少ないのです。観光客の方々と保全活動を一緒に行い、会話や行動の中で情報が共有されれば、良い方向に進むと期待しています」

市の観光課、地元事業者、旅行会社などと調整を重ねながら、ツアーの内容を構築していった持木さん。ビーチクリーンへの協力を地元の人々に依頼した際には、環境保全の取り組みを組み込んだ商品に反対の声も上がるのではないかと、不安があったという。

「皆さんに話をしてみると、前向きに『一緒にやろう』と言ってくれました。今回のツアーを起爆剤に、文化交流と自然保護を活気づけなければと、改めて覚悟を決めました」

奄美ファン”を増やし、気付きを共有できる島にしたい

島の人々との関係性を大切にし、新たなアクションにつなげていった持木さん。現地での生活を通じて、航空会社の存在意義も実感していった。

「以前、台風の影響で飛行機が長期的に欠航し、全国から来たたくさんの子どもたちが奄美に取り残されてしまったことがありました。後日、無事に帰宅した方の『家に帰り、家族に会うことができてほっとした』というコメントを見て、飛行機が人と人をつなぐ大切な役割を果たしているのだと、改めて痛感しました。私自身も帰省をする際、『大好きな家族や友人に会える』という思いを抱きます。移動の先には、常に“つながり”があるのだと感じます」

現在の持木さんの目標は、「奄美ファンを増やすこと」。そのことが地域課題の解決にもつながると、力強く語ってくれた。

「地域の魅力をPRするにしても、ただ表面的な情報を伝えるだけでなく、島に足りない部分や課題を正直に発信することで、同じ思いを抱く『奄美ファン』が増えていくと信じています。新たな人に訪れていただき、関係人口が増えていけば、島の人々にも気付きが生まれ、より良い地域に発展するはずです。そのためにもまずは足を運んでいただき、魅力に直接触れていただきたい。私自身がJALふるさとアンバサダーとして、これからも全力で“おもてなし”します」

持木さんが島の生活で実感したのは、奄美に本当に必要なのは出会いということだった。出会いがもたらす“つながり”は、子どもの未来や災害対策、自然保護など、多くの課題の解決へと循環していくのだろう。移住者である持木さん本人も、そのサイクルを体現した一人である。新たに訪れる人を温かく受け入れる。そんな奄美の人柄もまた、人々を動かす原動力となり、「ENJIN」になっているのだ。

取材・文:相澤優太