約35年の歴史を持つキヤノンのカメラシリーズ「EOS(イオス)」。フィルムからデジタルへの変化、スマートフォンの普及など、業界構造の絶え間ない変化を受けながら進化してきたブランドだ。

そのEOSが、2021年夏、新たなCM(WEBムービー)の放映を開始した。込められたメッセージは“撮影者の手によってカメラが完成する”。ユーザー自身が主人公となった内容で、製品の性能や品質は訴求されていない。

急速なデジタル化の中、日本企業は“高品質なものづくり”だけではない、ユーザー目線に立った価値提供が求められている。潮流の一つが、新たなユーザー体験だ。今後、企業はこの時代の変化にどのように向き合っていくべきなのか。次なる方向へとかじを切ったカメラのマーケティングについて、キヤノンマーケティングジャパン株式会社 カメラ商品企画第二課 課長の和田康一氏に話を聞く。

カメラを取り巻く環境変化と、EOSブランドのポジショニング

現在、世界トップクラスのシェアを誇るカメラシリーズ「EOS」。高度なオートフォーカス機能を備えた一眼レフカメラ「EOS 650」が発売されたのは1987年。以来、EFレンズの開発やデジタル化、ミラーレス化などを経て進化を続け、多くの写真愛好家たちを魅了してきた。

一方で、スマートフォンで誰もが手軽に写真を撮影できる時代になり、カメラの在り方は変化を迫られている。マーケティング戦略を担う和田氏は、5年ほど前からユーザーとのコミュニケーション方法を見直したと、当時を振り返る。

和田氏「EOSは、高度な技術力によって実現する高い機能を搭載した新製品を投入することで、これまで多くのお客さまの支持を集めてきたブランドです。マーケティングにおいても、その製品力の高さを前面に打ち出したプロモーションを展開してきました。

しかし、近年スマートフォンの普及やインターネットの発展により写真の楽しみ方は大きく変化しました。そのような中でお客さまが、一眼カメラを選ぶ理由やプロセスも変わってきていると捉えています。こうした変化を受け、当社はもう一度原点に立ち返り、『なぜ一眼カメラを使おうと思っていただけるのか?』『写真撮影という体験がどのような価値をもたらすのか?』を見つめ直し、広告コミュニケーションにおいてもお客さまと一体となった打ち出し方が必要だと感じたんです」

キヤノンマーケティングジャパン株式会社 カメラ商品企画第二課 課長 和田康一氏

スマホカメラで写真を撮り、SNSで公開する。一人一人が自由に情報を発信できるようになったことは、EOSというブランドにどのように影響しているのだろうか。

和田氏「スマホカメラの高性能化により、コンパクトデジタルカメラを中心に市場は縮小傾向にあります。それはレンズ交換式の一眼カメラも例外ではありません。そんな中、SNSをよく見てみると、若い世代でも、最新の一眼カメラを使った本格的な写真作品やキラキラとした日常をアップするユーザーが多数います。そして彼らのライフスタイルに憧れたフォロワーが、初めからエントリーモデルを飛び越えて彼らと同じハイスペックな一眼カメラに関心を持つ流れも見受けられます。

ではなぜ、彼らは高性能になったスマホではなく一眼カメラを使うのか。この答えを見つけるために、私たちは多くのユーザーとの対話を繰り返しました。その結果、『自己表現へのこだわり』と『その表現にたどり着くまでのプロセスの楽しみ』に理由があるのではないか、と考えました。

つまり、カメラは『単なる記録の道具』ではなく、『写真を通じた自己表現により人生をより豊かにするための道具』という側面が、これまで以上に強まっているのです。もちろんこれは若者に限った話ではありません。写真をライフワークとして本格的に楽しみたいという方はどの世代にもいます。そうしたお客さまを含む皆さまに満足いただくためには、写真を通じた“体験”をより積極的に提供するべきだと考えています」

プロダクトアウトから、ユーザーにとっての写真という体験の喜びを重視する時代へ。キヤノンの新たな広告戦略には、こうした背景があるようだ。

ユーザーの手によって、世界に一つの製品が完成する

和田氏の思いが形として表れているのが、2021年夏より放送が開始された新CM(WEBムービー)だ。コミュニケーションメッセージは「your EOS.」。カメラは“撮影者の手”によって、最終的に完成するという思いが、「真の完成」篇、「父の写真」篇という2本のブランドムービーで伝えられる。

「真の完成」篇は、メーカーからユーザーへと渡っていくEOSの物語。「作り手は、長い時間と思いを注ぎ、完成度を高めるが、撮影者がいなければ、ただの道具にすぎない」という言葉とともに、EOSのカメラが撮影者の手元に到着。カメラと共に旅に出た撮影者は、深い森を抜け、最高の景色に出会い、シャッターを切る。そしてEOSは、世界に一つのカメラとして“真の完成”を遂げるという構成だ。

your EOS. 「真の完成」篇60秒【キヤノンマーケティングジャパン YouTubeチャンネルより】


和田氏「撮影者の手によってカメラが完成するという考え方は、以前からカメラのマーケティングの根底にありました。しかしそれを明確に伝えるのは初めてのことです。お客さまが購入後、どのようにカメラを楽しみ、どのような写真を撮り、人生を豊かにしていけるか。そこにしっかりと向き合いたいという思いがありました」

もう一つの「父の写真」篇は、EOSを軸とした家族の一風景。実家の引っ越しを手伝うために帰省した息子が、歴代のEOSカメラや機材であふれる父の書斎へ。現像された風景写真を眺めながら、趣味に生き、家族を二の次にしがちな父の姿を懐かしむ。そこに母が手渡した一枚の写真には、幼き頃、カメラを抱える息子が写っている。「かけがえのない時を描き出した時、EOSはただ一つの存在として完成する」という言葉とともに、親から子へとEOSの魅力が継承されていくというストーリーだ。

your EOS. 「父の写真」篇60秒【キヤノンマーケティングジャパン YouTubeチャンネルより】

和田氏「『真の完成』篇同様、カメラが人々の手に届き、世界に一つのEOSが完成する姿を描いていますが、『父の写真』篇で強く伝えたかったのは、“写真そのもの”を通じた体験です。写真が持つ力、人に与える影響力にフォーカスするために、あえて撮影者の周囲にいる家族で構成しました。写真の楽しさや魅力を、世代を超えて残していきたいという、私たちの願いも込められています」

「父の写真」篇では、カメラという“入力”とプリンターという“出力”の両方を手掛けるキヤノンの特長、約35年の歴史を持つEOSの軌跡も垣間見ることができる。プリントされた写真を軸に描かれる、ほのぼのとした世界は、キヤノンにしかできない表現でもあるのだろう。

和田氏「どちらのCMも、ハイアマチュア層をメインターゲットにしていますが、『真の完成』篇は撮影者にEOSの開発思想が共有されることに、『父の写真』篇はより多くの人に写真の素晴らしさを伝えることに主眼を置いています。個々の製品でなく、EOSシリーズ全体をブランディングしたCMをつくったのは初めてのことです。マスメディアだけでなくウェブでの展開も強化していますが、それも一方的なコミュニケーションにとどめないことが狙いです」

写真文化の醸成に取り組む、キヤノンの歴史と現在地

キヤノンがアプローチしようとする、近年の消費者の写真に対する行動には、どのように変化が生じているのだろうか。

和田氏「近年、多様性がより尊重される社会になってきています。そんな中、ミレニアル世代、Z世代と呼ばれる若い世代は、所有することよりも感情的な満足感をより重視するようになっています。他人とは異なる、自分ならではの視点や考えを写真で表現し、私生活をより魅力的にアウトプットできるカメラは彼らのニーズにも結び付くものと考えます。最も影響を与えているのはInstagramをはじめとするSNSです。自分の撮影した写真を、多くの人に共有するというプロセスは、新たな楽しみ方として定着してきました。同時に、女性のカメラユーザーが増えている傾向も見られます」

若者向けの撮影体験の提供については、以前からさまざまな取り組みを進めている。第1回から特別協賛をする全国高等学校写真選手権大会「写真甲子園」も、その一つだ。全国の高等学校の写真部・サークルが参加し、全国一を目指す写真大会だ。

今年で28回目となる「写真甲子園」には多くの高校生が参加した。

和田氏「若い世代の創造力や感受性が育まれるよう、機材提供などのサポートを続けてきました。写真の楽しさや喜びを広く伝えることは、キヤノンが昔から大切にしている考えです。写真文化の醸成には長年取り組んでいます」

また、このような取り組みは若者向けだけに限ったことではない。1953年から始まった「キヤノンフォトコンテスト」は、今年で55回目を迎える。写真愛好家たちが腕を競い合い、第一線で活躍するプロが審査をする、国内最大級のフォトコンテストだ。また、プロによるレクチャーを行うEOS学園や、月刊写真誌やイベントを通じキヤノンユーザーが交流する会員制コミュニティ「キヤノンフォトサークル」も65年以上運営されている。和田氏の語る「写真文化の醸成」は、長年の歴史に裏打ちされているのだ。

キヤノンフォトサークルでは月刊写真誌の発行や、マンスリーフォトコンテストなどが開催されている。

和田氏「写真を愛する幅広い方々が交流し合う土壌こそ、キヤノンの強みだと思っています。当社の製品を長年使い、ずっと素晴らしい写真を撮り続けていただいているプロの皆さんがいる。そうした方が発表する作品に触れることで、新たに写真による表現や撮影というプロセスに興味を持つ方が増えていく。全てのお客さまの写真を通じたコミュニケーションは、私たちに不可欠なものです。今後も守り抜いていかなければなりません」

一方で、時代の変化に応じたマーケティングも進めている。ファミリー向けに低価格帯で提供される「EOS Kiss」シリーズでは、一般ユーザーが「アンバサダー」となり、活動体験レポートや写真投稿をしてもらう施策を開始。ライト層のカメラ体験を、身近な視点の情報を共有し合うことで広げていく取り組みだ。

和田氏「やはり、『スマホカメラで写真を撮るよりも一眼カメラの方が難しそうだ』とハードルの高さを感じている方も多いようです。そのような方にもカメラや写真をより身近に感じていただくために、この施策を始めました。アンバサダーが発信する家族のちょっとした一枚や、カメラを持つことで日常を見る視点が変わった、というようなエピソードを通じて、カメラのある生活の“疑似体験”をしてもらうことで写真を始めるきっかけとなればと考えています。なお、アンバサダーへの応募者数は約17,000人に達し、本企画で25,000人の方に新たにフォロワーになっていただきました。双方向のコミュニケーションが成功した例だと捉えています」

写真を撮る楽しさを知る機会を、あらゆる人々に届けるキヤノンマーケティングジャパン。「体験こそが提供すべき最大の価値」だと、和田氏は考えている。

和田氏「写真という体験を通じて、お客さまの人生が豊かになれば、社会全体も豊かになります。そうしたことを少しでもお手伝いできれば、私たちの使命は初めて果たされるでしょう。だからこそ、『カメラの魅力に出会う』『レクチャーを通じて腕を磨く』『コンテストで表現する』というように、さまざまな機会を段階的に用意しているのです」

体験を重視したコミュニケーションで、ファンとブランドを共創していく

長年ユーザーと共に歩んできた歴史を踏まえ、今改めて“ユーザーと共にある”ということを示すキヤノンの新たなマーケティング方針。社会や消費行動が大きく変化する中で、私たちは何を学ぶことができるのだろうか。

和田氏「“モノからコトへ”とよく表現されるように、体験を重視した消費にシフトしていることは間違いありません。カメラには、いわゆる“メカ”の部分を求めるお客さまも多いので、その部分を伝えていくことも必要です。しかし、スペックだけを追い求めると、品質と価格の競争に行き着いてしまう。従来はそれでもブランディングができましたが、今後は“スペック”の先にある“体験”を共有していくことが重要になるでしょう。カメラを使う喜びそのものが、EOSのブランドになっていくのです」

9月14日に発表した新製品「EOS R3」※写真右 をはじめとした製品群は、ユーザーの写真体験の幅をより広げ、道具として撮影者のライフスタイルを豊かにする。

ブランドは、ユーザーと一緒に創っていく。その指針を示すのが、新CMの「真の完成」篇なのだろう。そしてもう一つ、新時代のコミュニケーションの在り方を象徴する出来事があった。2020年、2021年に行われた新製品「EOS R5」「EOS R6」そして「EOS R3」のオンライン発表会である。

和田氏「カメラ製品を愛用いただいている方にとって、新しいカメラやレンズの登場は、“ワクワク”とした感情が伴うものと思われます。それは、次の機種は『どんな撮影体験をもたらしてくれるのだろうか?』というメーカーへの強い期待からくるものでしょう。この感情をユーザーとメーカーが一体となって楽しめないか? そんな考えからオンライン発表会ではプレス関係者だけでなく一般のお客さまにも参加していただきました。

コメント機能にはたくさんの声が寄せられ、SNSで発信し、議論が交わされるなど、共創型の新しい発表会の形になったと考えます。コロナ禍がきっかけとなった試みでしたが、結果として、次の時代における双方向型コミュニケーションの形が見えました」

常に新しい施策に挑戦する和田氏は、「お客さまの反響こそが、一番のやりがい」だと楽しげに語る。

和田氏「弊社のカメラやレンズは多くの“ファン”の方々に支えられています。体験会や発表会に参加するお客さまの真剣なまなざしを見るうちに、EOSのマーケティングに携わっていることへの実感が深まり、私自身もブランドへの愛着が強くなっていきました。写真の持っている力を信じ、広めていくこと。それが、私たちがすべきマーケティングの本質だと考えています」

ユーザーと企業のつながりに、どこかぬくもりを感じるEOSシリーズ。「ファンの皆さんと一緒にブランドを創っていきたい」という和田氏の思いに、新時代のマーケティングのヒント、EOSに根強いファンが多い理由を見た。

取材・文:相澤 優太
写真:矢島 宏樹