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コロナ禍が収束し、ハイブリッドワークをはじめ多様な働き方が浸透している昨今。場所に縛られない勤務形態が導入される中、生産性を高める上ではオフィスの存在価値も見直されつつある。「自社が入居するオフィスビルは、本当に最適か?」と自問するビジネスパーソンも多いのではないだろうか。
では、良いオフィスビルとはどういうものか。事業に適した基礎的なインフラ、立地や交通利便性はもちろんだが、ウェルビーイングやサステナビリティが重視される現代においては、従業員のワーク・エンゲージメント向上、環境配慮や災害対策、地域貢献など、さまざまな観点も指標に含まれつつある。
しかしその一方、ビルの運営会社がどのような事業を展開しているかは、私たち利用者にはあまり知られていない。そこで今回AMPでは、東京・丸の内に立地する株式会社鉃鋼ビルディングを取材。伝統と革新する力を兼ね備えた鉃鋼ビルディングは、ビジネスパーソンに対してどのような価値を提供しているのか。同社の事業を推進する西山哲平氏、吉田克司氏、宮内洋輔氏、代表取締役社長の増岡真一氏に話を聞いていく。
オフィスビルでクラシックコンサートを。日本経済の中心地で異彩ある活動を行うビル
東京駅八重洲北口、住所は丸の内1丁目。長い歴史の中で日本経済の中心地として栄えてきたこの地に、鉃鋼ビルディングはある。2棟からなる同ビルは、地上26階、地下3階、延べ面積117,972㎡。スタイリッシュな外観のオフィスビルは、2015年のビル建て替え工事により完成したものだ。丸の内で存在感を放つこのビルで、日々ビジネスに励む人々が行き来する。
活気づいているのはビジネスだけではない。2023年10月13日の正午、1階のオフィスエントランス部分では、クラシックコンサートが催された。ゆったりと流れるピアノとバイオリンの音色は、多忙なビジネスパーソンに安らぎを与え、東京の中心に温かな人々の交流を生み出す。しかしなぜ、オフィスビルで無料のコンサートが行われているのだろうか。鉃鋼ビルディングでコミュニティ形成を推進する宮内洋輔氏は、その意図を語る。
宮内氏「当社では『誰もが輝きだす場所へ。』というコーポレートスローガンを掲げており、テナント様はもちろん、社会の多様な人々がリアルに接する場を多く創り出したいと考えています。そうした中で、クラシックの感動をより多くの人と共有すべく全国各地で活動する、一般財団法人『100万人のクラシックライブ』様と出合い、同財団の理念に共感し、ビル共用部分の無償提供からスタートしました。テナント様が同財団へ協賛していたこともあり、現在では、当ビル全体で盛り上げるような形で、2カ月に1回のペースで開催しています」
一般的にオフィスビルの運営会社は、テナントの誘致、施設の運営管理、設備の保守・維持管理などが主要な業務であり、テナントやステークホルダーのコミュニティづくりは、副次的な要素ともいえる。テナントと一体となりコミュニティを形成しようとする同社の姿勢には理由があるようだ。
宮内氏「通常、オフィスビルの運営会社は、事業の主力となるビルのワークスペースを可能な限り顧客に提供するため、本社機能は別の場所に構えることが多いようです。しかし私たちは、鉃鋼ビルディング内に本社があるので、テナント様と近い距離で日々接しながら仕事に取り組んでいます。ソフト・ハードの両面から、より快適で安全な環境を創造することで社会に貢献することが、仕事におけるモチベーションです。イベントを開催することで賑わいを創出し、新たなコミュニティや、より良いつながりを生み出すことで、ビル全体の一体感を醸成したいと考えています」
このようなコンサートだけでなく、「より良い施設・空間」のために、現在同社が注力しているのが、GX、DX、コミュニティの三つの領域だ。オフィス環境の変化が激しくなる時代にこそ、どのような切り口でオフィスビルに付加価値を生み出す必要があるのか、その具体事例を探っていく。
「GX」「DX」「コミュニティ」、鉃鋼ビルディング が注力する三つの付加価値
近年、サステナビリティへの機運が高まる中、建築物の環境性能も社会的に注目されるようになってきた。GX(グリーントランスフォーメーション:脱炭素と経済成長の両立を目指す取り組み)を推進する吉田克司氏は、「建て替え設計時より、東京・丸の内というビルの立地特性やこれからの社会的要請、その土地の歴史、建物の伝統などを複合的に理解し、包括して新・鉃鋼ビルディングに反映した」と同施設の特徴を語る。
吉田氏「近年の新築高性能ビルが社会的要請に応じて環境性能に配慮することはスタンダードになっています。この潮流に先駆け、鉃鋼ビルディングでは建て替えの計画段階から環境負荷低減やビル利用者様、入居者様の快適性を念頭においていました。そうした配慮の結果、竣工後8年を経過した現在でも高性能のビルとして、評価を頂いております。
全館LED照明も現在ではなじみのある設備ですが、当時としては先駆的な事例であり、日射角度に合わせて角度が自動調整される太陽光追尾型自動ブラインドや、窓の断熱性能を高めたLow-E複層ガラス、ペリメーター(窓際)に設置している自然換気設備は、それぞれ空調設備や照明設備の消費電力量を低減するだけでなく、快適な執務環境を提供しています」
吉田氏「ビル完成後においても、使用電力を再生可能エネルギー由来の電力100%に切り替えたほか、生ゴミを飼料化し廃棄物を減らすなど、時代や社会情勢に適応した建物となるように絶えず変化・向上を続けています。当社で調べたところによると、利用電力の切り替えを行った2021年1月段階において、当ビルは日本で初めての『再生可能エネルギー由来電力100%導入の大規模複合ビル』でありました」
一連の取り組みが評価を受け、2023年9月には一般財団法人 住宅・建築SDGs推進センターによる「CASBEE-不動産評価認証」と「CASBEE-スマートウェルネスオフィス認証」で最高ランクの評価Sを取得。欧米ではスタンダードになっている認証機関による環境認証の格付け取得は、サステナビリティ意識が高まるテナント企業のCSRにも直結するほか、健康経営実現の一助にもなるなどビル事業者としてビジネスをバックアップしている。また、鉃鋼ビルディングは高水準な建築・設備性能の実現にとどまらず、多面的な付加価値向上への取り組みも行っている。
吉田氏「敷地西側外構の散策路では、シラカシやタブノキなどの地域の自生植物を植えています。外構の植栽については綿密な検討を重ね、丸の内、八重洲の自然植生や、より広範囲の武蔵野台地などを調査し、地域本来の自然植生を再現しました。また、広島県呉市では、当社グループ会社と協業し、78,000㎡の広大なビオトープを作り、メダカやチョウなどの生態系を含めた環境研究も進めています。社会的要請として今後はより一層生物多様性が重要になることが予想されるため、地球環境に貢献できる取り組みを継続して強化していきたいです」
コミュニティづくりの推進においても、さまざまな取り組みが行われている。地下1階の商業エリアでは、知的障害のある作家のアートを、2023年7月より常設展示。福祉実験ユニット「ヘラルボニー」とのコラボレーションによるものだ。
宮内氏「イベントを通じて賑わいを創出し、新たなコミュニティの形成を図るという目的は、コンサートと同じです。ヘラルボニー様は、知的障害のある“異彩作家”のありのままの個性が表現された作品を展開する、魅力ある団体です。それまでは無機質であった通路の壁に彩りが施され、通りがかった人が立ち止まって鑑賞する光景が見られるようになりました。テナント様の中にはヘラルボニー様のファンである方々もいて、感謝のメッセージを頂いたこともあります」
ビル前の広場では、月に4~5回訪れるキッチンカーが、ビジネスパーソンの食欲を満たしてくれる。通常、オフィスビルがキッチンカーを招致する際には、場所の使用料等により収益化するケースが多いが、鉃鋼ビルディングは無償で場所を提供。福島復興支援を目的としているからだ。
宮内氏「福島の魅力ある食材を楽しんでいただきながら、復興支援につなげられたらと考えました。都内の人気飲食店が手掛ける弁当や丼が中心でクオリティーは非常に高く、メニューが毎回変わるため、利用者様の間でも話題になっているようです」
ビルの付加価値を高めるべく、三つ目の注力課題として取り組んでいるのがDXだ。担当の西山哲平氏は、多角的な視点からビル機能のデジタル化を進めている。
西山氏「まず着手したのが、作業申請届など、館内で必要になる書類の電子化です。コロナ禍により浮き彫りになった、テナント様が『書類提出のために出社する』という問題にアプローチするもので、多様な働き方のためにも焦眉の問題だと考え、システムを開発中です。書類の電子化は社内業務でも積極的に推進しており、効率化によって生まれた価値を、再びテナント様に還元したいと考えています」
今後は書類電子化にとどまらず、さまざまなDXに臨みたいと意気込む西山氏。テナント内のIT関連企業とも協業することで、ビルユーザー視点の利便性向上も図っているという。
西山氏「情報発信や商業施設のクーポン利用ができる館内利用者専用アプリなど、盛り込んでみたい施策はたくさんあります。テナント企業来訪者様の受付の行列解消など、明確な課題も多いので、テクノロジーの力で一つずつ解決したいですね」
明治以来の歴史に裏打ちされた、ビル運営の知見と技術
ユニークなアイデアでオフィスビルのアップデートを図る同社。ソフトのみならずハードも扱う事業者である限り、先進的なマインドだけでは対応できない部分も多いはずだ。変化に対応する力は、長い歴史により培われてきたと、代表取締役社長の増岡真一氏は語る。
増岡氏「当社の前身は明治時代、1888年に広島の呉市で創業した増岡商店にさかのぼります。当時の呉は、海軍の基地として活用されることが決まり、新たな事業を求めて人が集まっていました。そうした中、薪や船の道具を販売していたのが増岡商店です。その後も海軍のニーズに合わせて事業を展開してきたわけですが、戦後に海軍が無くなったことで、需要は途絶えます。増岡商店のそれぞれの部門が株式会社として独立していく中で生まれたのが鉃鋼ビルプランでした」
終戦直後の焼け野原だった東京であったが、その後の経済成長を見越して、1951年に丸の内に建設されたのが、リニューアル前の鉃鋼ビルディングだ。以後、オフィスビル経営を事業の中心に据え、社会の変化とともに同社は歩んできた。
増岡氏「次第に丸の内は日本経済の中心地になり、鉃鋼ビルディングも4回の増築を経て、成長してきました。耐震性、利便性、グローバル化への対応など、時代のニーズを吸収する力は、この時期に身に付いたのでしょう。そして2015年、『人・街・時をつなぐ』をコンセプトに、サービスアパートメント、商業施設、ビジネスサポート施設、リムジンバスターミナルなどの機能が融合した大規模複合ビルに生まれ変わり、現在に至っています」
歴史とともに事業領域も拡大してきた。同社は、呉阪急ホテルや現地赴任者向けサービスアパートメントであるベトナムのハイズオンガーデン、国内外における土地開発、不動産投資信託事業などを手掛ける、グループ12社のコアカンパニーでもある。グループ各社の知見や技術が再び本社に集約される循環も生み出されており、呉市におけるビオトープの事例もその一つだ。
増岡氏「コロナ禍を受けたワークスタイルの変化、気候変動に代表される環境課題、首都直下型地震をはじめ予見される大規模災害など、オフィスビルを取り巻く状況は以前よりも複雑化しています。社会的ニーズに対応しながら、ビルの付加価値を向上させるためには、スタッフ一人一人の知見を集めなければなりません。組織横断的なプロジェクトとして組成したのが、GX、DX、コミュニティでした」
オフィスビルは、一度建てれば簡単には改築ができない。次の時代を見据えたハードづくり、変化に柔軟に対応するソフトづくりの両方が不可欠だ。特にソフトの力は、人材や組織風土に懸かっている。「社内においても常に変化を起こすことが、社会全体の環境変化に対応する力を養う」というが、増岡氏の考えだ。
増岡氏「生命の進化は、『突然変異』と『環境圧力』の相関で決定づけられるという考えがあります。変化する環境に適応しながら進化を続けるためには、常に自身の内側にも突然変異が起こり続けていなければならないということでしょう。すぐには役に立たないようなアイデアであっても次の時代の先進性に変わることもありますし、現段階で革新的なプロジェクトに見えても明日には陳腐化することもあります。だからこそ、創意工夫するプロセスそのものが大切なのであり、それを担うのが人材です。発想を妨げず、可能性に挑戦し続ける組織づくりを根底に置くことで、次なる社会変化にも対応するオフィスビルが実現するのだと考えています」
既存のオフィスビルの枠組みを超えて、新たな時代に挑戦したい
歴史に裏打ちされた知見と、明日を創造する人材力。その組み合わせこそが、鉃鋼ビルディングが付加価値を高め続けられる秘訣なのだろう。現場レベルでは、どのようなビジョンが描かれているのだろうか。プロジェクトのモチベーションや今後の展望を聞いた。
宮内氏「入社以前もオフィスビルの運営に携わってきましたが、鉃鋼ビルディングの強みはテナント様との距離の近さだと感じます。私自身が営業の担当でもあるため、テナント様に当ビルを選んでいただき、長く快適にご利用いただくことが最終的なゴールなのですが、そのために既存のオフィスビルを超えたさまざまなコミュニティを、イベントによる賑わいの創出を通じて構築していきたいと考えています」
吉田氏「当社はコンパクトな組織であるが故に社内の距離感が近く、上司や取締役、社長をはじめとした経営陣も、分け隔てなく社員の発案や行動に理解を示してくれるので、率先してアクションを起こせる土壌があります。前職では大規模な組織に身を置いていたこともあり、大きな驚きと新鮮さを感じつつ、責任感とモチベーションを持って職務に取り組んでいます。また、ビル事業者として常に最適な環境を追求するマインドがあるため、先見性を持った同僚や上司に助けられながらも、競争力のあるオフィス、大規模複合施設として今後も発展させていきたいと考えています」
西山氏「アメリカでは賃貸オフィスの需要が低迷するなど、私たちの業界は岐路に立たされていると考えています。そうした時代にカギを握るのは、デジタル技術でしょう。3Dテクノロジーの発展によってリアルとバーチャルの空間を融合したオフィスも可能になるなど、可能性は無限大です。皆様が働きやすいハイブリッド型の働き方を提供していくことが、今後の私の役割だと考えています」
トップから現場まで、各スタッフが前向きに価値創造に挑む鉃鋼ビルディング。普段私たちが仕事の土台として利用しているオフィスビルは、環境、安全、テクノロジー、コミュニティなど、さまざまな観点からの最適解によって成り立っていることが分かった。自社の価値を高めるためにも、信頼の置けるオフィスビル事業者に出合うことは、一つの持続的な戦略になるのかもしれない。
取材・文:相澤優太
写真:示野友樹