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ウクライナ危機を背景に、世界的にエネルギー安定確保への注目が集まっている。中でも水素は、脱炭素と供給の安定性を両立できることから、欧米各国が投資を加速。日本でも2017年に世界に先駆けて水素の国家戦略を打ち出しており、積極的な取り組みが進められてきた。
地球上に豊富に存在する水素は、最も軽く、無色・無臭・無害な気体である。水や化石燃料など、さまざまな物質から取り出すことが可能であり、使用時にCO2を一切出さないことが最大の利点だ。すでに産業領域では原料として利用が進んでいるが、幅広く実用化していくためには国内の水素だけでは不十分であり、海外からの大量供給が必須になる。
川崎重工は、水素エネルギーの課題に早期から着目していた。SDGsが掲げられる以前の2010年において、中期経営計画で「水素エネルギーを利用できる仕組み作り」に取り組むことを宣言。以来、水素が当たり前のように使用される社会を目指し、技術開発を着実に進めてきている。同社はエネルギー業界のゲームチェンジャーとして、どのように日本経済および私たちの生活にインパクトを及ぼすのだろうか。2023年2月に開催されたサステナブル・ブランド国際会議における発表、水素戦略本部の西村元彦氏への単独インタビューをもとに、その可能性に迫る。
※本記事は「第7回サステナブル・ブランド国際会議」における川崎重工の講演に加え、西村元彦氏への単独インタビューを含む内容となります。
エネルギーの未来を変える、水素の可能性
2023年2月14〜15日、東京・丸の内で「第7回サステナブル・ブランド国際会議」が開催された。サステナビリティに取り組む先進的な企業がそれぞれのSDGsや技術革新を共有する中で、「水素なくしてカーボンニュートラルなし!」という強力なメッセージを発信したのが、川崎重工の西村氏だ。
西村氏「世界は今、気候変動に立ち向かうため脱炭素化を進めると同時に、エネルギーをどのように安定供給していくかという、相反する大きな課題に直面しています。特に日本は資源が乏しくエネルギーを海外に依存する一方で、エネルギー消費密度(※1)が世界でもトップレベル。こうした局面を突破するソリューションとして、注目されているのが“水素”です」
水素は、宇宙空間の約70%を占め、地球上にも豊富に存在する元素である。酸素と結びつく際の化学反応で電気を生み出す性質、燃焼時に動力源となる熱とエネルギーを発する性質により、エネルギーとして幅広く活用することが可能だ。利用時にCO2を出さないことから、“究極のクリーンエネルギー”といわれる他、大量にためることが困難な電気とは異なり、大量貯蓄・長期保存・長距離輸送ができるため、エネルギーの安定確保にも貢献する。
西村氏「水素は、水、石油や石炭などの化石燃料、下水汚泥や廃プラスチックなど、さまざまなものから取り出すことができます。長距離輸送が可能であるということは、資源が豊富な生産地から、大量にエネルギーを消費する需要地へと運ぶこともできるということです。国内に蓄積できた水素は、発電のみならず、燃料電池やモビリティの動力としても利用することができます」
すでに水素のエネルギー利用は、家庭用燃料電池(エネファーム)、燃料電池自動車、バス、フォークリフトなどにおいて実用化されている。今後は水素を燃やして動力を得る「水素エンジン」の開発が進むことで、飛行機や船、長距離バスや物流トラックなど大型モビリティでの利用も期待される。また、既存の再生可能エネルギーを補完する役割も果たすという。
西村氏「太陽光や風力など、気候に左右されるエネルギーと併用することで、電力供給の安定化を図ることができます。既存の火力発電設備を生かし、化石燃料の代わりに水素を燃やして発電することも、脱炭素と安定的確保の両立に貢献するでしょう」
このように水素は、「つくる」「ためる」「はこぶ」「つかう」という全てのプロセスにおいて、利用拡大が進められている。水素エネルギーのサプライチェーンを担っているのが、早期より技術開発を進めてきた川崎重工だ。業界をリードすべく、10年以上もの間奮闘を続けてきた西村氏は、これまでの歩みを振り返る。
西村氏「当社が水素に注目したのは、2010年のこと。当初は夢物語と言われることもありましたが、協業のネットワークを広げ、多くの機関・企業と協力し合いながら、技術開発と実証を重ねてきました。そして今日、東日本大震災、SDGsの策定、政府のカーボンニュートラル宣言、欧州を中心とした世界的エネルギー危機を経た私たちは、水素社会実現に向けた“加速”フェーズに突入すべきだと考えています」
持続可能な世界を実現する上で“切り札” になり得る万能ともいうべき性質を持つ水素。しかしなぜ、実社会において目立った動きが見られなかったのだろうか。西村氏によると、実用化には一つの大きな障壁があるという。コストの問題だ。
※1 可住面積当たりの年間一次エネルギー消費量
低コスト化と官民連携で水素実用化を加速させる
新たなエネルギーが普及するためには、低コスト化による市場流通が必要だ。カギを握るのは大量導入であろう。西村氏は「過去の液化天然ガス(LNG)における、大量導入によるコスト低減の歴史から学ぶべき」と考えている。
西村氏「日本では1969年に天然ガスの大量導入が始まりました。当時の天然ガスは原油よりも1.7倍も高い燃料でしたが、光化学スモッグの問題や、原油だけでは第2次世界大戦時のように有事にエネルギー危機に陥りかねないといった状況に鑑み、高コストでも天然ガスを利用するというジャッジがされたのです」
コスト低減を実現するためには、民間事業者がビジネスとしてサプライチェーンの開発を進めなければならない。そこで必要になるのは、国からの支援と長期契約による経済的な見通しだ。
西村氏「当時の電力で採用されていたのは『総括原価方式』。コストに一定量の利潤を上乗せして、電気代を徴収する仕組みです。この仕組みを使えば、事業者は多少高い資源でも、一定の利益を得ながらビジネスを成り立たせることができます。例えば日本の事業者が20年間という長期買い取り契約をすれば、作る側は設備投資をしても投資を回収することが可能です」
総括原価方式は現在、電力の自由化により採用されていない。しかし、経済産業省の「水素政策小委員会」は、天然ガスと水素の価格のギャップを埋める値差支援の構築を始めたのだ。西村氏は、「国が方針や制度を整え、企業側が技術開発を進める“官民連携”が重要化してきた」と語る。
西村氏「新しいエネルギーにシフトする“歴史の転換点”には、自由競争はうまくいきません。多くの企業にとっては設備や販路が整ってから参入した方が、コストダウンの点で有利になるからです。しかし、それでは誰も初めの一歩を踏み出さず、エネルギー転換は進まない。一方、高コストでも国が値差支援してくれるのであれば、『クリーンなエネルギーへ移行しよう』と、ビジネスの流れが変わります。また、官民が連携すれば、海外の資源が手に入りやすくなり、価格交渉にも強くなるといったメリットも生まれます。さらに、海外の水素製造プラントや基地に投資をすることは、将来的に日本の利益としてリターンを見込むこともできます」
ただし、水素エネルギーを大量に輸入・製造できたとしても、買い手がなければ流通しない。「需要と供給をセットで推進することが重要になる」と、西村氏は言う。川崎重工が「つくる」「ためる」「はこぶ」「つかう」というサプライチェーンを、一貫して担おうとするのはこのためだ。一方の日本政府は、2030年には300万トン、2050年には2,000万トンもの水素エネルギーの導入を目標に掲げている。こうした背景から、国と川崎重工、そのパートナー企業により、水素の安定供給に向けた連携が始まった。
西村氏「石油や天然ガスと同じように、水素が一般的に利用される社会を目指し、2016年には当社が旗振り役となって技術研究組合『CO2フリー水素サプライチェーン推進機構(HySTRA)』を設立。現在、7社により技術確立と実証に取り組んでいます。また、2021年に当社設立の関連会社である日本水素エネルギー株式会社が幹事会社となり取り組む『液化水素サプライチェーンの商用化実証』は、2021年にNEDO(※2)の『グリーンイノベーション基金事業』に採択。カーボンニュートラルに向けた実証・社会実装を、2030年度まで継続実施する計画です。水素の社会実装には時間がかかりますが、官民が一体となって取り組む環境ができたことで、さらなるスピードアップを図ることができるでしょう」
では実際に、事業の現在地から水素社会はどこまで近づいているのだろうか。
※2 NEDO…国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構
技術革新で「大量供給」を目指す、川崎重工のミッション
2022年2月、一隻の運搬船がオーストラリアから水素を載せて帰港した。川崎重工が建造した「すいそ ふろんてぃあ」、世界初となる液化水素運搬船である。
西村氏「『すいそ ふろんてぃあ』による運搬は、サプライチェーンの中でも低コスト化・大量供給で重要になる『はこぶ』のミッションを担うプロジェクト。水素はマイナス253度に冷やすことで、気体から液体に変わり、体積を約800分の1に減らすことができます。『すいそ ふろんてぃあ』のタンクは“真空二重断熱構造”になっており、例えば100度のお湯を入れて1カ月保存しても、たった1度しか温度は下がりません。オーストラリアには水素の原材料となる安価な褐炭が大量に存在するのですが、『すいそ ふろんてぃあ』に積載することで、日本までに要する16日間を追加で冷却することなく運搬できます。この試みを成功させたのが、昨年の輸送試験です(※3)」
※3 川崎重工を含む7社で構成される「技術研究組合 CO2フリー水素サプライチェーン推進機構(HySTRA)」が、NEDO助成事業として実施
オートバイなどで有名な川崎重工だが、陸海空のさまざまなモビリティ、ガスタービンやエンジンといった内燃機関、エネルギー関連のプラントからロボットまで、さまざまな領域におけるエンジニアリングメーカーとしての歴史を持つ。タンカーによる海上輸送では、1981年にアジア初となるLNG運搬船を建造しており、この冷却技術が今回生かされた形だ。さらにHySTRAでは、液化水素荷役基地「Hy touch 神戸」を開発・建設し、輸送された水素の安定的な貯蔵も担っている。
西村氏「今後、2020年代の後半には、『すいそ ふろんてぃあ』の128倍もの輸送能力がある大型液化水素運搬船を建造し、2030年には一般家庭の電力約40万世帯分に当たる年間約22.5万トンの水素供給を実現しようとしています。資源小国で、限られた国土故に再生可能エネルギーのさらなる導入拡大も難しい日本において、安価なクリーン水素を海外から輸送できることは、低コスト化への大きな一歩になるはずです」
水素の供給・貯蔵技術に関する将来像が見えてきた。さらなるコストダウンのためには、水素利活用で需要を創出する必要があり、大量に水素を消費する「水素発電」の整備も必要だ。川崎重工では、産業向けの発電用ガスタービンで水素に対応できる技術を開発しており、既存のガスタービンの燃料ノズルを交換するだけで、水素発電が可能になるという。この技術が市場に浸透すれば、大量のCO2が削減されるだろう。
西村氏「この水素ガスタービンを使用し、神戸の市街地において近隣の公共施設に水素100%由来の熱と電気を供給するという、世界初の試みにも成功しました。(※4)さらに水素の燃焼技術を生かした『水素エンジン』の分野にも挑戦しており、船や飛行機、二輪車など、私たちの生活に欠かせないモビリティ分野での実用化を目指しています」
※4 神戸市や関西電力からの協力を得ながら、大林組と共同でNEDO助成事業として実施
このような事業が着実に進めば、水素のコストは少しずつ下がっていくだろう。日本には将来、どのような光景が広がるのだろうか。
西村氏「2030年の段階では、水素燃料は既存の化石燃料よりもコストは高いでしょう。しかし、2030年までに水素を市販できるレベルへと技術を高めることで、価格を一気に下げられるはずです。また、国の値差支援により需要が増えていけば、2050年には運搬船も80隻に増やすことができ、天然ガスと近いコストになると思います。
同時に、水素のリーディングカンパニーと自負する当社は、率先して水素を使わなければならないと考えています。2030年には国内事業のカーボンニュートラル達成を目標に掲げており、そのカギとなる水素発電を導入すべく、海外から運ばれる水素の一部を利用することで自社工場のCO2フリーを目指しています。当社が開発を進める大型液化水素運搬船も、船そのものが水素エネルギーを動力としているため、CO2を出しません。こうした技術を多く開発することで、未来に向けたプロセスにおいても、環境負荷を下げられると考えています」
水素社会実現に向けた、環境や経済におけるダイバーシティ
市販レベルで生活者が利用できるようになり、水素が市場に流通すれば、コストダウンを加速できる。この循環を実現させるためには、生活者である私たちも、水素を見つめ直すべきなのかもしれない。ただし、水素は多様な選択肢の一つであり、「さまざまな企業が、さまざまな技術を開発すること」が重要であると、西村氏は考えている。
西村氏「選択肢を狭めてしまうと、富の偏在にもつながります。例えば、全てを電動化するとなれば、コバルトやリチウムなど資源の問題が出てきます。再生可能エネルギーをはじめ、環境に影響が少ない手段を、いかに広く取り入れていくかが大切です。業界の垣根を越えた協調も、エネルギーの未来においては論点になるでしょう。産業界、経済界が一緒になりどんなモデルを構築していくか。長い目で見るならば“仲間づくり”も重要です。自由競争に陥ってしまえば、地球に負荷をかけた20世紀に逆戻りしてしまうからです」
サステナビリティのテーマの一つである人権では、ダイバーシティが重視される。しかし環境や経済においてもダイバーシティが必要になるというのが、川崎重工の考えなのだろう。
西村氏「“新しい資本主義”に欠かせないダイバーシティは、人間だけの話ではありません。資本も同じように偏りがないよう工夫していくことで、SDGsも達成できると思います。環境においては、企業同士はもちろん、国として日本が高めた技術を、海外に共有することも重要でしょう。その選択肢の一つとして、水素にぜひ期待してください」
まずは実用化が見えてくる2030年、そしてカーボンニュートラルを目指す2050年。水素エネルギーが今よりも私たちの生活に身近な存在になっているのだろうか。川崎重工の挑戦の続きを見届けたい。