「私、ここで何してるんだろう」。
いつか飲食店を開店するために栄養と調理を学び、20歳で栄養士としてのキャリアをスタートさせながらも、焦りにも似た違和感が湧き上がってきた。
そんな時、友達からの一言でモデルに転身。そして、初めての海外旅行で知った、新しい自由。海を越えて、もっと固定概念を変えてみたくなり、たどり着いたのがスペイン・バスク地方。27歳の夏に始まった、新たな挑戦だった。
美食で知られるバスク地方ならではの食文化に触れ、幼き頃からの夢である飲食店開店へのヒントをつかむ。
栄養士からモデル、そして、スペイン。自分自身の”やりたい”に真摯に向き合い、行動する福原艶香さん。その原動力の源はどこにあるのだろうか?
スペインで料理人として働く、とは?
Q. スペインでは今どんなお仕事をしていますか?
A. スペインのバル「Bar Gran sol」で、料理人として修行を積んでいます。営業開始前の仕事は、ピンチョス作りと翌日の仕込みです。
ピンチョスってご存知ですか?パンの上にいろいろな具材を乗せてお出しするもので、バーカウンターに並んでいる軽食のようなものです。前菜で頼む人もいれば、ワインと一緒に軽くつまむ人もいますね。バスクの代表的な食文化です。
ピンチョスは私たちのバルには約10種類あるので、基本的に昼も夜もまずはピンチョスを作るところから始まります。営業がスタートしたら、オーダーが入り次第、温かい料理を作って、営業終了まで走り抜けるといった要領です。
すごく驚いたんですけど、ピンチョスのソースに醤油やみりんが使われているんです。私たちのバルのオリジナルで、シェフとオーナーたちが日本の食文化に惹かれ、調味料を取り入れることになったみたいです。うちのバルはスペイン以外に1つだけ海外に支店があるのですが、それが東京なんです。
Q. 働く時間はどのくらいですか?
A. お店の営業は昼から夜遅くまでですが、キッチンスタッフは2チームに分かれていて、昼営業が終わったら、夜営業組が交代しに来ます。日ごとに若干出勤時間は前後しますが、昼の場合は朝9出勤で、午後4〜5時に終了。夜は午後4〜5時に出勤し、午後11時ごろまで働きます。月曜日が定休日です。
日曜日だけランチタイムのみの営業なので、隔週で週6日勤務していますが、1日の労働時間が比較的短いうえに、残業もほぼ無いので頑張れます。もちろん、立ち仕事だから疲れますけど、営業が終わってまかないをサッと食べて、みんなサッと帰る。子どもがいる人も多いので、お迎えや晩ご飯の支度のために急ぎ足で帰ります。
Q. 一緒に働く人たちはどんな人たちですか?
A. 料理人は半分がスペイン人、もう半分は外国人で、ドミニカ共和国、ルーマニア、モロッコ、アジア人は私とモンゴル人です。
同僚たちは外国人と働くことに慣れている気がしますね。私はスペイン語がまだそこまで喋れないのですが、彼らは仕事に必要な単語、文章をその都度教えてくれますし、間違っていたら指摘してくれます。
言語の壁にはとても悩まされます。それでも、バルで働く前、語学学校に2カ月半通っていましたが、その時よりも今の職場に入ってから伸びている気はします。仕事で使う単語、文章は割と限られるので、スペイン語を使えている気になっているだけかもしれませんが(苦笑)
少し前まで、私のようにあまり喋れない人が働いていたのですが、そうした人たちでも受け入れ、スペイン人たちが育てていました。言語の壁はみんなで乗り越える、という感じです。
と言っても、営業が始まり忙しくなると、早口になって聞き取るのは本当に大変です。分からなかったら、忙しくても聞き返しますけどね。二度手間になるよりはいいですから。
「スペイン語ができないから不採用」就活で立ちはだかった壁
Q. バルの仕事はすぐに見つかりましたか?
A. 全然でした。見つかったのは、奇跡でしたね。
当初、すぐに見つかると軽んじて考えていたので、語学学校が終了する数週間前にようやく就活に向けて動き始めたんです。履歴書の書き方をネットで調べて、先生やホームステイ先のママ、スペイン人の友達に確認してもらい、仕上げていきました。
卒業まで時間がないというのもあり、履歴書の完成前に思い切ってとあるバルに突撃して、オーナーに働きたいと申し出ました。そしたら、あっさり面接の約束が取れたんです。
ですが、気合いを入れて約束した日時に面接に行ったのですが、1時間待っても来ない。翌日、営業中にあらためて行くと、オーナーが働いていたので面接のことを聞いたら、そもそも忘れていたうえに、「あなた、スペイン語できないから」と不採用になりました。
実際に人を募集しているのに落とされるのはよっぽど。というか、話せないと仕事もらえないんだと気づかせてもらった経験でした。
その後、履歴書が完成し、仕事サイトの求人に応募してみたのですが、まったく返信をもらえず。卒業までまもないところで現実を突きつけられて、すごく焦りました。
でも、バルのオーナーの「スペイン語できないから」という言葉に、卒業後のことを焦る前に、まずは語学学校をやり抜こうと気持ちを切り替えました。すごく前向きになれて、特に力を入れて勉強したラスト2週間でした。
Q. 卒業後に就活を再開したんですね。
A. そうですね。でも、全然見つからない。先生たちから、バルに履歴書を持ち込むのが一番いいとアドバイスをもらったので、20件近くまわったのですが、受け取ってくれないところが多かったです。
そんな時、SNSを通じて出会った日本人女性とお茶をすることになって、仕事が見つからないことをぽろっと言ったんです。そしたら「バルのオーナーと知り合い」とのことで連絡してくださり、後日、そのオーナーと面接できることになったんです。
でも、そのオーナーは面接で開口一番、「今は人を募集しているわけじゃない」と。またダメかと諦めかけましたが、「だけど日本の食文化に注目しているから、日々の営業以外に私らに日本料理について教えてくれ。よろしくね」と雇ってくれることになったんです。
取材・文:星谷なな