VRを身近な技術へ。キヤノンの光学技術を結集した、VRレンズの可能性

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ゴーグルを活用することでデジタル空間への没入を可能にするVR技術。さまざまなメディアで話題となっている一方で、実際にどのようにビジネスに活用できるかをイメージできていない読者も多いのではないだろうか。

しかし現在、VRの進化は私たちの想像を超える領域に達している。そこで今回、キヤノンが新たに開発したVRレンズ「RF5.2mm F2.8 L DUAL FISHEYE」を題材に、VRの最新事情を深掘りする。キヤノンマーケティングジャパン株式会社の和田康一氏に業界事情を聞くとともに、製品を使用した映像作家・由井友彬氏の体験を通じ、VRが変える未来について考える。

急速に進化したVRの現在地と、業界を取り巻く課題

「表面的には現実ではないが、本質的には現実」。よくこうした表現で比喩される「VR(Virtual Reality)」は、 “仮想現実”とも訳される。限りなく現実に近い世界を、あたかも本当に体験したような感覚を指すわけだが、いま一つつかみ難い概念だ。しかし抽象的だからこそ、その汎用性が注目されているのだろう。

では実際のVRは現在、どのような水準に到達しているのだろうか。VRの歴史は意外にも古く、20世紀前半にもさかのぼる考えもあるが、飛躍の時代となったのは2010年代だ。デバイスやゲーム機器のメーカーから、ゴーグルをはじめとしたさまざまな端末が発表され、2016年は「VR元年」と呼ばれるほど盛況。誰もが自宅でもVRを体験できるようになった。現在は頭部に装着する「ヘッドマウントディスプレイ」で両眼を覆い、投影された3D映像を目と耳で感知。頭部を上下左右に動かすことで視点が変わり、世界を自由に見渡すことができる。

異なる場所の体験を可能にするVRは、新型コロナウイルスによる生活変容もあり日本でも需要が増加。エンターテインメント以外の領域でも活用されるようになってきた。キヤノンマーケティングジャパン株式会社 カメラ商品企画第二課 課長の和田氏は、最新のトレンドをこう分析する。

和田氏「ここ数年の潮流において、注目すべきポイントは二つ。一つは、ヘッドマウントディスプレイの表示画素数が大幅に向上し、8K映像の鑑賞が可能になったことです。もう一つは、Googleが『VR180』という規格を策定したことで、前方180°の視界のみを映像化する手法が普及したこと。これによってYouTuberをはじめとする個人のクリエイターなどもVRに参入するようになりました」

キヤノンマーケティングジャパン株式会社 カメラ商品企画第二課 課長 和田康一氏

“VR元年”当時、360°を見渡す映像体験がメディアをにぎわせていた。このイメージをVRに対して抱く読者もいるだろう。そして360°から180°へと主役が渡ることに、スケールダウンの印象を受けるかもしれないが、実はそうではない。2016年ごろは、業界がVRの画期性を伝えるべく、最大限の機能として360°を推し出していた。

しかし、実際のユーザーは身体の前面に目を持つ人間。「後方を見ること」よりも「前方にフォーカスし美しく映し出す」という方向に業界全体がシフトしていく。その背景には360°の撮影における課題もあったと、映像作家としてVRも手掛ける由井氏は言う。

由井氏「同時に全方位を撮影しなければならない360°では、映り込みが問題になります。通常の動画撮影のように、カメラの後ろにディレクターやカメラマンが立てず、照明や音響の機材を置くこともできません。撮影中は現場から離れる必要があったのです。ディレクションもできず、被写体も限られてくるので、高度な映像作品をつくることは難しかったといえます」

映像作家・由井友彬氏

しかし製作者サイドの問題は、180°の場合も存在する。人間の目を模倣した立体映像の撮影では、2台の超広角レンズを装着したカメラ、さまざまな補助機材が必要になるからだ。2台のカメラは被写体に対して同じ距離・高さ・角度で設置しなければならず、このセッティングには膨大な時間が発生してしまう。

由井氏「レンズの位置はミリ単位で調整しなければなりませんし、編集の際にはそれを一つ一つ補正していきます。この作業はほとんどの360°VR映像制作では不要なので、新たな課題といえるでしょう。結果として、本来注力すべき作業に時間をかけられないだけでなく、VRのノウハウがない映像作家の参入を困難にしています」

つまり、ユーザーサイドの“アウトプット”ばかり進化する一方で、クリエイターサイドの“インプット”が追いつかないというのが、VR業界を取り巻く課題となっているのだ。ここに対し新たな提案を投げ掛けてきたのが、世界トップクラスのカメラメーカー、キヤノンとなる。

VRをより手軽なものへ。光学技術を結集させたVRレンズ

2021年10月、キヤノンはVRレンズ「RF5.2mm F2.8 L DUAL FISHEYE」を発表した。2個の魚眼レンズを搭載し、フルサイズミラーレス一眼「EOS R5」に装着することで、180°の3D映像を撮影することができる製品だ。レンズ交換式デジタルカメラ用レンズとしては世界で初めて※、1台のカメラでの180°のVR撮影を実現している。

※2021年10月5日現在発売済みのレンズ交換式デジタルカメラ用レンズにおいて(キヤノン調べ)

12月24日発売予定のVRレンズ「RF5.2mm F2.8 L DUAL FISHEYE」

和田氏「『RF5.2mm F2.8 L DUAL FISHEYE』を使用すれば、1台のカメラだけでVR映像を撮影できます。撮影者のワークフローを大幅に削減できるのではないでしょうか。また、『EOS R5』にこのVRレンズを装着するだけで使用できるので、VRに参入するクリエイターの方々の裾野も広がると思います」

VRレンズを開発するのは、キヤノンにとっても初の試みだ。なぜ同社はVR業界に参入したのだろうか。

和田氏「ヘッドマウントディスプレイの画質が向上したものの、撮影者が8Kに対応する機材をそろえるのは困難。視聴者からすると、ディスプレイにカメラが追いついていないという現実がありました。一方の我々は、8Kの動画撮影に対応する『EOS R5』に加え、双眼鏡の開発・製造も含め、長年培ってきたハイレベルな光学技術を有しています。“撮影領域の拡大”というEOS R SYSTEMのミッションを実現するためにも、VR領域に踏み込むのは必然と考えました」

和田氏の言うように、「RF5.2mm F2.8 L DUAL FISHEYE」にはキヤノンの光学技術が存分に投入されている。最大の特長は、「高画質な3D立体視」だ。レンズを人間の目の幅と同じように配置し、その視差を利用することで、臨場感を映像上に生み出す。空間の奥行きや物の質感、光の陰影などを写し、極めて高い解像度で表現されることで、視聴者は現実空間と同じように目・脳を使うことになる。そしていつの間にか、VRであることを忘れてしまうのだ。

由井氏が手掛けたVR作品は、この特長が最大限発揮されているといえよう。静寂な日本庭園であるが、木々の揺れや木漏れ日といった微細な動きが感じられ、現場にいる視界と遜色ない光景が広がる。また、VR特有の「3Dが飛び出てくる」というイメージは、そこにはない。目の前を通り過ぎる鹿、鍛冶師が飛ばす火花には迫力こそ感じるものの、「映像からこちらの世界へ来る」のではなく、「自分が映像世界にいる」という感覚に陥っていく。

由井氏が手掛けたVR作品ではさまざまな日本文化を紹介している※3D VRでご視聴いただけます

和田氏「通常、レンズというものは中心から離れるほど、解像度の低下やゆがみが発生しやすくなります。しかしCanonの“Lレンズ”は、そのズレをできる限り低減すべく開発してきたため、180°のVRであっても高画質を担保できるのです」

また同製品では、キヤノン独自の特殊コーティング「SWC(Subwavelength Structure Coating)」が採用されており、広角レンズで発生しがちなゴースト※を、高度な反射防止効果によって低減できる。さらに左右のレンズには「電動光彩絞り(EMD)」が搭載され、同時に自動で露出制御をすることが可能。2台のカメラでの撮影時に必要であったそれぞれの微細な露出調整において、絞りの相違や片方の変更の失念を心配することなく、編集時の光量調整作業も削減されるのだ。

和田氏「さらに、Canonが提供する変換アプリケーション『EOS VR Utility』を活用すれば、左右のズレ補正などが自動で行われるので、撮影データを取り込むだけで編集に専念できます。『Adobe Premiere Pro』へのプラグインソフトもあるため、従来の作業環境を大きく変えていただく必要もありません。カメラ、レンズ、三脚、編集ソフトさえあれば、誰もが簡単に高性能なVR映像をつくることができる。そうしたワークフローを目指し、一連の製品・ソフトウエアを開発しました。

※レンズ内に強い光が入ることで、反射した光が絞りの形や楕円形に写る像

クリエイターの表現を拡張し、“作品”としてのVRを

映像作家の由井氏は、2DからVRへと活動の幅を広げてきた経歴の持ち主。アメリカで活動していることから、VR導入が進む業界の流れをいち早く汲み取り、日本の風景を海外に伝える作品などを生み出してきた。そんな由井氏が常に心掛けていることが、「2Dの映像作品をつくる姿勢で、VRにも取り組むこと」だ。

由井氏「『RF5.2mm F2.8 L DUAL FISHEYE』の開発以前からVRを撮っていたわけですが、セッティングや機材の問題で演出に集中できず、いつも仕事に苦戦していました。同製品の登場は、思い通りの作品づくりができる環境を整えてくれると期待します」

実際に製品を使用した由井氏は、作品表現の幅を広げる可能性を感じたという。

由井氏「Log撮影※ができるので、『EOS R5』の広いダイナミックレンジを生かしながら、追ってグレーディングすることが可能です。SWCによってゴーストを大幅に低減できるようになりました。これにより、余計なゴーストを削りながら、映像表現の一環として採用したいゴーストを残すようなコントロールもできます。撮影はもちろん、編集工程での選択肢も広がり、自由な作品づくりができるんですね。映像作家としての個性や意図を最大限発揮することができるので、『もっと作り込みたい』という気持ちが芽生えました。このレンズによってVR参入するクリエイターが増え、業界全体として表現の幅が広がっていくのも楽しみです」

視聴者側のユーザー体験も、高解像度が可能にする没入感によって大幅に変化が生じると、由井氏はみている。

由井氏「従来の360°VR作品は画期的ではありましたが、人間の視界の構造と懸け離れていることもあり、いま一つ“没入しきれない感覚”がありました。これが払拭されたことが大きいのではないでしょうか。その理由は、単純に解像度を上げただけではなく、レンズを人間の目に限りなく近づけたからだと思います。自分も『RF5.2mm F2.8 L DUAL FISHEYE』で撮影する際、その魅力を生かすために、自然な目線の高さ、人間が見たいと思う部分を写すことを意識。従来の“VRっぽさ”を極力排除しました」

※編集処理を前提とした自由な画づくりが行える記録方式

多様なビジネスに応用できる、新時代のVR

2021年11月、幕張メッセで開催された国際的展示イベント「Inter BEE」では、「RF5.2mm F2.8 L DUAL FISHEYE」とその体験動画を展示。さまざまな業界の関係者や映像プロダクションが集まる同イベントで“VRの革命”を印象づけ、大きな衝撃をもたらした。

和田氏「VRレンズ展示ブースの行列は途切れることなく、たった3日で600人ほどの来場者に触れていただきました。新しいジャンルの製品にもかかわらず、ポジティブなご意見が多数。臨場感や没入感に感動する方もいたほどで、多くの方に興味・関心を持っていただけました」

では、私たちビジネスパーソンは、どのようなシーンでアップデートされたVRを活用するべきなのだろうか。最後は二人にその可能性を語り合ってもらった。

由井氏「VRの持つ最大の強みは、足を運べない空間そのものを提供できることです。例えば、コロナ禍で入校制限をされた学生に対し、授業をVRで届けるケースが該当します。複数のキャンパスの距離によって履修が困難な授業にも応用できるでしょう。また、地方の魅力を都心や海外に伝えることができるので、観光業にも有効です。私自身も自治体との仕事で、日本文化を記録する作品をつくっています。担い手不足で消えてしまう文化もありますが、VRで保存することで歴史的遺産として後世に伝えることもできます。VRは、空間だけでなく時間をも超えるんですね」

和田氏「教育機関や自治体に加え、企業のニーズにも応えることができるでしょう。例えば建設現場や製鉄所における危険な場所をVR化すれば、安全点検や研修動画で活用できます。研修という観点では、メイクのように繊細な動きが重要な業界にも向いているかもしれません。結婚式を記録すれば、参加できない親族にも見せられるため、ブライダル業界でも需要が高まるでしょう」

由井氏「ポイントになるのは、180°だからできる部分だと思います。世界の名だたる観光名所にも、後方に商業施設があるように、どのような場所にも“見せたい部分”と“見せたくない部分”がある。大学の授業も、後ろにいる友人を見せる必要はありません。まずは180°の強みを、さまざまな企業・団体に提案していきたいですね」

和田氏「あとはやはり、エンターテインメントのアップデートです。ライブに行けないファンに向けて映像を発信できるだけでなく、客席にいても味わえない“目の前にミュージシャンがいるような体験”は、VRでしかできません」

由井氏「現在はヘッドマウントディスプレイに依存するVRですが、ARとして表現すればスマートフォンやスマートグラスでも映像を活用できます。例えば、店舗に行かずに棚を見ながら買い物をするような体験が可能になるでしょう。また、最近注目されるメタバースにも応用できるはずです。さまざまなテクノロジーとの組み合わせも想定すると、VRに関連しない業界はないと思います」

和田氏「可能性が広過ぎて、私たちでも想像できない使途があるのがVRです。さまざまなクリエイターの方々に表現の幅を広げていただきながら、多くの企業様と新たなビジネスチャンスを探っていきたいと思います。社会に新たなユーザー体験を届け、人々の抱える課題の解決にも貢献できれば、こんなにうれしいことはありません」

私たちを別世界へと誘う、キヤノンの新たなVRレンズ「RF5.2mm F2.8 L DUAL FISHEYE」。かつてないほどの没入体験を実現するだけでなく、VRの活用シーンを大幅に広げていく可能性は高い。レンズに秘められた潜在能力は、どこまで発揮されるのか。今後の動向に注目したい。

取材・文:相澤 優太
写真:矢島 宏樹

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