中国経済の低迷で、代替成長市場を模索する米大手企業の関心がインド市場へと急速に向かっている。そんな中、インドのナレンドラ・モディ首相が訪米を果たしたことで、その機運がさらに加速する様相だ。
物議を醸した訪米
今年6月のナレンドラ・モディ首相の訪米は、バイデン政権になってから3人目の国賓としての歓待であったが、大きく物議を醸した。
モディ首相は、首相に初当選する以前の州首相時代、西インドのグジャラート州で起きた反イスラム暴動を見て見ぬふりをしたという疑惑で、10年近くにわたりアメリカへの渡航が禁止されてきた過去がある。さらにこの事件に関連して、宗教弾圧、メディア規制、批判への弾圧などを今年に入ってもなお繰り返していることへの批判もあがっている。
こうした人物をアメリカ外交上最上級のもてなしで迎えるとは、と米国議会の合同会議での演説には複数の議員のボイコットがあった他、記者会見や記者からの質問を受け付けないことで知られるモディ首相だが、共同記者会見を前日まで承諾しないなど、様々な経緯があったことも事実だ。
また、今般のロシアのウクライナ侵攻に関してインドは、国連安保理や国連総会などで、非難決議に棄権する方針を貫き、経済制裁にも同意していない。実際、西側諸国がロシア産原油の輸入を減らしている一方で、インドの輸入量は前年比10倍だったと国営銀行が発表しているほどだ。
米企業幹部との意見交換会
今回の訪米がアメリカでも根強い反感を買っている一方、大いに注目を集めたのがアメリカのテック企業トップとの面談だった。
CNBCの報道によると、アップル、アルファベット(グーグル)、マイクロソフトなど、大手テック各社のCEOといったそうそうたるメンバーが1時間あまりの意見交換会に参加。技術移転や人工知能、サプライチェーン改革のほか、アメリカ企業が現地で直面している問題について話し合った。
会の開催の背景には、冷え込む米中関係と中国経済の低迷と、それにともなう代替成長市場を模索する米大手企業のインド市場への関心の高まりがある。
2014年にモディ政権が始まって以来、インド政府は労働法の見直しや法改正も実施している。こうした規制緩和は、インドにおける事業展開のしやすさをアピールし、工業・製造業の成長を刺激している。
また、政府主体でさらなるビジネスおよび貿易インフラの整備を展開中で、港湾、鉄道、道路、物流センターの整備が急速に進むと見込まれている他、さまざまなメカニズムを通じて市場支配力の強化とビジネスの促進に注力しているとされている。
なによりも、膨大な消費者マーケット、それに豊富な若い労働力が魅力の市場だ。
アメリカからの軍事輸出
モディ首相の訪米に先駆け、各社が業務提携や投資予定を発表し、花を添えた。
ゼネラル・エレクトリックのGE・アビエーションはヒンドスタン航空機社とのインド空軍用戦闘機エンジン共同生産の了解覚書に署名したと発表。GEのCEOは「両国首脳のビジョンを促進させる重要な役割を担い、経済的な恩恵や国家安全保障を強化する」として防衛面での強化を図る両国のカギとなる予定だ。
防衛関連ではまた、インドの防衛相がアメリカのゼネラルアドミニクス社の攻撃型無人機の購入を承認したと発表。中国やパキスタンをけん制する軍用配備となるこのドローンは、米政府側より2年前にオファーされていたが、高額な購入代金を理由にインド側が渋っていたもの。今回のモディ首相の訪米前に改めて手続きを進めるよう米国側から働きかけがあったとされている。合計31機の発注で、取引額は30億ドル(約4190億円)になるとされ、モディ首相訪米の格好の手土産となった。
ホワイトハウスでの夕食会の成果
こうした流れの中で行われた米企業幹部との面談および夕食会は、インドへの投資を増幅させる象徴的出来事となった。招待客は前述のテック企業幹部のほか、運輸のフェデックスやマリオットホテル、エンジンメーカー・クミンズのCEOが含まれていたと複数筋が明かしている。
では、主な企業とインド政府間で具体的にどのような取り決めが締結されたのであろうか。
会議終了後にインドを「大きなチャンス」と称したのはアップルのCEOティム・クック氏だ。同社は今年に入ってから初の直営店「アップルストア」と2号店をそれぞれムンバイとデリーに開店したばかり。開店初日にはティム・クック氏も現地へ足を運び、オープニングセレモニーに参加した肝いりの市場だ。
というのも、価格志向型のインド市場ではスマートフォン市場におけるiPhoneのシェアはわずか5.5%。今年4月に、中国を抜いて人口が世界一となったこの国での消費者の取り込みはアップル社にとってもカギとなるからだ。
同時にアップルはiPhoneの製造拠点のインドシフトも計画。2022年末の時点で10〜15%程度と見られている世界的生産シェアをさらに拡大する予定で、同社の正式コメントはないものの、インド国内では今後世界のiPhoneの25%がインド製になると期待していると報道されている。
アップルは当初2016年に、インドで再生品iPhoneの販売許可を申請していたものの、有害廃棄物の懸念からインド政府の許可が下りず断念。また、製品調達額の30%が現地調達でなければならないというインドの外資規制をクリアできず、アップルストアの開店がかなわなかったという経緯がある。
その後同社は、契約している台湾のウィストロンを通じてiPhone SEの組立製造を始め、2022年にはiPhone14の組立製造に着手した。アップルのサプライヤーSalcomp社は、今後3年間に2万5000人の地元雇用を創出する予定。コロナ禍を通じて、中国頼みの生産リスクを痛感した企業のひとつであり、代替サプライチェーンとしてインドを見据えている。
さらに野心的なのが、アップルの受託製造会社フォックスコン。生産拠点を設立するにあたって、南インドのテランガーナ州に5億ドル(約692億円)、近隣のカルナタカには9億8600万ドル(約1366億円)投資予定で、雇用の創出は7万人以上と試算している。さらに、今後はAirPodsのインドでの生産も見越している。
ボーイング社はインドに2400万ドル(約33億円)を投資する予定で、航空機部品の物流センターを設立。この発表に先立ち、同社はエア・インディアから220機のジェット機を受注している。
半導体製造のマイクロン社は、同社の半導体テストおよびパッケージング工場の設立に関する27億ドル(約3800億円)の投資がインド政府の承認を得たと、モディ首相の訪米の前に発表された。
アマゾンのウェブサービス(AWS)は、2030年までにクラウド事業のインフラストラクチャ拡大のため130億ドル(約1兆8000億円)の投資を計画している。同時に数千人規模での雇用も創出できる予定だ。
アルファベット傘下のグーグルは、グジャラート国際金融テックシティ(GIFT)にグローバルフィンテックセンターを開設すると、インド出身のCEOスンダ―・ピチャイ氏が発表。首相との1対1の面会で、インドのデジタル化に同社が100億ドル(1兆3900億円)を投資すると話したことを明かすと同時に、今後G20が開催されるインドにとって、デジタル化はモディ首相の以前からのビジョンであったと首相を称賛した。
インド側からの要請で単独面会したテスラ
公式な面会と夕食会の日程の前には、インド政府側がテスラ社のCEOイーロン・マスク氏を招く形で単独面会をしたと発表。電気自動車や宇宙産業における協力を求めたとされる。
テスラ側は市場の様子見のためにまずはインドへの輸出だけを提案したものの、インド政府側から国内での製造を主張されたために頓挫している計画だ。ただ、マスク氏としてはスペースXが提供するインターネットの供給をインドで展開したいという野望もあり、両者が実際に何に合意したかは不明のままだ。
また今回の訪米を「歴史的訪問」と鼓舞するインドメディアは、ことさらアメリカにおけるインド系アメリカ人の多さ、優秀さを強調しているのも興味深い。
世界経済を先導するアメリカの大企業幹部にインド系アメリカ人が多いことや、バイデン政権のスタッフにこれまでで最大の130人のインド系アメリカ人が採用されていること、アメリカの人口でメキシコ系に続いて2番目に多いインド系移民、として大体的に紹介している。
共通の敵・中国
対中関係が史上最悪とも言われるアメリカと、中国との国境で軍事衝突が絶えないインド。中国が勢力を拡大し、西側諸国の対立を深める中で今回のバイデン政権とモディ首相の軍事連携強化は双方に恩恵があることは間違いないだろう。低迷傾向にあり、権威主義者が管理する中国市場を離れ、経済規模こそ中国に及ばないものの成長率が著しいインドへのシフトもまた、米企業にとって自然な動向だ。
しかしながら、口先の主張と実態が矛盾するのがインド外交の常でもある。バイデン政権ならびに米企業にとって今回のモディ首相の歓待がどのような結果をもたらすのか、世界中が注視している。
文:伊勢本ゆかり
編集:岡徳之(Livit)