ChatGPTの登場に伴い、ビジネスの領域でも生成AIは無視できない存在となり、大手企業を中心に積極的な活用を模索する動きが広がっている。
同時に、雇用への影響に対する警戒感が高まり、いずれ消えるかもしれない職業に関する報告や、「3億人の職が生成AIに置き換えられる」などの予測が相次いで登場。ホワイトカラーを中心とした大量失業時代の到来すら意識される状況となった。
これに対し、生成AIは補完的な役割にとどまる、人間の役割がアップグレードするとの予測もあり、実際に何か正しいのかは今のところ誰にも分からない。ただ、生成AIの能力や応用範囲を考えれば、世界的に雇用環境や働き方が大きく変わることは、もはや避けられそうにない。
こうした中、米国では企業による生成AIの活用が広がると同時に、そのための人材育成に乗り出す動きが出てきた。『フォーチュン』誌の8月初めの報道によれば、セキュリティー上の問題から生成AIの使用を全面禁止、あるいは制限する企業がある一方で、全面的に活用する方向に舵を切り、トレーニングプログラムを構築する事例が目立ち始めたという。
ChatGPTが登場してまだ1年にもならず、企業側も手探りの状況にあるもよう。世界最大級の人材サービス会社ランスタッドの調査では、「スキルアップのためにAI活用法を習得したいと考える社員に対し、企業側の対応が遅れている」とのミスマッチが明らかになっている。
しかし、AIトレーニングは決して従業員だけのためでなく、「就職先としての企業の魅力を高めるために不可欠になる」との指摘も目立つ。始まったばかりの企業のAI人材育成はこの先、本格的に広がる見通しだ。
AIスキルに需給ギャップ、研修需要高まるも企業側の対応に遅れ
オランダ本社の人材サービス会社ランスタッドは、世界中の求人情報と会社従業員7,000人以上を対象としたWorkmonitor Pulse調査の結果を分析し、9月上旬に発表した。
それによれば、従業員側は業種を問わず、AIを学ぶことに前向き。全体の52%が生成AIに習熟することで、キャリアアップが可能になると答えた。また、生成AIが自分の仕事に影響すると考えている人は53%に上ったが、59%は「自分は最新技術を活用するために必要なスキルを備えている」とし、持っていないとの悲観的な回答はわずか17%にとどまったという。
さらに、39%が「仕事への影響を懸念している」と答える半面、47%は「職場でのAI利用の可能性に期待している(興奮を覚える)」と回答。大方の予想以上に、AIをポジティブに捉える会社員の姿が浮かび上がった。
ところが、実際にAI対応のトレーニングの機会を得たとの回答はわずか13%。AIスキルを持つ人材の求人数が3月以降だけで20倍に急増したにもかかわらず、当の企業側が対応しきていない現状が明らかになっている。
また、ボストンコンサルティンググループが18カ国の従業員約1万3,000人を対象に実施した調査も、ほぼ同様。85%以上がAIによる仕事の変化についての研修を求める一方、これまでに研修を受けた人の割合は15%にも満たないとの結果が示されたという。
ChatGPTなど生成AIの機能・性能がこの1年弱の間にも大きく進化しており、企業はそのスピードに対応しきれていないと指摘もある。人材育成に対する企業の対応は、米国でもまだ入り口にあり、メディアがその代表的な事例を紹介している。
PwCがトレーニング本格化、5カ月のプログラムに全米社員が参加
従業員のAIトレーニングに積極的に取り組み始めた米国企業として『フォーチュン』誌が取り上げたのは、総合コンサルティングファームのプライスウォーターハウスクーパース(PwC)。米国の全従業員を対象とした5カ月間のトレーニングプログラムを8月に開始した。生成AIに対するスタッフの懸念が高まる中、早期に研修を行う必要があると判断したという。
その内容は生成AIとは何かという基本知識に始まり、どのように機能するのか、どう活用するか、どうすれば倫理的かつ責任ある使用法が可能か、など。一般社員のほか、技術的なトレーニングを必要とするソフトウェア・エンジニア、顧客のビジネス変革を支援するために徹底的な理解を必要とするシニア・リーダーなどに分けて、研修プログラムに取り組む。
PwCほど本格的でなくても、プロンプトの書き方に関する講習への全員参加を求めるケースや、希望者を募って活用法に関する研修を行うケースがある。さらにはオンライン学習プラットフォームCoursera(コーセラ)のように、業務上のChatGPTの活用を奨励し、その結果を定期的にスタッフ同士でシェアするという「スピード重視」のシステムを構築する事例もあるという。
日本では一部の大手企業を中心に積極的な生成AIの活用事例が報告される半面、主にセキュリティー上の懸念から、「職場での利用を禁止した」、あるいは「禁止を検討している」企業が約7割に上るとの調査結果がある(BlackBerry Japanが6〜7月に実施)。
それでも、今後の国レベルでのルール作りやセキュリティー問題に目を向けた生成AIの進化に伴い、活用に動く企業が広がる見込み。いずれは社内トレーニングも本格化するとみられ、企業向け研修ビジネスなどの需要も拡大しそうだ。
「社内育成」実は待ったなし、企業の成長にも社員の能力ブーストが不可欠
世界規模で行われたランスタッドの前出の調査では、生成AIへの対応に前向きな従業員の姿がうかがえたが、実際には、生成AIが雇用の潜在的な脅威であることは否定できない。すでに影響を受けている人は一定数存在し、ハリウッドでの俳優や脚本家によるストライキも、生成AIの利用法に関する合意が争点の1つだった。
ChatGPTの登場から数カ月で雇用への不安が高まった一因は、国際機関や投資銀行などが相次いで発表した予測だ。この種の報告書は決して悲観一辺倒といった内容ではなく、プラスの側面を同時に提示したが、どうしても悲観的な部分がクローズアップされる形となっている。
例えば、ゴールドマン・サックスは3月下旬の報告で、「3億人のフルタイム職が生成AIに取って代わられる」可能性を指摘すると同時に、新たな業務が生まれ、生産性が向上するとの予測を示したが、注目されたのはこの3億人という数字だ。
また、OpenAIとペンシルバニア大学が同じ時期に発表した論文は、大規模言語モデルが米国の労働者の80%にとって、少なくとも10%の作業タスクに影響すると分析したが、それ以上に注目されたのは職業別の評価。
ChatGPT(GPT-4)の利用によりどの程度、タスクの所要時間を短縮できるかを分析し、「露出度」という形で数値化したところ、数学者、金融クオンツアナリスト、ウェブ・デジタルインターフェースデザイナー、会計士・監査役、報道アナリストなどの露出度が100%。これは完全自動化や失職の可能性を示すものではないが、高収入職ほど露出度が高い、すなわち置き換え可能度が高いとの結果は、やはり衝撃だった。
ただ、プラスの方向に目を向ければ、世界経済フォーラムが4月に発表した「仕事の未来レポート2023」では、「スタッフを置き換可能な役割から、成長に係わる役割へとシフトさせる」との企業側の意向が明らかになっている。また、国際労働機関(ILO)の8月下旬の報告書は生成AIが雇用に与える影響について、「事務職などを除く大半の職種や産業で自動化の影響は部分的。生成AIは人に取って代わるというより、補完する存在になる可能性が高い」としている。
どの予測が正しいかは分からないが、生成AIを活用する動きはもはや止まりそうにない。そうなれば、効率化や従業員のモチベーションアップという以上の成果を得るためにも、AIトレーニングは必要だというのが、PwCのジョー・アトキンソン最高製品・技術責任者の見方だ。「より多く、より良いものを提供するために人間の能力を引き出す」というメリットが、AIトレーニングにはあるという。
また、AI人材の求人が3月以降20倍に増えたというランスタッドの前出の報告は、外部からの人材採用を目指す企業の動向を示唆しているが、それでは間に合わなくなるとの指摘がある。eラーニングプラットフォームを展開するSkillsoft(スキルソフト)のApratim Purakayastha最高製品・技術責任者は、「ここ3-4年、テクノロジーと地政学的要因の変化が速度を増す中、必要なペースで人材を採用することはほとんど不可能になった」との見解。そうなれば、米国企業にとってはもはや、AI対応の人材育成は待ったなしの状況にあるのかもしれない。
文:奥瀬なおみ
編集:岡徳之(Livit)