この夏、ハリウッドの俳優や脚本家が、AIが仕事に与える影響に対する懸念を示すストライキを敢行し、その影響はソニーなど日本企業にも波及している。
一方で、従来の映像制作のコストの高さや複雑さ、スケーラビリティの問題を解決する手段として、コンピュータで生成された画像や音声で作られたデジタルヒューマンを使った「合成(シンセティック)メディア」に対する期待は、これまでになく高まっている。
クリエイティブ関連の職業に就く人々にとっては脅威とみなされ、ディープフェイクなどの肖像権侵害リスクを指摘する声も絶え間なく上がる中で、AIとそれを活用したデジタルヒューマンが、コンテンツ制作にもたらす可能性と影響、そして課題とは?
実在のKポップスターに「デジタルツイン」登場
昨今、ますますその完成度が高まっている人間型AIアバター、デジタルヒューマンは、多くの分野で活用されている。
その活用可能性の奥深さを示したのが、一般にイメージされる完全な「創作物」としてのデジタルヒューマンではなく、実在の人物の声や骨格などを再現したデジタルクローンをプロモーションに活用した芸能人の「デジタルツイン」の登場だ。
このプロジェクトを支えるのはロサンゼルス発のスタートアップ「Soul Machines」。同社は、デジタルヒューマンにAIによるチャット「ChatGPT」を統合したサービスの提供を行っているが、最近、K-POPグループ「GOT7(ガットセブン)」のメンバー、マーク・トゥアンと提携した「デジタル・マーク」のリリースを発表した。
この新プロジェクトによって、マーク・トゥアンの1000万人を超えるファンは、ChatGPTを搭載したマルチリンガルの「デジタル・マーク」と、いつでもおしゃべりが可能となり、これまでにないファンサービスを受けることができる。
教材のスケーラビリティを高める語学学校の「デジタルヒューマン講師」
デジタルヒューマンは、オンライン教材開発にも活用されている。
レッスンのオンライン化を進めている語学教室大手のBerlitzは、NBC UniversalやDreamWorksといった米国大手メディア製作会社を顧客に持つイスラエルのIT企業「Hour One」と提携し、デジタルヒューマン講師の導入を開始した。
Berlitzは、講師がライブで行うオンラインレッスンに加えて、動画コンテンツも提供しているが、これには撮影や講師の確保にかかるコストや、動画ファイル管理の手間といった課題があった。そこに登場したのが、テキストベースのレッスンを、講師と行うようなより満足度の高いものに変えることができるHour OneのAIを搭載したデジタルヒューマン講師だ。
数人のデジタルヒューマン講師、4ヶ国語対応でスタートしたこのプロジェクトだが、いつでも56ヶ国語に拡張できるというスケーラビリティが大きなメリットだ。
AIで俳優の年齢を自在に変更、映像制作を大幅に効率化
映像内の実在する俳優の顔や姿を、AIで大幅に加工することで、新たなクリエイティブコンテンツの可能性を追求する技術も生まれている。
カナダのVFXベンチャーであるMonsters Aliens Robots Zombies(MARZ)は、映像内の人物の顔の年齢を自在に加工できるソフトウェア「Vanity AI」をリリースした。
このソフトウェアに搭載されているAIは、俳優の顔を加工・修正したマスクを作成、映像内でその俳優が登場するすべてのショットをくまなく調べ、マスクを自動的に顔に貼り付ける。これを専門の技術者が手作業で行った場合、5秒のフィルムを完成させるのに16時間かかり、コストも莫大なものになりうるとのことだが、「Vanity AI」はそのコストを半減させることも可能だ。
このような技術が一般的になれば、レオナルド・ディカプリオのような人気俳優が若い時の姿のまま新作映画の主役を演じることも可能になり、俳優と映画の在り方を大きく変える可能性を秘めている。
AI活用で映像コンテンツ制作のコストや複雑さが軽減、効率化が進むか?
このように、AIとデジタルヒューマンは、映像コンテンツ制作の効率化、コスト削減に与えるインパクトという点で多大な注目を集めている。
映画制作会社、映像制作会社にとってはもちろん、まったく映像制作とは関係ない分野の企業にとっても、そのメリットは大きなものといえる。
どんな企業も、販売促進やSNS運用など、動画コンテンツの制作が必要とされる局面は多い。しかし、たいていの場合、社内にはハイグレードな動画コンテンツ制作スキルを持った人材がおらず、結果、制作を外注することとなり、そのコストや手間は負担となっていた。
しかし、今後、より安価かつ短期に高品質の動画を作成できるサービスが、AIによってもたらされることに期待が寄せられている。
クリエイティブ関連職業に就く人々には懸念が広がる
企業や消費者にとっては大きな可能性を感じさせるデジタルヒューマン、AIだが、他の産業分野と同様に、その業界で働く人々には職を奪うものではないかとの懸念が広がっている。ハリウッドの俳優と脚本家によるストライキは、そのひとつの表れだ。
映画俳優組合・アメリカテレビラジオ芸術家連盟(SAG-AFTRA)のフラン・ドレッシャー会長は、AIは「クリエイティブな職業に脅威をもたらすものであり、すべての俳優とパフォーマーは、同意や報酬なしにアイデンティティと才能を搾取されないよう保護されるべきだ」と述べている。
ディープフェイクなどの課題に対する取り組みが必要
ここで問題提起されているように、今後大きな問題となっていくことが予想されているのが、AIで動画中の人の顔や声などの一部を入れ替えるディープフェイクだ。
ディープフェイクは、本物の人間と話しているような錯覚を与えるインタラクティブ・ディープフェイクなど、昨今著しい進化を見せており、フェイクニュースの拡散や詐欺にも悪用されて社会問題となっている。
ディープフェイクは、映像制作においては、俳優や著名人が自身の肖像権をどのように守るかという問題をもたらす。最近では、トム・クルーズ、イーロン・マスク、レオナルド・ディカプリオなどのディープフェイクが、本人に無許可で広告に登場したという報道もあった。
前述のKポップアイドルのように、仕事の一部を任せるために、同意のもと創り出されるデジタルクローンであれば歓迎されるが、適切な対策がなされなければ、このような技術は重大な問題を起こす可能性を秘めている。
文:大津陽子
編集:岡徳之(Livit)