SNSを運営するテック企業や、そのユーザー、そして社会全体に大きな影響を与える反SNS表現規制法「HB20」が米国テキサスで施行され、大きな議論を呼んでいる。
この法律は、SNSなどのオンラインプラットフォーム上に投稿したコンテンツが、運営会社によってチェックされ削除されることを禁じるもので、投稿者がアカウント停止などの措置を受けた場合は、そのユーザーがプラットフォーム企業を訴えることができるというものだ。
この決定を受け、テック企業で構成される業界団体は現在、米最高裁に対し同法の違憲性を主張して上訴しており、表現の自由を主張するユーザーと、編集の自由を主張するSNS運営企業が真っ向から対立する状況となっている。
HB20は保守派が優勢といわれるテキサス州でどのような経緯で生まれ、米国社会にどれほどのインパクトを与えるものなのだろうか。
健全なソーシャルメディア運営に不可欠とされてきた表現規制
現在、米国だけでなく多くの国において、企業はどのようなコンテンツの投稿を自身のプラットフォーム上で許可するかを決定する権限を有しているのが一般的だ。
ヘイトスピーチやフェイクニュース、暴力的な動画、未成年を性的に消費するコンテンツなど、社会に害を与える、あるいはユーザーに不快感を与える可能性のあるコンテンツは、運営会社のチェック体制のもとに削除されており、規約違反の投稿を行うユーザーには利用停止措置が取られている。
規約違反コンテンツの最も極端なものは、殺人の実況中継とその拡散だろう。ニュージーランドで51人が殺害されたモスク襲撃事件の犯人はFacebookで犯行を実況中継したが、それをさらに編集し拡散したユーザーは規約違反に基づいた措置だけでなく、有罪判決も受けている。
米国でも、18歳の白人至上主義者がスーパーマーケットで10人を射殺する様子をライブストリーミング・プラットフォーム「Twitch」で配信、即刻運営に削除された。
Facebookには日々、違法とまでは言えないが規約違反の大量の投稿がなされており、そのチェックにあたるコンテンツチェッカーは、精神的負担が非常に大きな仕事として知られている。
ソーシャルメディア界に大きな衝撃、テキサスの「HB20法」
しかしこのような措置は、米テキサスでは今後難しくなるかもしれない。前述の「HB 20」と呼ばれる法律が施行されたからだ。
この法律は、SNSなどのオンラインプラットフォームが「ユーザーまたは他人の視点」、または「ユーザーの表現に表された視点」に基づいてコンテンツを削除または制限することを禁止するものだ。
この法律に基づいて、ユーザーは自分の投稿が原因でアカウント停止などの措置を受けた場合、たとえそれが規約違反であったとしても、プラットフォームを運営する企業を訴えることができる。
「HB 20」は2021年9月に可決された後、同年12月に連邦地裁判事によって一時的な差し止め命令を受けているが、今年5月、連邦控訴裁判所がこの差し止め命令をさらに一時停止したことで、有効なものとなった。
「表現の自由」を掲げ、ビッグテックに挑む米保守派
オンライン上のコンテンツの在り方についての議論の中心となっているこの「HB 20」を生み出したのは、SNSなどオンライン上のプラットフォームを運営するビッグテックによって不当な扱いを受け、沈黙させられてきたと感じている米国の保守派だ。
元よりテキサス州は、保守派が主に支持する共和党が優勢な地域だったが、特に昨年から新型コロナ対策や人工妊娠中絶をめぐって、民主党バイデン政権の方針に反する政策や州法を次々と打ち出し、米国のリベラルと保守との間での対立の最前線になっている。
トランプ前大統領を含む多くの保守派のユーザーは、マイノリティへの差別的発言や、パンデミック中のフェイクニュース拡散などで、SNSでアカウント停止などの措置を受け、不満を蓄積してきた。
トランプ前大統領が「ビックテックに立ち向かう」として立ち上げたSNS「Truth Social」や、イーロン・マスク氏がTwitterの買収で「検閲なきSNS」化を掲げ喝采を浴びたのも、既存のSNS企業に対する米国保守派の不満の蓄積を表しているといえるだろう。
テック業界は「HB20」は憲法違反と最高裁に上告
「HB20」について、オンラインプラットフォーム運営会社は、表現の自由や報道の自由を定めた米国憲法修正第1条の下で違憲であるとして異議を唱え、昨年一度は一時的な差し止め判決を勝ち取っていた。だからこそ、今年5月に入って有効となったことは、衝撃的な出来事だった。
これを受けて、オンラインプラットフォーム運営会社の業界団体NetChoiceとComputer Communications Industry Association(CCIA)は、同法の緊急停止を最高裁判所に上告、この法律を再度、一時停止するよう求めている。
NetChoiceの弁護士は、「HB20」は民間企業であるオンラインプラットフォーム運営会社に憲法上保障されている編集上の権利を禁じ、好ましくないコンテンツの公開と拡散を強要するものであるとして、強く非難している。
SNSプラットフォームが主張する「編集の権利」
オンラインに限らず、民間企業は自社の提供する媒体で、どのようなコンテンツが提供されるか、またどのようなコンテンツを禁止するかを自由に決めることができ、米国ではその権利は憲法による保護を受けていると、これまで考えられてきた。
憲法修正第一条を専門とする弁護士アンドリュー・ジェロニモ氏は、テック関連ニュースプラットフォーム「Digital Trends」で、言論の自由とソーシャルメディアについて専門家の観点から説明した際、「ソーシャルメディアプラットフォームがあるとあらゆる言論が行われる場というわけではない。すべてのソーシャルメディア企業は、独自のユーザーベースを育てる観点に基づいて独自の編集を行う権利を有している」と述べている。
法律的な観点からは、ヘイトスピーチや、暴力の煽動、ポルノコンテンツといった投稿を禁じる利用規約にあらかじめ同意して、アカウントを作成したにも関わらず、それに違反したユーザーも、HB20によって保護されるのかという疑問も呈されている。
「HB20」の影響、IT業界から社会全体にまで波及する可能性
現在のところ、SNSでアカウント停止措置を受けたユーザーが、運営企業に対し訴訟を起こすことができるのは、「HB20」を有するテキサス州だけだが、IT業界や一般のユーザーが恐れているのは、このような法案が他の州にも影響を及ぼすことだ。
SNS運営企業は、SNSが「荒れる」ことによってユーザーを喪失することや、コンテンツチェックに伴う訴訟リスクに備えねばならず、差別的な言動や、暴力的・性的な投稿を目にしたくないユーザーにとっても、「HB20」後のSNSはより使いづらいものとなるだろう。
ヘイトスピーチや暴力の煽動、偽科学の拡散など、社会全体に与える影響も少なくない「HB20」の合憲性を米国最高裁がどう判断するのか、今後下される判決に注目が集まっている。
文:大津陽子
編集:岡徳之(Livit)