コロナ禍による価値観の多様化、社会全体の環境意識の高まりの中で、全ての人に共通する一つの大きなテーマが“住まい”だ。環境配慮型建築に代表されるように、住宅メーカーや建築事務所が新たな発想とテクノロジーで提供する次世代型の住環境は、未来へと踏み出すビジネスパーソンにもヒントを与えてくれるだろう。
世界初「在宅時急性疾患早期対応ネットワークHED-Net」の構築や業界初のネット・ゼロ・エネルギー・ハウス(ZEH)の商品化など、住宅の枠組みを超えて、さまざまな社会課題に先進的な取り組みを進めてきた積水ハウスは、東京大学と共同で、2020年より「国際建築教育拠点(SEKISUI HOUSE – KUMA LAB)」の運用を開始した。日本を代表する建築家で東京大学 特別教授の隈研吾氏を中心に、デジタルファブリケーション(※)などの環境整備によって「未来の住まいのあり方」の探究を進めている。※デジタルデータを基に創造物を制作する技術のこと
大学と企業のコラボレーションにより、どのような知の共創が生まれていくのだろうか。隈研吾氏、積水ハウス株式会社 代表取締役 社長執行役員 兼 CEO仲井嘉浩氏が対談を通じ、未来の住まいのあり方をお届けする。
“デジタル×建築”における世界最高峰の研究施設が誕生
2021年10月14 日、東京大学に新たな拠点が設置された。「国際建築教育拠点(SEKISUI HOUSE – KUMA LAB)」の「T-BOX」。“未来の住まいのあり方”をテーマとした建築の研究施設だ。
「SEKISUI HOUSE – KUMA LAB」は、東京大学と積水ハウスが共同で運営するプロジェクトであり、統括を務めるのは東京大学 特別教授の隈研吾氏。急速に変化・多様化するライフスタイルや価値観に対し、新たな住まいのあり方を提供すべく、デジタルテクノロジーの活用による研究施設の整備と国際的な人材育成を推進する。
国内外の第一線で活躍する建築家が指導に当たる「国際デザインスタジオ」、工作機器を用いてデジタルデータによるものづくり環境を整備する「デジタルファブリケーションセンター」、学内外の建築家が手掛けた図面や模型などをデジタル化し、世界中の研究者がアクセスできるアーカイブプラットフォームとなる「デジタルアーカイブセンター」の三つの柱で、2020年夏より活動が行われてきた。
こうした活動の一環として、今回活動拠点として新設されたのが、東京大学工学部1号館の「T-BOX」だ。「T-BOX」の最大の特長は、CNC加工機、3Dプリンタ、レーザー加工機などの工作機器を複数そろえ、学科内外の人がアクセスできること。さまざまな分野に関心を持つ学生や研究者が「T-BOX」を行き来しながら、未来の住まいを創造していく。懸け離れた場所にあるように見える建築とデジタル技術は、どのような関係にあるのだろうか。
隈氏「新型コロナウイルスが猛威を振るう昨今、住まいや暮らし、建築のあり方は大きく変わろうとしています。人々の生活や働き方が大きく変わる中で、一つの大きな課題は、急速に発展したデジタル技術を、住まいというリアルの空間にどのように活用していくか。模索は始まったばかりですが、危機的状況であるこの時期に『SEKISUI HOUSE – KUMA LAB』が始動したことは、非常に大きな意味を持つと思います」
来るアフターコロナの時代。住まいや建築のあり方は、どのように変わっていくのか。「T-BOX」の運用開始に当たり、建築界の第一線で活躍する隈氏と、2020年以降を新たなフェーズだと捉える積水ハウスの仲井嘉浩氏が、住まいの未来について語り合った。
アフターコロナ時代における、住まいのあるべき姿
建築は、社会の変化に順応しながら革新を遂げてきた領域だ。積水ハウスの軌跡において、これまでの社会変化をどのように捉えているのだろうか。
仲井氏「第1フェーズは、創業した1960年からの30年間に当たる昭和時代後期。住宅そのものが不足した戦後の復興期を経て、高度経済成長期に突入した日本では、耐震、耐火など、地震をはじめとした自然災害から住まい手の命と財産を守ることが、最大の役割でした。第2フェーズは、1990年からの30年間。社会が成熟した平成期には、断熱性能のような暑さ・寒さに左右されない快適性、バリアフリーに代表される老若男女誰もが住みやすいユニバーサルデザイン、健康や環境への配慮が求められてきました」
隈氏「まず『耐震と耐火』というのは、建築の歴史とも一致します。日本では関東大震災や第2次世界大戦があり、そうした惨禍から命を守るという考えから、現代建築のデザインが始まりました。その後は徐々に性能を高めることで、建築家たちは『快適』な住環境を提供するようになっていきます」
仲井氏「2020年からの30年間を、当社では第3フェーズと捉えています。世界に先駆けて高齢化が進んだ日本では、人生100年時代に突入。『健康』『つながり』『学び』といった人々の“幸せ”を構成する要素を、我が家で体験することが豊かさにつながっていくと思います」
隈氏「つながりは特に重要でしょう。これまでは個々の建築物の性能を進化させてきたのですが、それだけでは十分に人々は豊かになれなかった。建築物や都市計画でも、異なるもの同士をつなぐ考えが必要になってきています」
仲井氏「さらにコロナ禍によって、多くの人が家にいることを余儀なくされ、自分の住む環境を再考するようになりました。社会全体のつながりが薄れた一方で、“つなぐツール”としてデジタルが台頭し住宅が、医療や教育、企業とつながることで、自宅にいながらさまざまなことにアクセスすることが可能になったんです。物理的にだけでなく、デジタルも含めて全体をつないでいく構造が、都市デザインを変える時代になりつつあるように感じました」
隈氏「リアルの世界だけで完結していた住宅が、例えば診療所とオンラインでつながることで、もう一つの大きな医療体制に組み込まれますね」
仲井氏「医療でいうと、当社は、『在宅時急性疾患早期対応ネットワークHED-Net』の構築を目指しています。このHED-Netは、自宅で急性疾患を発症した人の早期発見と救急通報を実現するシステムですが、温度、心拍、血圧など、リラックスした状態で継続的に計測するバイタルデータがベースになります。自宅だからこそ取れるデータといえるでしょう。それらをうまく活用できれば、予防治療、遠隔治療など、社会全体の健康促進により貢献できます」
隈氏「他にも、コロナ禍はいろいろなターニングポイントになりました。ワークスタイルもその一つです。自宅にいても、地方にいても、十分に仕事ができることを、みんなが体験した。『働き方=住み方』というマインドがスタンダードになりつつあります。私自身の事務所も、リモートワークを試行しており、北海道や沖縄をサテライト化しようと考えています」
仲井氏「アフターコロナ時代でいうと、カーボンニュートラル、環境配慮もますます重要になりますね。当社は1990年に環境未来計画を掲げて以来、環境経営にかじを切り、創エネや省エネにより、エネルギー収支をゼロにする、ネット・ゼロ・エネルギー・ハウスを業界に先駆け標準化し、住まいにおけるカーボンニュートラルを着実に推進してきました。
また、住まいを通じて生物多様性保全に貢献するために、2001年から、『5本の樹』計画という庭づくりも進めています。『5本の樹』計画は、『3本は鳥のため、2本は蝶のために、地域の在来種を』という思いの下で、お客さまの庭に在来樹種を植栽するものですが、その数は、この20年で累計1709万本に上り、生物多様性の保全にポジティブなインパクトを与えています」
隈氏「かつて環境のことは、設計を担う建築家の担当ではなく、設備エンジニアの領域だと考えていました。しかし、実際には、『どの方角に配置するか』『どこに縁を出すか』といった設計により二酸化炭素の排出量は大きく変わる。材料も同じで、木材を使用するだけで環境負荷が全く異なるんです。実は設計こそが、環境のクリティカルな部分を担っている。そう意識したことで、自分の建築観が変わりました」
高齢化と人生100年時代、住宅の枠を超えた外部とのつながり、環境配慮。アフターコロナの住まいにおける複雑化する課題に対し、両者は視点を共有しているようだ。
理想を建築に具現化する、テクノロジーとアカデミックの融合
住宅を取り巻くニーズが多様化するアフターコロナ時代。テクノロジーやアカデミックは、どのように建築に貢献するのだろうか。
仲井氏「時代のベクトルが大きく転換するアフターコロナでは、人々のライフスタイルや価値観が多様化、変化し、住まいにおいても、今まで以上に人間の感性や個性が重要になってくると思います。大事な物や人と一緒に暮らすことを理想とする住まいは、特に個性との親和性が高い。例えば、伝統工芸や職人の知見を建築に活用すれば、自分の感性を反映した住まいを実現できるわけです。
ただ、そのような住まい手に寄り添った建築は、少量生産にならざるを得ず、従来の少品種大量生産が主流だった工業化社会では採算面で難しかったんです。しかし、デジタルの時代になり、3Dプリンタなどの技術が登場しました。これらをうまく活用すれば、多品種大量生産、多品種少量生産も可能になると思います」
隈氏「『T-BOX』では3Dプリンタを7台備えています。こうしたデジタルファブリケーションによって、これまで作れなかったような建築模型や、実際の建材まで、すぐに作れてしまう。すると、設計と施工の壁が取り払われ、ボーダーレスな建築の創造が可能になります。そして、住まい手も家をもっと『自分ごと』として捉えることができる。そうした効果を期待しています」
仲井「『SEKISUI HOUSE – KUMA LAB』が起点となり、国際的に第一線で活躍される研究者や建築家、伝統工芸の職人さんなどが交わることで、住まいでイノベーションが起き、未来の住まいの形を創っていけると思うと、ワクワクしますね」
隈氏「アイデアを形にすることができるのも、デジタルの力です。これまで研究者たちが『こんなことができないかな』と頭の中で思い描いていたものを、『デジタルファブリケーションセンター』ではすぐに具現化できます。研究領域におけるスピーディーなイノベーションにも貢献するはずです」
仲井氏「アーカイブで過去の知見を継承していくことも、次世代の住まいを創っていくために重要ですね」
隈氏「建築の世界では、これまでデジタルというと、せいぜい図面を作る時にCAD(コンピュータを用いて設計をするツール)を使うぐらいにしか使われませんでした。つまり、デジタルは既存の方法を効率化するためのツールだったんです。しかし、現在の発達したデジタル技術は、建築のつくり方・考え方そのものを変えることができます。例えば、個々の建築家たちが経験と勘に頼っていたノウハウを、多くの人に共有すること。『デジタルアーカイブセンター』では、歴史を超えて先人の知見に出合えますし、大学と企業が交流するプラットフォームも作ることができるかもしれません。こうして壁を壊しながら、つないでいく力こそが、デジタルの存在意義なのではないでしょうか」
仲井氏「これまで蓄積されてきた建築に関する知見や伝統的な技法を重視しながら、新しいものを取り入れることは、一つの企業の力では実現できません。研究の場で生まれたアイデアをすぐに商品化するのが、私たち産業界の役割です。連携を強めることで、知の共創がどんどん加速していくと期待します」
隈氏「アカデミックの世界は社会と途切れてしまいがちですが、企業は常に住まい手のニーズに近い場所にいます。産学のコラボレーションは、社会全体にとっても有意義になると思います」
デジタルファブリケーションと知のアーカイブ化が、住まい手が理想とする建築を創り出す。そのためのアイデアを拡張し、スピーディーに具現化するためには、産学連携が強い原動力となるのだ。
知の共創が、社会をどう変えていくか
国際建築教育拠点である「SEKISUI HOUSE – KUMA LAB」は、人材育成も重要な使命の一つだ。次世代の住まいを担う人材たちを、どのように育成・輩出していくのだろうか。
隈氏「これまでの建築教育は、建築の専門家を育てるためにありました。しかし、『SEKISUI HOUSE – KUMA LAB』は、専門の壁を超える人材を育てられる場所です。『T-BOX』も、多くの人が自由に行き来できるデザインにしています。他学科の学生が活用してもいいですし、日本の建築文化に興味を抱いた留学生が訪れてもいい。将来的にはデジタルテクノロジーを活用したい職人さんや企業の方々にも活用してもらい、いろいろなコラボレーションが生まれたらいいなと思います。そのように知の共創を生み出し、専門を超えた人材を育てることは、建築界も必要としているんです」
仲井氏「感性や個性を養える、多様な人との出会いは、教育において重要だと思います。いくらデジタル技術がそろっても、人と出会うリアルな空間はやはり欠かせません。適応性のようなものは、社会に出れば身に付けられるので、大学では自分の個性や感性を磨くことに注力してほしいと感じますね」
隈氏「今回、『T-BOX』が開設されたことで、ハードとなる環境は整いました。今後は人間がこの場所に入ってくることで、私が予測もしないようなことが起こってほしいです。現時点では『デジタル』『国際』『アーカイブ』が主な活動目的になっていますが、それ自体も塗り替えてほしいと考えています」
仲井氏「そうですね。斬新なアイデアがどんどん生まれることで、当社の技術陣が学生から刺激を受けてほしいくらいです(笑)」
隈氏「デジタルとリアル、企業と大学、海外と日本、歴史と現代。『SEKISUI HOUSE – KUMA LAB』がさまざまな資源をつなぐことで、未来の建築を大きく変えるような人材が輩出されていくことを期待します」
かつて閉ざされた空間から生まれていた建築は、デジタル技術の進展により、多くの人のコミットによって創造されるようになる。豊かさと地球的課題の解決を両立させるキーワードは、“知の共創”と“テクノロジー”になるのだろう。二つの概念を融合させた、東京大学と積水ハウスの先進的な取り組みは、住宅業界を超えて社会全体に波及していくのかもしれない。
【隈研吾×仲井嘉浩 対談動画はコチラから】