2022年に入り、テクノロジー業界では経済成長の鈍化によるレイオフや雇用の縮小が相次いでいる。そんな中、EC最大手のアマゾンが年内に英国で数千人規模の人材雇用に踏み切ると発表。時代の流れに逆らうかのようなアマゾンの施策には、どのような狙いがあるのか? 本記事では英国の雇用・経済状況を鑑みながら、「アマゾン大量雇用」の裏事情を推測してみる。
アマゾンが英国で4,000人超の雇用を発表
2022年7月15日、アマゾンは年内に英国で4,000人以上の正社員を雇用すると発表した。募集ポジションは、ソフトウェア開発、製品管理、エンジニアリングのほか、フルフィルメントセンター、仕分けセンター、配送ステーションでの運用業務など多岐にわたる。
アマゾンによると、この雇用促進により英国全土の正社員は75,000人を超えるという。同社のジョン・バウンフリー英国担当マネジャーは「引き続き、英国全土で人材への投資を続けていく」とプレスリリースで述べている。
アマゾンは新型コロナウイルスの巣篭もり需要に乗じて、大幅な人員増強を行ってきた。アマゾン英国用コーポレートサイトの発表によると、2021年には研究開発やAWSを含む業務全体で雇用を創出し、同年だけで15,000人の正社員を採用したという。
2021年には英国初の実店舗も相次いでオープンした。レジを通さず精算できるスーパーマーケット「アマゾン・フレッシュ」がロンドン市内に15店、ロンドンとケントにはハイクラス商品を扱うショップが1店ずつ開店し、これにより何百人もの雇用が創出された。
好調な個人消費、英国のGDPはパンデミック前の水準に
過去2年は英国もパンデミックによる景気後退の煽りを漏れなく受けたが、現在はコロナ前の水準まで回復しているという。Kwasi Kwartengビジネス・エネルギー・産業戦略大臣は「GDPはパンデミック前のレベルに戻り、被雇用者数は過去最高を記録し、失業率は低下している」と述べている。
英国国家統計局(ONS)の発表によると、2021年の年間GDP成長率は7.5%と第二次世界大戦以降で最大の伸びとなった。特に個人消費は前年比6.5%増と好調で、景気回復の原動力となっている。
アマゾンの大規模雇用についてKwarteng大臣は「英国経済の強さを証明するものである」とし、英国全体の雇用に大きな役割を果たすことを期待している。
スペイン、イタリアでも人員増強
ちなみに、アマゾン英国公式ニュースによると、同社はスペインやイタリアでも大幅な人員増強を計画している。スペインでは2022年内に2,000人の新規雇用を実施し、2025年までにスタッフを全体で25,000人に増やすと宣言している。イタリアでは国内50か所における3,000人の正社員雇用を、年末までに実行する予定だと発表している。
先のONSによる統計では、両国の2021年第4四半期のGDPはいずれも2019年の同時期と比べて伸長しており、特にスペインは-4%から2%と成長著しい。
以上から推測すると、アフターコロナにおける景気回復や旺盛な個人消費が、アマゾンの雇用を後押ししていることが読み取れる。テクノロジー企業のレイオフが注目される中、GAFAMの一端であるアマゾンも同様視されがちだが、小売業・配送業の色合いが濃いアマゾンを単純に一括りにすることはできないといだろう。
背景には “天文学的な”離職率の高さも?
しかし、その一方で囁かれるのは、“天文学的な”離職率の高さである。米紙ニューヨークタイムズによると、米国では倉庫作業員の離職率は毎週3%にもなり、年間にすると150%、これは8カ月ごとに人員がそっくり入れ替わる計算であるという。この人員の回転の速さが大量雇用の裏にあることは想像に難くない。
2021年にリークされた内部調査を報じた記事によると、米国では2024年までに倉庫における労働力が“枯渇”する可能性があるという。すでにこの危機が差し迫っている地域もいくつかあるようで、アリゾナ州フェニックスやカリフォルニア州インランド・エンパイアなどが挙げられている。
高すぎる離職率の原因は、過度な生産性追求による厳しい監視や、システマティックな管理体制が指摘される。同記事によると、ニューヨーク州ブロンクスの倉庫で働いていた元従業員の男性は、2日欠勤しただけで解雇されたという。彼は歯に感染が見つかり、急遽歯科に行くことになり、20時間仕事に穴を空けてしまった。後で医師の診断書を持参したが会社はそれを受け入れず、1週間後に解雇が通知されたという。
アマゾンはシステムによる人事管理を徹底しており、時にマネジャーの意見よりも優先されるという。後日彼は人事担当者に不平を訴えると「3カ月したらまた求人に応募するように」と言われた。アマゾンのポリシーでは、解雇されても90日経てばまた応募できるようになるのだそうだ。この男性はこの不可思議なシステムを「人材を無駄遣いしているようなもの」と批判している。
ジェフ・ベゾスの「地球上最高の雇用主」宣言
この「人間的」とは言い難い人事システムは、創業者ジェフ・ベゾスの意図が反映されている。
アマゾンにとって従業員の解雇は問題ではなく、むしろ「望ましいもの」であったという。ベゾスは、倉庫作業員の労働力は必要であるが「交換可能」であると見ていて、むしろ長く働くスタッフが怠けたりだらけたりすることを嫌い、高い離職率は好ましいものだと考えていた。
しかし、2021年にニューヨークのスタテンアイランドで初の労働組合ができ、外部もアマゾンの労働体制や労務管理に厳しい視線が注がれるようになったことにより、同社は状況の改善に取り組まざるを得なくなった。ベゾスは2021年「地球上最高の雇用主(Earth’s best employer)」宣言をし、同社は人材育成や福利厚生の拡充、賃金アップなどに取り組んでいる。
大学の授業料も全額負担「キャリアチョイスプログラム」
現在、英国の時給労働者のスタート賃金は1時間あたり10〜11.1ポンドであり、最低時給(23歳以上)9.5ポンドよりも高い金額を設定している。このほか、民間医療保険、生命保険、所得保護、従業員割引(年間700ポンド以上の価値がある)を含む福利厚生や企業年金制度もあり、同社の報告によると、8割近くがこれらを入社の理由として挙げている。
アマゾンが提供している人材支援プログラム「キャリアチョイスプログラム」では、各国に合わせて様々な研修や支援オプションが用意されている。英国では2021年に4,000人の社員がこのプログラムを利用しており、IT研修やドライバー研修、また英国全土の商工会議所と提携して地方社員のスキルアップ研修を行なったという。
米国では入社3カ月以上の社員を対象に、大学の授業料を全額負担するなどのキャリアチョイスプログラムの拡大プランが発表された。これまでも教科書代の95%補填や定時制高校の授業料負担などがあったが、2025年までに総額12億ドルを投じてサポートをさらに拡充していく方針だ。
アマゾン英国では、2022年末にはスタッフが75,000人に達すると予測しており、国内民間企業の従業員数トップ10入りをすると言われている。体制に対する様々な批判もあるが、アマゾンは私たちの暮らしに欠かせない生活インフラになっているのも事実だ。同社の存在が国の雇用対策に大きな影響力を持ち、人材的な側面からも市民生活を根幹から支える存在になりつつある。
2022年8月5日には人気のロボット掃除機「ルンバ」の親会社アイロボットを買収したことが報じられた。アマゾンの強さは、テクノロジー企業でありながらも、リアルな生活の隅々にまで根を張りめぐらせているところにあるのだろう。
文:矢羽野晶子
編集:岡徳之(Livit)