フィリピンで物乞いをする少女との出会いを機に、学生時代から国際協力活動に携わる原貫太さん。ウガンダの元子供兵の社会復帰や南スーダンの難民支援などに従事する傍ら、現地の実情や体験をYouTubeやSNS、講演活動などを通じて発信する“情報の橋渡し役”としても尽力してきた。
組織に所属しない「フリーランス国際協力師」だからこそ見える世界の知られざる真実とは?
不条理を「仕方ない」で終わらせたくなかった
―現在の活動に至ったきっかけを教えてください。
大学1年生の春休みにフィリピンに足を運んだのが全ての始まりでした。
元々は教員志望で文学部に入ったのですが、勉強だけでなく大学以外の活動を通して視野を広げたいぐらいの軽い気持ちでフィリピンに6日間滞在し、現地のストリートチルドレンへの炊き出しのボランティアや、孤児院を訪問して勉強を教えたりするスタディーツアーに参加しました。
すべての日程を終えて、帰国の為に空港に向かっていたところ、車の窓からふと外を見たときに、ボロボロのワンピースを着た7歳ぐらいの女の子が裸の赤ちゃんを抱いて「お金をください」と物乞いをしているところを見かけたんです。
その時に感じたことが2つありました。
1つは6日間のボランティアを経験して、もっと自分には目を向けるべき社会問題があって、もっと出来たことがあったのではないかという後悔の念です。自分は社会活動に加わっている、良い事をしているんだと高揚した気持ちで、ツアー中の様子をSNSに投稿していた行動すら恥ずかしくなりました。
もう1つは、シンプルにどうして世界はこんなに不条理なんだろうという葛藤です。多くの人が学校に通うことができ、お腹がすけばコンビニで食べ物を手に入れることのできる日本。その一方で、飛行機でわずか数時間のこの国は、子どもたちが危険な目に遭いながら物乞いをしているという現実。生まれた国が違うだけで、どうしてこんなに人の人生が変わってしまうんだろうという疑念を抱きました。
同行したツアー参加者からは「ああいう光景はよくあるよ」とか「仕方ないよね」という反応があったのですが、どうしても自分はそれを「仕方ない」として終わらせたくなかった。どんなに小さな一歩でもいいので、その問題に向き合って生きていきたいと強い気持ちが芽生えたことが1つの原体験と言えます。
―帰国後は具体的にどんなアクションを取られたのでしょうか?
帰国後はストリートチルドレンについてのリサーチをしたり、セミナーに参加したりして、学生のボランティアサークルを立ち上げて貧困問題に向き合う行動から始めました。
活動を通して南アジアのバングラデシュが最も子どもの貧困が深刻だという事実を知り、調査していくことで児童労働の現状が見えてきました。
児童労働には児童買春や麻薬の運搬など色々あるのですが、なかでも世界で25万人以上いるとされる子ども兵士は最悪の児童労働とされています。特にアフリカのウガンダは1980年代後半から内戦が20年以上に渡って繰り広げられており、反政府組織によって3万人以上が誘拐され、子ども兵士にされたことを知りました。
ちょうどアメリカ留学中で1カ月間の休みがあったこともあり、アフリカの子ども兵士や、地雷や小型武器といった課題解決に向き合う認定NPO法人テラ・ルネッサンス(本部:京都府)の仲介で実際にウガンダに赴き、元子ども兵士の方にお話を伺う機会を得ることができました。その方から子ども兵士になった経緯や理不尽な背景、この国が置かれた深刻な現状や課題を聞くうちに、何か自分で出来ることをやりたいという思いに駆られ、テラ・ルネッサンスでのインターンシップを希望しました。
対症療法での難民支援の限界
―ウガンダでのインターンシップを経て、NPO法人を立ち上げられます。現地での悔しい経験もビジョンを大きく広げたそうですね。
ウガンダでのインターンシップでは、主に子ども兵士の社会復帰促進や受け入れ家族への生活支援をサポートしていました。その一方で、南スーダンから逃れてきた難民の調査活動も行いました。活動に従事するなかで、このまま大学卒業後にテラ・ルネッサンスに就職をするのではなく、自分で新しい枠組みを作りたいと思い、大学5年目に主に難民支援を目的とするNPO法人コンフロント・ワールドを立ち上げました。
僕は、現場で活動することが正義だと思っていて、日本で必死に援助資金を集めては渡航をしていたのですが、最終的に人道支援を施すことができたのは約400人でした。
でも南スーダンから逃れてきた難民の数は当時、200万人以上と言われていて、これだけ頑張って活動しているのに、たった400人にしか救いの手を差し伸べることができないのかと無力感に襲われました。
これでは焼け石に水というか、ある意味自分の活動に限界を感じてしまって。僕が懸命にやってきたことは対症療法にしかすぎないんですね。
そもそもなぜ、戦争や貧困が発生するのかと南スーダンの歴史に目を向けると、2011年に独立する前にも豊かな石油資源を巡った内戦があったり、そこに絡む大国の思惑や、その石油から造られた製品が多くの先進国で売られていたりと、世界規模での関わりがあることを知りました。
現地で難民支援を続けていくよりも、先進国に住む私達が、生活の在り方や考え方、社会の仕組みなどを変えていかない限り、根本的な問題は解決されないんだと。ウガンダでの現状を目の当たりにして、問題に向き合ってきた自分だからこそ、発信できることがあるはずと確信しました。
国際支援のあるべき姿は、自立を支援すること
―フリーランス国際協力師としての活動と、それによって得られた発見を教えてください。
ウガンダでは、最も貧困が深刻な地域の一つである北東部を活動の場に選び、現地のボランティア団体と共に公衆衛生啓発の紙芝居や手洗い、ごみ拾い指導などに着手しました。
するとその過程で、小学校の先生から女子生徒への生理用品の支援を求められたんです。現地では貧困の為に使い捨て生理用ナプキンを購入することができず、代用品としてマットレスの切れ端やボロ布、人によっては葉っぱや木の枝などを使っている状況でした。
そうなると経血がもれて制服が汚れてしまい、からかわれたりするので、生理期間は学校を休んでしまって、勉強にも影響が出て、最終的には退学してしまうという悪循環が生まれていました。
でも資金が限られているフリーランスにとって、生徒分の生理用品を継続的に支援していくことは現実的ではないし、例え出来たとしても依存関係を生み出してしまう。そこで、現地で手に入る布を使って、再利用可能なナプキンの作り方を教える活動を始めました。
国際支援のあるべき姿は、現地の人々が本来持っているポテンシャルを十分に発揮できる環境を整えてあげること。例えば教育支援であれば、勉強を教えるだけではなく、学校に通えるようにスタートラインに立たせてあげるサポートが大切なのです。
これらはコロナ禍前の活動になるのですが、年間の半分はウガンダにいて、残りの半年は日本で講演や執筆活動、寄付などを通じて資金を貯め、また渡航するというスケジュールでした。
寄付の裏にある知られざる真実
―コロナ禍になってからは活動も限定されてしまいましたが、そこでYouTubeでの発信を始められたそうですね。
最初の頃はリモート体制で何か支援ができないかなと思っていましたが、やはりそれは非常に難しくて。そこでYouTubeチャンネルを作って、ウガンダやアフリカの問題を発信することを始めました。そのチャンネルが少しずつ認知されるようになってからは、アフリカだけでなく、世界各国が抱えている社会問題と私達の生活がつながっているんだというテーマも発信しています。最近、一番再生数が伸びたのは『その寄付、迷惑です』という強めのタイトルで、私達がよかれと思って行なった寄付が、実は現地でこんな問題になっているという内容です。
当時、僕の活動が大手ニュースサイトで取り上げられてかなりの反響があったんです。それと共に「いらなくなった布があるのですが」という連絡が沢山ありました。もちろん、その好意はとてもありがたいのですが、お断りさせて頂きました。
個人で活動しているのでスーツケースで持っていくには限度がありますし、大量に現地に送るとなれば、かなりの輸送費や関税がかかるわけです。それに日本から物を送るよりも現地でお金を落とした方が、現地の経済を回すことにもつながる。寄付を受ける側としては「お金の方がいいです」となかなか言いづらいですが、フリーランスだからこそ、しがらみに縛られずに国際貢献活動をする人間が正直に思っていることを代弁できる。そういった事実を知ってほしくて、この内容の動画を配信しました。
もうひとつ大きな反響があったのは、『善意がアフリカを殺す。古着リサイクルの不都合な真実』というYouTubeでの配信動画で、寄付が現地の産業を破壊するという内容を伝えています。
アフリカの市場を歩いていると、世界各国から送られてきた膨大な量の古着が山積みになっているんですね。それらは1着数円という安価で購入ができるのですが、なかには質の悪いものも少なくありません。
しかし、現地では、経済的な理由からそういった安価な古着を購入せざるを得ない状況になっているんです。
このような現地の経済状況を背景に、国外から寄付された古着が大量に安価で流通してしまうと、国内の繊維産業やアパレル産業は発展する余地がありませんよね。大量生産の西洋デザインの古着によって、独特の色鮮やかなアフリカの服飾文化さえも破壊されてしまう。特に繊維産業は開発途上国が経済成長をする上で最初の主要産業になるケースが多いのですが、それが好意の寄付によって妨げられてきた現状があるんです。
日本の社会問題を解決するヒントはアフリカにある
―今後の活動予定や目標について教えてください。
現在の国際協力業界に足りないのは「人と人をつなぐ役割」だと思うんです。これまで国際協力機関といった専門家集団が問題解決にあたってきましたが、一般の人間からすると、どこか遠い世界の出来事に思えた。でも近年はSDGsという言葉が世界的に認知されるようになり、世界で起きている問題は他人事ではないと多くの人たちが気づきはじめました。
そこで僕のように現地で活動してきた人間が発信をして、一般の人とアフリカの問題の橋渡しをすることが非常に重要だと感じています。
ずっと、アフリカの事について語ってきましたが、日本にも多くの社会問題があることは認識しています。でもそれらの問題解決への考え方となるエッセンスが、実はアフリカの生活にあるのではないかと思うんです。
例えばある農村部にいくと、1人の子どもを家族だけでなく、地域の大人たちで育てるという価値観があります。これはかつての日本でも似たような考え方がありますが、核家族化が進んだ現代、特に都市部では困った時に頼れる人や場所が少ないと感じます。
これは持論ですが、この激動の社会において、人がしなやかに変化に対応して生きていく上では、いい意味で依存できる場所を多数持っておくことが大切ではないでしょうか。問題は山積みだけれども、人々が支え合って生きていくというアフリカのようなしなやかな考え方から、私たち日本人が学ぶことは決して少なくないはずです。これからもそのきっかけとなる情報をYouTubeやSNSを通して、少しでも現地から発信していけたらと思います。
発信をして同志とつながり、持続可能な社会貢献を
―今後の社会を生きる人たちに伝えたいメッセージがあればお願いします。
まず大前提として、サステナビリティや社会貢献に目を向けるうえで、一番大事なことは、関心を持つことではなく、関心を持ち続けることだと思っています。
ひょんなことがきっかけで、関心を持つことはあると思うんですが、忙しい毎日のなかで、サステナビリティや社会貢献への関心を持続させるのは難しいことです。なので、いかにして関心を持ち続けられる環境をつくるのかを考えてほしいと思います。
アフリカに「早く行きたいならば独りで行け。遠くへ行きたいなら皆で行け」という言葉があります。問題に対して関心を持ち続けることは遠くへ行く事。同じような志を持った仲間とつながることが大事です。その為には受信するだけでなく、「自分はこう思う」、「こういう活動をしたい」と言語化して発信をすること。まったく恥ずかしがることはありません。僕も学生の時に、フィリピンでの1人の少女の出会いについて発信したことで、同じ思いを持った人達とつながることができました。
課題解決は容易ではありませんが、1人ひとりの本気が積み重なれば、きっと大きな力となるはずですから。
文:小笠原 大介
写真:西村 克也