スペインの塩水ラグーン、マール・メノールはただの「ラグーン」ではない。9月下旬にヨーロッパで初めて、「人」として認められたラグーンなのだ。スペイン上院議員が賛成多数で決定した。マール・メノールは、生態学者が「崩壊寸前」とまで警告したほど長年にわたって汚染が進んでいた。環境保護を求め、50万人以上もの市民が署名を提出していた。

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「自然物が、『人』になった」と聞くと、おとぎ話か何かのようだ。しかし、この発想の転換が、気候変動の真っただ中にいる私たちがどのように環境保護を捉え、進めていくかを考える際、必要とされている。

「自然の権利」とは?

国連は「自然の権利」を、人間中心主義ではなく、地球上で人類と自然が共存する関係であるとの認識に基づき、この関係を尊重した行動をとるための指針と位置付けている。「自然の権利」を認める法的規定には、憲法、国の法律、地域の法律が含まれる。法律上、世界的に自然が存在・繁栄・進化するための生得権(生まれながらに持つ権利)を認める方向に発展している。

国連総会が4月22日を「国際マザーアース・デー(国際母なる地球デー)」とすると宣言した2009年、加盟国は、地球とその生態系が私たちの共通の家であることを認識し、現在および将来の世代の経済・社会・環境の各々のニーズの間で公正なバランスを達成するために、「自然との調和」を促進することが必要だという確信を表明した。

2015年には、「自然との調和」の中で、SDGs(持続可能な開発目標)を実施するために、「自然の権利」を認めている国があることに留意。ほかに、市民や社会が、自然界との関わり方を再考するよう促す国もあることを確認している。国によっては、SDGsを経済・社会・環境面で奨励するに当たり、「自然の権利」に関する公式・非公式的な教育活動が、専門家・一般人の間で行われていることが2017年の総会では挙げられている。

ラグーンを埋め尽くした、何百万匹という魚や甲殻類の死骸

スペイン南東部のムルシア州にあるマール・メノールは、135km2とヨーロッパで最大の広さを持つ塩水のラグーンで、ラムサール条約登録地だ。塩生植物がよく繁殖し、植物学的に特に重要な場所として知られている。また、多種の水鳥が営巣、通過、越冬する。

鉱業や観光地化が原因で1960年代から環境破壊が進み、過去10年間では、集約農業で使用する硝酸塩を含む肥料の流出でラグーンは富栄養化され、海底植物の85%が死滅。2019年と昨年、何百万匹という魚が、海岸に打ち上げられ、汚染の深刻さを世界に知らしめた。

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生態学者らは、「生態系崩壊」の危機に瀕しているとの警告にも関わらず、スペイン政府は保護に「失敗し続けている」と昨年10月、EUに正式に訴え出ている。

生態系を法の対象として見なし、EUのベンチマークに

マール・メノールが「人」として認められたということは、「自然の権利」を与えられたことを意味する。このケースでは新法第2条で、マール・メノールが政府と沿岸住民によって保護・保全・維持され、必要な場合には回復される権利を保証。さらに、「生態系として存在し、自然に進化する権利」も与えられている。

しかし、マール・メノール自体が話せたり、動けたりするわけではないので、第3条にあるように、代表委員会、監視委員会、科学委員会の3つの委員会が、その代表者となる。マール・メノールに悪影響を及ぼす可能性がある公共・民間活動について、情報収集の上、そうした活動の変更や中止をする権利を持つ。

地元のムルシアの弁護士である、エドゥアルド・サラザール・オルトゥーニョ氏は、マール・メノールの「自然の権利」獲得自体だけでなく、ほかの側面でも評価すべき点があると、スペインを拠点とするスペイン語のオンライン新聞『エル・ディアリオ』に話す。

それは生態系を搾取の対象ではなく、法の対象として見なし、スペインの法律が生態系中心主義の方向に変化した点だ。これは同時にEUのベンチマークともいえ、自然との関係を変えなければならないという、社会と公的機関に向けてのメッセージでもあるという。

2008年、世界で初めて「自然の権利」を法的に認めたエクアドル

2021年、保護区であるロス・セドロスでの銅と金の採掘を、エクアドルの憲法裁判所は「自然の権利」を侵害するとして、違憲と判断した © Andreas Kay (CC BY-NC-SA 2.0)

「自然の権利」を憲法、国の法律、地域の法律に取り入れている例は、世界30カ国に上る。

例えば、南米のエクアドル。2008年、世界で初めて「自然の権利」を認め、法律に含める国になった。憲法の2編、「権利」には憲法や国際法で守られた権利を人々が持つことを明言した上で、自然(パチャママ)も同様の権利を保有し、憲法はそれを認める、と書かれている。「パチャママ」は、アンデスの先住民が崇拝する女神で、インカ神話では「大地の母」に近い存在として、登場する。

さらに、生命が発生し、再生される場である自然は、ライフサイクル、構造、機能、進化の過程上における自然自体の維持と、再生する権利を有するとされている。そして自然物の代表者は、自然物に関わる個人、地域社会、国民すべてだ。これらの人々は、政府に「自然の権利」の行使をはじめ、自然に損害があった場合、修復・賠償を求められると規定している。自然物は権利の担い手であり、人間の興味の対象ではないと定められている。

「母なる大地」に人間とその共同体を含むボリビア

2010年には、ボリビアも憲法に「自然の権利」を反映させ、「母なる大地の権利法」を多民族立法議会で可決し、制定した。「母なる大地」を、「相互に関連し、依存し、補完し合い、共通の運命を有するすべての生態系と生物の共同体によって形成された動的生命体」であると定義。人間とその共同体は、この「生命体」に含まれる。

人は自然に対し、優位な立場にあるわけではない。また、この「母なる大地」である「動的生命体」は、先住民だけでなく、国の世界観においても、神聖視されるようになった。

「母なる大地」は、「公共の利益の集合主体」として法人格を持ち、その権力を行使し、確実に保護されるよう定められている。つまり、「母なる大地」の代表者である人間を通じ、自らの権利を擁護するための訴訟を起こすことができる。同法は改訂され、新たに「母なる大地とよりよく生きるための総合開発に関する枠組み法」に、2012年に生まれ変わっている。

特定の代理人が「自然の権利」を持つ、自然物を見守るニュージーランド

ニュージーランドでは、先住民社会の自然との関わり方に根差したアプローチが取られた。また、特定の代理人の名前を挙げ、積極的な権利を認めないという点で、他国の「自然の権利」と相違点がある。

2014年、「テ・ウレウェラ法」が成立し、テ・ウレウェラの国立公園としての地位の代わりに、同国の国民同様の権利を保証する法人格が与えられた。国立公園の地位の消失に伴い、環境局ではなく、新設のテ・ウレウェラ委員会が管理するようになった。委員会では現在、地元のトゥホエ族6人と、英国王室代表者3人が代理人を務めている。

2017年には、北島を流れるファンガヌイ川が人としての権利を認められた。「ファンガヌイ川協定」は、自然に対し、人間が主権を持つという従来の前提を覆した。地球は大地の母神、パパトゥアヌクであり、景観を擬人化するマオリの視点を取り入れている。ここでも、川に代わり、地元先住民コミュニティ、英国王室の代表者が代理人を務めている。

ニュージーランドのファンガヌイ川 © Duane Wilkins (CC BY 3.0)

不可欠な、先住民コミュニティとの協働

「自然の権利」は、世界のどの先住民にも共通する、自然と人間との間柄を法律にしたものといって差し支えないだろう。アマゾン川流域の先住民組織のコーディネーター(COICA)を率いる、ホセ・グレゴリオ・ディアス・ミラバル氏が『ニューヨーク・タイムズ』紙に話した言葉が、端的に自然と人間の関係を表している。それは「私たち(自然と人間)は1つの生態系だ」という言葉。自然も人間も同じ1つの生態系に属しているのが、先住民共通の考え方だ。

© Sustainable Seas Challenge

カナダ自然保護委員会の空間計画・イノベーション担当ディレクターを務めるリチャード・シュスター博士は、オランダの学術出版社『エルスヴィアー』誌掲載の論文で、豪州、ブラジル、カナダを対象に、先住民が管理する土地と、既存の保護区とを比較した場合、生物多様性は両者とも同程度保持していることを明らかにしている。これは、生物多様性保全のための土地保護を進めていくためには、自らが管理する土地で、独自の土地保有慣行を維持、もしく強化しようと努める先住民コミュニティとの協働が欠かせないことを意味する。

さらに、豪州チャールズ・ダーウィン大学で環境と生活研究所所属のスティーブ・ガーネット教授も、月刊の学術誌である『ネイチャー・サステナビリティ』掲載の論文で同様の見解を発表している。国境に関係なく、地表4分の1以上に当たる3800万km2が、先住民が管理・保有する権利を持つ土地だそうだ。地球の陸上保護区全体からみて、約40%を占めるこの土地は、先住民が生態学的に「手つかず」の状態で残している。その先住民の、土地、利益分配、制度に対する権利を認めることは、地域および世界の保全目標を達成するために不可欠だとガーネット教授は強調する。

しかし、世界的に見て、先住民の土地保有慣行は法的拘束力を持たないケースがほとんどだ。例えば、ニュージーランドの先住民マオリには、「ラフイ」という慣習がある。地元のコミュニティに、使い過ぎで枯渇しかけている天然資源が自然に回復するまで、立ち入り禁止とし、資源を使うのも止めると告知することだ。政府が法的拘束力を持って、該当エリアを立ち入り禁止にしているところも少しはあるが、たいていラフイの遵守は任意になっている。平気でラフイを破り、資源を横取りする者もおり、マオリはすべてのラフイを合法的にするよう、政府に嘆願書を提出している。

『自然の権利』を出発点として、自然に対する意識改革を

国連は、産業革命以来、自然は主に人間の利益のために存在する「商品」として扱われ、環境問題は技術を使えば、解決できると考えられてきたと、人間の過ちを指摘する。そして、新たな世界の創造には、地球と人類との間に新しい関係を築く必要があると強調。人間中心主義ではなく、人間は自然と同等の関係にあるべきと声高に呼びかけている。

ニュージーランドにあるオタゴ大学でマオリ法学教授を務め、自らも先住民マオリであるジャシンタ・ルル氏は、先住民の考え方を、「人間にとって良いことと、地球にとって良いことに区別がない」と説明する。

私たちは、環境保護を奨励する際に、「子どもたちのために、そしてその子どもたちのために」という言葉をよく使う。例え、次世代、次々世代が大人になるまで、自然環境をうまく維持できたとしても、子どもや孫が、「人は自然を支配するもの」と、経済を最重要視した、従来の考え方から脱却できていないとすれば、問題の解決は無理だ。人間の意識改革が求められている。

オーストラリア地球法連合会のミシェル・マローニー氏は、ドイツの国営国際メディア、『ドイチェ・ヴェレ』にこう語っている。「『自然の権利』は、出発点として――会話や議論の方向性を変えるものとして、非常に影響力が強いものだ」と。

文:クローディアー真理
編集:岡徳之(Livit