米国の雇用市場に異変が起きている。自主退職が大量に発生するという「GREAT RESIGNATION」 (大退職時代)がここ1年ほど続き、深刻な人手不足の最中にあったはずなのに、5月ごろからテック企業を中心に、新卒者の内定取り消しやレイオフが相次ぐといった逆転現象が顕在化。メディアが連日のように、このニュースをセンセーショナルに取り上げている。
内定取り消しに動いた代表的なテック企業は、イーロン・マスク氏による買収問題に揺れるツイッターや暗号資産の取引所大手コインベース・グローバル。ビットコインなどの急落に直撃されたコインベースは同時に、従業員の18%に当たる約1100人のレイオフを行うと6月14日に発表した。動画配信のネットフリックスは5月に150人を解雇したのに続き、6月23日には全体の4%に当たる300人を解雇すると通達している。
ほかにフェイスブックを運営するメタや、配車サービスとフードデリバリーのウーバー・テクノロジースは新規採用をほぼ凍結する方針を発表済みだ。
Crunchbase Newsによると、テック業界でのレイオフ事例は、2022年上期(6月後半まで)に約2万2000人。TechCrunchの推定では5月だけで約1万5000人。レイオフ自体の数も数だが、これまでほとんど例のない「大卒新卒者を対象とした内定取り消し」がさらに、風向きの変化を感じさせる材料となった。
実際に、テック業界の雇用情勢はそこまで悪いのか。
一部メディアはビッグネームによる人材削減の動きがあまりに悪目立ちしていると指摘している。新卒の就活環境は氷河期というより、「夏場に向けてまだバラ色」(求職求人情報サイトZipRecruiter)との見方もあり、メディアのあおりほど事態は深刻ではないとする声も実際には多い。
半面、利上げが続く中、米国全体の雇用情勢がこの先一変する可能性も否定できず、本格的に「大退職時代」が反転する可能性もある。この先どのような展開が予想されるのかを探ってみたい。
テック人材の平均年俸は1400万円超、コスト削減ならまずは人員削減
米国は直近の4月まで11カ月連続で自主退職者が月400万人を超えるという「大退職時代」にあり(米労働統計局発表)、人出不足が極めて深刻。特に飲食や観光関連、運送・物流、建設などの各業界が苦境にある。
パンデミック下での価値観の変化で、より良い職やワーク・ライフバランス、さらにはより良い人生を求め、給与や待遇面で見合わないと思う仕事を迷わず辞めてしまうという風潮が鮮明となったことがその一因だ。
賃金を大きく引き上げても人が集まらないという異常事態が続き、これまではテック部門も、給与の引き上げやストックオプションといった好待遇で、積極的に技術人材を確保してきた経緯があった。
ところが、こうしたトレンドが4月ごろから一変する。
テック業界はコロナ禍でも際立った成長力を維持してきたが、4月に各社が発表した2022年1〜3月期決算はかなりさえない内容。これに利上げの影響が重なる形で、マーケットではハイテク売りが加速し、有力銘柄の株価が軒並み下落。ナスダック総合指数の年初来値下がり率は28%を記録した(6月28日終値)。
インフレの長期化懸念と一段の利上げ見通しを受け、米国経済のリセッション(景気後退)入りの可能性が強く意識される中で、テック企業は人員削減によるコストダウンという「守り」を余儀なくされた格好だ。
例えば、ネットフリックスがレイオフに最初に動いたのは、サイト構築のために大量採用を行ったわずか数カ月後の4月末。新たな編集コンパニオンサイト「Tudum」のスタッフ数十人のレイオフに踏み切ったわけだが、これは有料会員数が1〜3月に20万人減少し、株価が急落し始めた直後のタイミングだった。
一般に、テック企業は経費全体に占める人件費の割合が高く、レイオフは最も即効性があるコスト削減手段となる。全米大学・雇用主協会(NACE)のデータを見ると、大卒新卒者の初任給は2022年に、前年比2.5%増の年間平均5万5260ドル(約751万円、1米ドル=136円換算)。専攻別ではエンジニアリング、コンピュータサイエンスが上位で、それぞれ6万9188ドル、6万7539ドルだった。
また、テック系求職サイトDiceによると、既卒者を含むテック業界全体の専門職の年俸は2021年に過去最高の平均10万4566ドル(約1422万円)。最も高かったのはIT管理者の15万1983ドル。ウェブ開発者は前年比21%急上昇し、9万8912ドルに達したという。
雇用情勢は夏場に向けてバラ色?テック全体では人手不足続く
テック業界での一連の内定取り消しやレイオフがここまで騒がれた理由の一つは、米国経済を牽引してきた超有力企業が慎重姿勢に転じたから。
『フォーチュン』誌によれば、向こう18カ月以内にリセッションに突入するとの観測が主流となる中、米社会はその兆しを見極めようと目を凝らしており、そこに現れたテックセクターの人員削減に敏感に反応したという。景気変動の前触れとして、ひときわ注目されたというわけだ。
実際には、テック企業の人材需要はそこまで萎縮していないという見方も少なからず存在する。求職求人情報プラットフォームのZipRecruiterは、「内定取り消しなどの実害は全体的に見れば小さく、その影響は限定的」とみる。
2022年の新卒者の就活において、テック企業が用意した福利厚生は依然手厚く、Z世代への配慮として「長期有給休暇」制度を用意した企業は、2019年から2021年の間に約800%増加。内定者の3人に1人はサインボーナス(入社支度金)を受け取り、その平均額は5000〜1万ドルに上った。ハイテク人材にとって、2022年夏に向けての就活見通しは、まだバラ色なのだという。
また、『ロサンゼルス・タイムズ』によれば、南部ベイエリアにシリコンバレーを抱えるサンフランシスコ市のチーフエコノミスト、Ted Egan氏もかなり楽観的。「ハイテク企業の株価やベンチャーキャピタル投資は利上げの影響を強く受ける」とし、特に利益未計上のスタートアップの資金調達が難しくなる可能性に言及しながらも、雇用全体が失速する可能性については否定的だ。
サンフランシスコのハイテク産業ではまだ、求職者1人に対して求人が3人分あり、依然として人材のひっ迫感が強いというのがその理由だ。
『フォーチュン』誌も数字の上では依然、売り手市場だと指摘する。テック業界の5月の失業者数1万5000人(TechCrunchの推計値)は米国の就業人口1億5800万人の0.01%以下。テック業界の総雇用者数は推定500万〜1200万人とばらつきが大きいものの、やはり失業者の割合は0.3-0.1%と、非常に小さい。
テック業界だけではなく、全体の数字を見ると、全米の求人数は2021年5月以降、ほぼ一貫して失業者数を上回っており、その差は拡大の一途。仮に今、全米のすべての失業者が就職したとしても、まだ540万人分の求人が残る計算になるという。
テックのレイオフはポジティブ?「働かない人」が職場回帰へ
一方、クラウドソリューションプロバイダー、Sherwebはテック企業の求人だけに限らず、一般企業が競争力を強化するためにも、技術系人材の需要は続くとの見方だ。
パンデミックを契機とした仕事の在り方の変化は決して一時的なものではなく、デジタルトランスフォーメーションの引き金になったとみられるためで、働き方の変革に企業が対応するためには、テック人材の確保が必須との認識という。
IT調査会社ガートナーの21年9月の調査によれば、新たな技術を採用する上での最大の障害として、企業の64%が挙げたのが「人材不足」。うち4分の3がITオートメーション分野の人材不足だったが、ほかにコンピューターインフラやプラットフォームサービス、ネットワーキング、セキュリティ、ストレージ、データベースなど、様々な分野でスタッフが足りていないことが分かったという。
こうした数字をみる限り、景気後退懸念の影響を受けつつも、企業のテック人材需要は中長期的にかなり底堅いと言えそうだ。
一方、テック業界に見られる雇用情勢の悪化を、ポジティブに受け止める声もあるのが興味深い。『フォーチュン』誌は「不謹慎かもしれないが」と前置きしつつ、むしろ米国経済にとっては歓迎すべき現象かもしれないと指摘する。
米国がインフレ抑制に向け、利上げを継続するのはすでに規定路線。その結果として需要が委縮し、人材へのニーズが細れば、ここ1年続いた “超売り手市場”が一変し、「I QUIT!(やめた!)」が流行語にすらなった「大退職時代」が、巻き戻しのタイミングを迎える可能性があるという意味だ。
大量に存在する「働かない人」が求職市場に立ち返れば、一部業種の深刻な人手不足が緩和され、異常事態に陥っていた米国経済が一種「正常化」し、インフレの長期化懸念も和らぐ。
ここ数カ月のテック企業の動きは実際、景気後退の前触れかもしれないが、同時に米雇用市場の潮目を再び変えるきっかけになるのかもしれない。
文:奥瀬なおみ
編集:岡徳之(Livit)