ウクライナとエネルギー安全保障、高まる水素投資拡大機運

ウクライナ危機をきっかけとするエネルギー安全保障に対する懸念の高まりは、欧米のエネルギー政策に大きな影響を与えている

注目される動きの1つが、水素エネルギーに関する取り組みの加速だ。

米有力シンクタンクの1つ「大西洋評議会(Atalantic Council)」が3月末にドバイで開催した世界エネルギーフォーラムでは、米国国務省のエネルギートランスフォーメーション担当者アンナ・シュピッツバーグ氏がエネルギー安全保障課題に触れ、米国では水素投資を加速していると発言

ゴールドマン・サックスもこのほど発表したレポートで、現在1250億ドル(約15兆4743億円)の水素市場は、2050年には1兆ドル(約123兆円)に達するとの強気の予想を展開している。

一般的に電気分解によって生成される水素。その電気が化石燃料で発電された場合は「グレー水素」、また天然ガスと二酸化炭素貯留技術を活用し生成されたものは「ブルー水素」と呼ばれている。一方、カーボンニュートラルの観点から注目されているのは、再生可能エネルギーによる電気で生成された「グリーン水素」だ。

このグリーン水素は、現在グレー水素に比べ生産コストが高く、普及のネックになっているといわれている。PwCによると、現在グレー水素のコストは1キログラムあたり1~2ユーロだが、グリーン水素のコストは3~8ユーロ(コストは地域・国によってばらつきがある)必要となる。しかしPwCは、再生可能エネルギーのコスト低下に伴い、2050年頃にはグリーン水素の生産コストがグレー水素のコストを下回る可能性があると予想している。

しかし、ロシアのウクライナ侵攻によって原油価格や天然ガスの価格が急騰、これによってグレー水素とブルー水素の生産コストが上昇しており、一部ではグリーン水素の生産コストがこれらを下回るという事案が発生している。

エネルギーインテリジェンス企業Rystad Energyが2022年3月21日に発表したレポートによると、ロシアによる侵攻が開始されてから数日間で、グレー/ブルー水素のコストは急騰し、1キログラムあたりのコストは12ドルに達した。欧州の一部では、ブルー水素のコストは14ドル、グレー水素のコストは12ドルまで上昇したという。

一方、スペインやポルトガルが位置するイベリア半島では、グリーン水素1キログラムあたり4ドルという低コストで生産することができる。ウクライナ危機によって、グリーン水素のコストがグレー/ブルー水素を大きく下回るという状況が生まれているのだ。

モビリティ分野の水素テック、海外の動向

水素経済の到来を見据えた取り組みは世界各地で少しずつ増えている。

ドイツ南部バイエルン地方では、2023年から水素電車の走行試験が開始される

この水素電車を開発しているのは、ドイツ複合企業シーメンスだ。同社の2量編成車両「Mireo Plus」をベースとする「Mireo Plus H」と呼ばれる水素燃料電池駆動の新モデルが導入される。アウクスブルクとフュッセンを結ぶ路線(約100キロメートル)で試験運用が実施される予定。その後、2024年1月から乗客を乗せた運行を開始する計画という。

ドイツで試験導入される水素電車「Mireo Plus H」(シーメンスウェブサイトより)

欧州では、フランスの多国籍企業アルストムが開発した水素電車「The Coradia iLint」の試験運用も実施されている

試験運用が実施されているのは、ポーランド南西部の街ジミグルトだ。ポーランドは、コロナ後の経済復興計画の一環で、2026年までにポーランド国内路線に、低排出車両30台を導入する計画を発表。特に電気が通っていない路線に、水素電車を導入したい考えだ。欧州連合域内における鉄道網で電気が通っている割合は54%にとどまる。残りの46%の路線ではディーゼル車両が利用されている状況だ。

水素テクノロジーの開発は、鉄道だけでなく航空機分野でも進んでいる、

ZeroAviaは、水素燃料電池を搭載したプロペラ機を開発するスタートアップ。2020年9月に初となる飛行実験に成功。その後、ビル・ゲイツ氏のクリーンテクノロジーVC「ブレークスルー・エネルギー・ベンチャーズ」、ロイヤル・ダッチ・シェル傘下のVC、英国政府、ブリティッシュ航空、ユナイテッド航空、アマゾンなど、多数の大手企業から資金を調達することに成功している。Crunchbaseのデータによると、ZeroAviaの累計調達額は、1億1000万ドル(約136億円)に上る。

ZeroAviaで開発されている水素飛行機(ZeroAviaウェブサイトより)

欧米の水素投資、日本企業にも追い風に

欧米での水素投資の加速は、水素テクノロジーに先行投資してきたいくつかの日本企業にとって追い風となるかもしれない。

競合他社がEVに注力する中、水素テクノロジーへの投資を進めてきたトヨタはその1つといえるだろう。同社の水素燃料電池自動車「Mirai」は、海外メディアの水素議論で頻繁に登場するため、その認知度は低くない。欧米で、水素自動車の利点が広く知れ渡り、水素ステーションなどのインフラ整備が進めば、販売台数は必然的に伸びると思われる。

英国の自動車レビューサイトCarWowは、YouTube公式チャンネルで登録者689万人、累計視聴回数24億回以上を誇る巨大メディアだ。そのCarWowは2021年9月に「水素自動車 vs 電気自動車」と題した記事で、Miraiなどの水素自動車と電気自動車を比較し、それぞれの長所・短所を指摘している。

水素自動車の長所の1つとして挙げられているのが充填時間だ。水素充填にかかる時間は数分のみ。電気自動車では、数時間の充電時間が必要となる。一方、水素自動車の短所として、水素価格が高いこと、また水素ステーションが少ないことが指摘されている。

水素の価格については、冒頭でも紹介したように、地域によってはグリーン水素のコストがグレー/ブルー水素のコストを下回る状況が発生するなど、クリーンな水素を低価格で入手することは不可能ではなくなっている。また米国や欧州で水素への投資機運が高まっていることを鑑みると、予想より早く水素インフラの整備が進む可能性もある。

日本でも、JR東日本が水素車両の走行試験を開始したほか、ヤマハが水素エンジン開発に乗り出すなど、水素テクノロジー開発の動きが活発化している。世界的なエネルギー安全保障議論を追い風に、国内外の水素投資はどこまで拡大していくのか、今後の動向に注目したい。

文:細谷元(Livit