妊娠・出産・育児にまつわるハラスメントとして、よく知られるマタニティ・ハラスメント、通称マタハラ。ここ最近でも、「妊娠のタイミングが最悪だ」と女性職員を責めた大阪市住吉区役所の課長が停職3カ月の懲戒処分を受ける、神奈川県の非正規公務員の女性が、契約期間満了を理由に出産直前で雇用を打ち切られるといった事例があった。
マタハラが幅広く問題視される一方で、数年前から「逆マタハラ」という言葉が聞かれるように。一般的に逆マタハラとは、育休や子育て支援制度を利用する社員増が原因でその他の社員の負担が増大する事態、あるいは育休・子育て制度を利用する社員の配慮を欠いた言動により、その他の社員がストレスを募らせる事態を指すようだ。
しかし、企業向けのハラスメント対策のコンサルティングを手がける株式会社クオレ・シー・キューブの取締役・稲尾和泉さんは「この課題を”逆マタハラ”と定義するのは危険ではないか」と警鐘を鳴らす。稲尾さんに「逆マタハラ」にまつわる問題点と対策を聞いた。
なぜ「逆マタハラ」が深刻化するのか
逆マタハラの事例で広く知られるのは、2015年11月に「資生堂ショック」としてNHKで報道された資生堂のエピソードだろう。
女性比率が8割を超える同社では、通算5年の休職制度や長期間取得できる育児中の午後5時までの時短勤務など、出産後もキャリアを積みやすい環境が整っており、「女性が働きやすい会社」として知られていた。しかし、午後5時までの時短勤務制度を利用する育児中の化粧品販売員が増加したことで、独身者など一部の社員が午後5時以降のシフトに集中して入らなければいけない事態となり、負担を強いられた社員たちから不満の声が次々と上がった。
「このままでは回らない」という現場の声を受けて、同社は時短勤務中の販売員にも一般社員と平等な勤務シフトやノルマを課す制度に変更。この改革には、社外のワーキングマザーからも強い反感があったようだ。
この問題が起こった根本的な原因は会社側のマネジメント能力不足といえるが、なぜ事前にこの事態を防げなかったのだろうか。
「大事に発展してしまったのは、理不尽なことにガマンしすぎる日本人の性質が影響しているように思います。目上の人に物申すことを苦手とする国民性があるために、上司へ意見するのではなく、時短・育休取得者へ怒りが向いてしまう。本来、その怒りに向き合って業務分担を調整するのは上司の役割ですが、制度として運用することで限界に達してしまったのではないでしょうか」(稲尾さん)
続けて、稲尾さんは「マネジメント層の成果重視主義」も指摘する。
「今の日本企業は成果重視主義の傾向が強く、経営者はマネジメント層に成果のみを求める傾向があります。そのため、部下一人ひとりを理解して育成するという上司の意識が不足しがちです。言えない部下も育てられない上司も、日本社会の大きな課題でしょう」(稲尾さん)
逆マタハラを「ハラスメント」と定義する危険性も
資生堂ショックによって徐々に認知されるようになった逆マタハラの課題だが、多くの企業では課題があっても顕在化していない可能性も考えられる。Twitter上では、「逆マタハラ」や「妊婦様」といったハッシュタグ付きで不満を訴える声が一定数見られ、会社では黙っているものの現状に不満が募っている様子が伺える。
「育児休暇を取得している人、時短勤務中でサッと帰る人、子育てを理由に休む人と自身の環境を比べて、自分ばかり仕事をさせられて納得がいかないと感じること自体は悪くありません。本来は出産や育児といったライフイベントだけでなく、恋人や友達との予定、自身のケアなどで休みを取ってもいいんです。
会社全体でそれをスタンダードにしていくことが大切であり、彼らの怒りは本来マネジメント側に向けられるべきです」(稲尾さん)
逆マタハラへの対策を考えるにあたり、稲尾さんは一般的な逆マタハラの定義に対して、懸念を示した。
「ハラスメントとは相手を傷つける行為であり、嫌がらせです。育休取得者や時短勤務者が増えることで残る社員にしわよせがくるのはマネジメントの課題がメインであり、嫌がらせとは違いますよね。時短勤務の社員が必要以上に仕事を押し付けるなどは別にしても、現場で起きるこれらの問題の大半はハラスメントに含まれないのではないかと。それらをまとめて”逆マタハラ”とくくってしまうのは危険だと感じます」(稲尾さん)
稲尾さんの指摘のとおり、本来ならマネジメント層に対して改革を求めるべきところを「優遇されているワーキングマザーはズルい」などと、不満の矛先が育児中の社員に向かってしまう例も多いにありそうだ。その結果、「子どもを持つ女性」と「持たない女性」が対立構造となり、「逆マタハラ」という言葉につながったのではないだろうか。
変革のムーブメントは当事者の「声」から始まる
一部の社員がワーキングマザーに対して嫉妬やイラ立ちを抱くことで、逆マタハラの課題はより複雑化しているのかもしれない。では、どうしたらマタハラも逆マタハラも起こらずに能力を発揮できる理想的な状況をつくっていけるのか。
「社員満足度と利益増のどちらも実現した実例としては、サイボウズさんがわかりやすいロールモデルになるのではと思います。同社では、離職率の改善を目的に制度の見直しを図り、社員一人ひとりに寄り添った柔軟な働き方を実現されました。その結果、離職率が劇的に下がり、働きがいのある会社として高い評価を得ています」(稲尾さん)
サイボウズでは、大胆な制度改革によって2005年に28%だった離職率が2015年には約4%となり、現在も離職率は3%前後を維持。出産した社員は100%の職場復帰を果たしている。そのうえ、離職率に反比例して売上高は上昇するという理想的な状態をつくり出し、話題を呼んだ。
「同社は育児中の社員の働きやすさだけでなく、全員がもっとも能力を発揮できる環境を整えようと尽力されたことで、社員のワーク・エンゲイジメントが高まり、業績アップにつながったのだと予想されます」(稲尾さん)
とはいえ、業種やビジネスモデルによって柔軟な働き方を導入するのが難しい、業績を維持できないといった懸念もある。
「必ずしも柔軟な制度をつくることだけが正解ではなく、社員の満足度を高めていく施策を同時に打てると良いと思います。例えば仕事に対するミッションを明確に与え、それによって自己成長できる環境を提供することも満足度の向上につながるでしょう。
重要なのは、制度をつくって終わりではなく、運用して見えた課題を放置せずに、どんどん次の手を打っていくこと。そもそも全員が100%満足する働き方を実現している企業はほとんどありません。今回のパンデミックのように、外部要因によって業態やビジネスモデル、働き方の大きな変化を余儀なくされるケースもあります。硬直した組織は衰退していくので、新陳代謝する姿勢が求められると思います。
もう1つ大事なのは、現場の社員側からきちんと声をあげること。会社や社会が変わることを期待して待っているのは、もったいないと私は感じます。男女平等など世の中のムーブメントは、誰かが『不平等だ』と声をあげたことから始まっています。小さなアクションの積み重ねによって、ここまで世の中は変わってきました。同じ思いを持つ仲間を見つけて、団結して声をあげることで、より早く変革へつなげていけるのではないでしょうか」(稲尾さん)
<取材協力>
株式会社クオレ・シー・キューブ 取締役 稲尾和泉
https://www.cuorec3.co.jp/
文:小林香織
編集:岡徳之(Livit)