2015年に採択されたSDGsの4つめの目標に「質の高い教育を みんなに」が掲げられたことで、「教育格差」が社会課題として改めて注目を集めている。

「教育格差」とは生まれた境遇(親の学歴や職業、世帯年収など)により質の高い教育へアクセスできるかどうかを意味し、子ども本人の力では埋めることのできない格差を指す。そしてこの「教育格差」は「学歴格差」へとつながっている。“学歴フィルター”なる言葉が存在し、大卒・高卒といった括りだけではなく、有名大学であるか否か、偏差値が高いか否かが就職口を限定的にすることもあり、ひいては生涯年収の差へと広がっている。この問題は、優秀な教育機関が都市部に集中していることから、地域による格差も指摘されているものだ。

未来を担う子どもたちに教育の場を提供する私たちは、この「教育格差」とどう向き合っていくべきか——。世界の教育問題を知る教育者であり実業家の松田悠介氏に話を伺う。松田氏が歩んできたキャリアを追っていくと、日本が抱える教育問題が浮き彫りになり「教育格差」の定義から見直す必要性が見えてきた。

体育教師としてキャリアをスタートした松田氏は、後に教育委員会の職員となり、ハーバードへの留学を経て経済的困窮世帯の子ども達を対象に学習支援を行う「Learning for All事業」やこれらの地区に先生を2年間で派遣する「認定NPO法人 Teach For Japan」を設立。さらに社会起業家としてのスキルを磨くためにスタンフォードへ留学し、現在はオンラインインターナショナルスクールや留学支援を展開している     「Crimson Education Japan」を運営。教育課題を多角的に捉え、講演活動も多数行っている。

いじめから救ってくれた体育教師の姿が教育を志す原体験

——まず、どういった経緯で教員・教育の道を目指したのか、理由をお聞かせください。

小・中学校と、いじめのターゲットになってしまい、自殺を考えるほど壮絶なものでした。でも、中学の時に自分に伴走してくれた体育教師のおかげで“生き抜くこと”ができました。そして、高校入学後に救ってくれた体育教師のもとを訪れて「おかげで人生が変わりました。生涯をかけて恩返ししたいです」と感謝の気持ちを伝えたら、「俺なんかに恩を返そうと思うな。同じような状況の子どもたちと向き合える大人になれ!」と言われたんです。すごくカッコいいなと思いました。教育を変えたい、教育を良くしたいというよりも、始まりは自分も先生のようなカッコいい大人になりたいと思ったのが原体験です。

Crimson Education Japan代表 松田悠介氏

何を学びたいかよりも大学名が優先?受験で感じた主体性の欠如

——松田さんが最初に直面した教育の問題はどのようなものでしたか?

教員になる前、大学受験からです。体育教師になるため、日本大学文理学部体育学科と早稲田大学人間科学部スポーツ学科を受験しました。加えて、記念受験として早稲田の商学部も受けたら、日大と早稲田の商学部に合格したんです。私はもちろん体育教師になるため日大に行こうと思いましたが、周囲の大人たちは当然のように「早稲田の商学部に行くのだろう」と決めつけました。

高校3年間ずっと体育の先生になると公言していたのに、本人の意思よりも世の中で成功と言われる道を勧め、押しつける大人たちに疑問が湧きました。主体性が無視されているんです。そこで、子どもたちの主体性を育むことを大切にできる先生になりたいと思いました。

何を学びたいかよりも、どこの大学に入りたいかを考えている人が多い。体育教師になりたくて体育学科に行く人、法律を学びたくて法学部に入る人は少ないです。通常、大学は123単位の取得で卒業できますが、私は182単位取りました。これは教師になるために学び続ける力を大切にし、主体的に学んだ結果です。でも周囲は、単位を楽に取れる授業はどれかと考えている状況でした。学びに対しての主体性が欠如している。日本は与えられるのが当たり前で、子どもたちが主体的に考えるタイミングがありません。それにより大学4年間を遊びに費やし、モラトリアム(大学卒業の先延ばし)が増えています。

大切なのは、教員が情熱を持ち続けられるカルチャーの創出

——松田さんは大学受験の時から教育のあり方に疑問を持っていたわけですが、実際に教育の現場に立ってから見えた問題や課題はどんなことでしょうか?

学級崩壊や活気のない授業を子どもたちのせいにしている教員がいました。「それなら辞めればいいのに」と思いましたが、先輩教員の「教育や子どもに思いがない人はいない」という言葉にハッと気づかされました。初めは勢いよく現場に入っても、環境や優先順位の変化、多忙などにより、もともと持っていたはずの情熱が薄れていってしまう……。これは、志のある優秀な人材を採用すれば済む話ではありません。人材が情熱を持ち続けられるカルチャーを築くことが大切です。教育現場のみならず、どの組織においても共通課題ではないでしょうか。

この課題に取り組むためには一生教員の立場ではダメだと思ったんです。そこで教員の採用や育成を行う教育委員会に入り、後に自分の学校をつくりたいと思いました。共感してくれる仲間を集めて最高の教育を子どもたちに提供していく。そのためにはリーダーシップやマネジメントを学ばなければと思い、ハーバードへの留学を決めました。

——日本国内ではなく、なぜハーバードへの進学が必要だったのですか?

国内を調べてみると、リーダーシップやマネジメントを学べる環境がありませんでした。経営に携わっていない人が経営について教えているんです。かたやアメリカやイギリスを見てみると、政権でリーダーシップを発揮していた人が教育の現場で教えている。先進的であり、リーダシップやマネジメントを実践経験のある人から学べる環境がハーバード大学院にはありました。

そしてハーバード在学中に「Teach For America」のCEOウェンディ・コップと出会いました。アメリカは教育格差が大きく課題が山積みです。しかし、ポテンシャルのある人材のキャリアプランとして人気なのが投資銀行やコンサルティング会社で、教育の現場は含まれていません。課題解決が必要な現場と優秀な人材をつなぐことができればイノベーションが起こります。それを実践していたのが「Teach For America」であり、日本に導入しようと考えました。

いきなり教員の派遣を実施するのは難しいため、まず生活と学習環境に支援を必要とする子どもたちのもとへ優秀な学生を派遣するプロジェクト「Learning for All」を立ち上げました。「Learning for All」を推進するなかで教育委員会に働きかけ、後に教員の派遣が実現して「Teach For Japan」を設立し、トータルで7年間教育格差の是正に携わってきました。

——日本の教育現場にイノベーションを起こしたわけですが、運営するうえでの難しさはどんなところにありましたか?

生活保護を受けている家庭やソーシャルワーカー、そして教育委員会とも関わりを持つなかで、知れば知るほど、やればやるほど、一人の起業家や一つの組織がエンドゲームを達成することはないのだろうと感じました。人生をかけてやっているのに終わりが見えないのは辛いです。エベレストを登るのに、登り方や必要な持ち物がわからず、その先のゴールも見えずに登り続けなければならないようなもの。目標やルールがあるからこそ大変でもやり続けられるわけですが、エンドゲームが見えないのが社会課題の難しいところです。

社会起業家が増えれば見えてくる課題解決への糸口

——その後、スタンフォードにも留学したようですが、どのような思いから再びの留学を決意したのですか? 新たに課題解決への糸口が見えたのでしょうか?

課題解決に取り組む人が、100人、1,000人、10,000人と増えていけば、きっとエンドゲームに到達できると思うようになりました。そこで自分が良く知る課題に向き合う社会起業家を見てみると、みんな海外留学を経験していたんです。

留学の場には世界中から志の高い人たちが集まります。視座が引き上がり、先進的な事例にも触れることができる。日本を客観的に見ることで課題や可能性にも気づきます。こうしたプロセスが社会起業家としてのアイデンティティを築いていくと考えました。

そこで、社会起業家を多く輩出しているスタンフォードのビジネススクールへ入学しました。

このビジネススクールで、私が日本で展開しているオンラインスクール「Crimson Education」のグローバルCEOジェイミー・ビートンと出会いました。彼は留学支援を行っており、私のなかで合点がいきました。

私は、次世代の社会起業家を育てていきたい、そういったエコシステムをつくりたい、学部進学や海外への留学は社会起業家としてのアイデンティティを築くうえで有効そうであると考えていたので、それをグローバルで展開するプラットフォームをつくり、海外のユースケースを日本につなげてくることができる「Crimson Education」を日本で立ち上げ、現在に至ります。

私自身、どんなキャリアを歩みたいかよりも、どんな課題を解決したいのかを考えて進んできました。半径1メートルの距離にある課題に向き合っていくうちに少しずつ社会との距離が縮まり、守備範囲が広がってきたように思います。

詰め込み型の「幕内弁当化」から個別最適型の「デリバリー化」へ

——現在日本では教員の過酷な労働環境が問題になっています。この問題について松田さんの考えをお聞かせください。

残業時間が月80時間にものぼるとされる背景にあるのは、学校が持つ役割が肥大し続けているからでしょう。英語、プログラミング、SDGsなど、それまで求められていなかった教育が詰め込まれています。昔は工業化社会で、テスト・偏差値偏重型の教育でした。戦後、経済発展を遂げられたのは、工業化社会に適した人材を多く輩出できたから。当時はマニュアルを忠実に再現できるような教育が正解だったのです。しかし、今は脱工業化社会。世間からの教育に対する要求がどんどん増えています。

私はこの詰め込みの状態を「教育の幕の内弁当化」と呼んでいます。今までの教育を弁当に例えると、のり弁当、鮭弁当、日の丸弁当と、作りやすくわかりやすいものでした。でも今は、子どもたちの時間という弁当箱は変わらないのに、幕内弁当のようにすし詰め状態です。おかずを増やすには何かを減らさないといけないのに、何を減らすかの意思決定ができていない。それでは現場が疲弊してしまいます。

その一方で、教員の労働環境は徐々に改善へと向かっています。給特法(残業代の一律支給)の改正が議論され、部活動の指導は外注する動きがある。また、GIGAスクール構想(学習用端末と高速ネットワーク環境の整備)により教育・業務の効率化が期待されています。

教育の未来は、幕の内弁当化を解消してデリバリー化されるでしょう。学校にすべてを任せるのではなく、社会にはさまざまなリソースがあるのですから、子ども一人ひとりの状態に合わせて個別最適化された教育へと編成できるのが理想です。

幸せの多様化で変わりゆく「教育格差」の定義

——教育格差とは生まれた境遇により質の高い教育へアクセスできるかどうかを意味していますが、松田さんは教育格差をどのように捉えていますか?

義務教育に加え幼児教育や高等教育の無償化(条件あり)が実現したことで、最低限の教育基盤は構築されつつありますから、教育格差は何をアジェンダにするかで定義が異なってくると思います。例えば、プログラミング人材であればPCに触れる環境で育っているか、グローバル人材であれば質の高い英語教育を受けているかといった、別の教育格差が存在しています。丸ごと教育格差として語られてしまいますが、アジェンダが異なれば格差の定義や課題の性質も変わってくるでしょう。

今は大学不要論が出てきたり、学歴よりも学習歴と言われたり、エンジニアで言えば高卒・中卒でも高い収入を得られる世界です。今言われている教育格差は、成功の定義が経済成長に基づくもの。幸せの定義が多様化していけば、確実に格差の定義は変わります。

今は教育格差よりも子どもたちが安心・安全に暮らせているかが大切です。しっかりと栄養が摂れているか、身の危険を感じずに暮らせているか。格差という意味では、福祉領域に目を向けるべきだと感じています。

理想は、学びの選択肢を増やし「主体性」を育む教育

——日本の学びには主体性がないというお話がありました。子どもたちの主体性を育むために、私たち大人はどのような視点を持ち、どのような対応を心がけるべきでしょうか?

とても難しい問題ですが、まず言えるのは大人に辛抱が必要だということ。自分は何をやりたいのか、何が強みなのか、これは簡単に見つけられるものではありません。主体性を育む教育法として「モンテッソーリ教育」があります。これは子どもたちの言動を尊重するため常に見守るというものです。見守るためには辛抱が必要ですが、学校には辛抱して考えさせる時間のゆとりがありません。時間割も自分で考えたものではなく用意されたものです。学校のすべてを否定するわけではありませんが、学校に染まれば染まるほど主体性は薄れていく気がしています。

日本が安定して秩序が保たれているのは、質の高い工業化教育があったからです。グローバルに評価されている部分もあります。ただそれが何かを奪っている側面もあるかもしれません。何が正解かはわかりませんが、子どもたちの選択肢を増やしてあげることが大切ではないでしょうか。

「オルタナティブ教育」を受け入れる社会が鍵

——子どもたちの選択肢を増やす。これは具体的にどんな形の教育でしょうか?

最低限の学びを与える公教育の基盤を整えつつ、積極的不登校や子どもたちの個性を尊重するオルタナティブ教育(フリースクールやホームスクーリングなど)が鍵になると思います。

これまで200以上の学校を訪問した際に、必ず子どもたちにインタビューしてきました。「なぜ学校に来ているの?」「さっきの勉強は何のためにしているの?」と。こういった問いかけに対し明確に答えられる子がいません。社会で言えばビジョンがない会社に通い、アジェンダのない会議で時間が潰されているようなものです。

私が経営するオンラインのインターナショナルスクールCrimson Global Academyでは、中学生が飛び級で高校の数学を学んでいます。学校に通いながら「数学の時間はオンラインスクールで受けます」と自ら学びの場を選んでいる、いわゆる積極的不登校です。これが問題視されない社会になることが望ましいと思います。

——最後に、今後はどのようなアクションをお考えかお聞かせください。

中高生と大人が一緒に課題を解決できる仕組みを構築したいです。中高生の感性や視点と、プロのスキルやマインドセットを融合させることで、それまで考えられなかったようなソリューションが生まれるかもしれません。世代を越えた課題解決やイノベーションが起こることを期待しています。課題の定義や解決方法も正解主義にするのではなく多角的に捉え、大人たちが辛抱強く見守るなかで子どもたちの主体性を育む。そのようなゆとりのある活動ができればと思います。

写真:西村 克也