近年、DX(デジタル・トランスフォーメーション)という言葉をメディアやSNS上で頻繁に目にするようになった。産業や行政などの多くの分野で、既存のシステムからデジタルを前提としたシステムに置き換える流れは、コロナ禍で一気に加速した。
デジタル技術を活用し、日本企業が途上国の社会課題の解決に取り組むことで途上国市場に進出する流れも生じている。例えば楽天は、近年、サブサハラアフリカのルワンダで、ブロックチェーンやドローンの技術を活用し、医療へのアクセスや農家の生計向上を目指すプロジェクトに取り組んでいる。
本記事では、JICAが実施する「中小企業・SDGsビジネス支援事業」を活用し、途上国や新興国の課題解決に取り組む企業や専門家などのインタビューを交えDXと途上国の社会課題解決について紹介していく。
どうすれば日本のデジタル技術が、途上国の発展にもっと貢献し、ビジネスを通じた途上国の課題解決が実現できるのか。
元日本マイクロソフト業務執行役員で、多くのスタートアップ企業に助言する澤円氏、楽天株式会社のヨーロッパにおける事業を統括する楽天ヨーロッパでアフリカ地域を担当する山中翔大郎氏、JICAのデジタル化を推進するガバナンス・平和構築部 STI・DX室副室長の宮田真弓氏がDXによる途上国の社会課題解決について語りあった。
デジタル化の恩恵を受けない産業はない
途上国においてデジタル技術を活用して社会課題を解決しようとする動きがありますが、どのようにお考えですか。
山中氏:これまで新興国はインフラ、製造業、そしてIT産業という連続的な過程を経て発展してきました。現在、アフリカではリープフロッグといわれるように、一気にIT産業が発展し、人々の生活を大きく変えていくという状況が生じています。この一つの背景としては、世界中でのスタートアップやイノベーションに関するエコシステムの発展があります。
中国のアリババの創設者、ジャック・マーが2017年にケニアのナイロビ大学で講演した際、「社会が抱える課題、問題はビジネスにとって大きなチャンスなので積極的にチャレンジしてほしい」という発言をしていたことが記憶に残っています。
これは投資家が起業家に問うことと同じで、どのような社会課題にアプローチするのか、それはどれほど大きな社会的なインパクトを持つのか、を見極めることで、そのスタートアップの成長可能性を判断します。したがって、新興国の課題解決とイノベーションという二つの要素は本質的に相性が良いのではないかと考えられます。
また、このような背景を追い風に、現地のいわゆるエリート層の人たちが、自国の社会課題を解決し、またビジネスの機会をつかむべく、自国に戻って起業するケースが増えてきています。ハーバードやスタンフォード等のMBAを取得して、ニューヨークやロンドンの投資銀行やトップ戦略コンサルティングファームで働いていた人達が、自国で起業する方がチャンスが大きいと考えて戻ってきているという事例は少なくありません。
アフリカ等の新興国では、このような非常にダイナミックな変化が、急激なスピードで起こっているのが現状です。
澤氏:通信環境整備状況から、その国の可能性の一部を見ることができると考えています。先進国は、有線から積み上げの形で少しずつ進んできましたが、多くの途上国は、有線のネットワークに対する投資をスキップして一気にモバイルに行きました。その時点で投資をする領域を無線に絞ったわけです。
電気が通っていない村の人たちも、携帯電話を持っています。我々が経験してきた段階を飛ばして最新のテクノロジーをいきなり導入してイノベーションを起こす可能性は高まってきています。そのために足りないリソースを埋める問題解決能力を日本人が思うより、途上国の人たちの方がイノベーティブで画期的なアイディアを実装してくるのではと、興奮しています。
また、途上国のイノベーティブな発想の人たちの可能性を感じて飛び込んでいく先進国のデジタルエンジニアたちがいます。そういった人たちが既存概念にとらわれないでイノベーションを起こす可能性は十分にあることです。
知人がインドでおもしろい光景を見たと話していました。バスが橋の下を通ろうとしましたが、車高が高くて通れない。日本人なら迂回路を探すと思いますが、運転手は迷わずタイヤの空気を抜いた。日本では、安全性の問題が議論になりそうですが、実際には通過することができて、乗客たちは大喜びしたそうです。こんな発想のできる人たちが、たくさんいるのではないかと思います。
他人がどう思うか、決まりはどうかなど関係なく、目の前にある課題を解決する方法があるなら今すぐ使おうと考える人の割合の方が高いのではないでしょうか。それは、イノベーションを起こす可能性にも繋がっていると考えています。
宮田氏:JICAは途上国への開発援助を行う政府の機関ですので、日本の持つ技術やサービスを現地の新しい発想を通じて新しいも方法でどんどん提供したいと考えていますが、まだ試行錯誤しています。そのような状況でJICAは、共創(Co-creation)という言葉を大事にしています。現地の人たちと繋げて一緒に考えていく役割を果たしたいと考えています。
私たちは、必ずしも通信環境が良くない、アナログな世界で取り組んできました。革新的な技術があれば、費用を押さえつつ新しい事ができることを示したいと思いながらも、まだまだ材料は足りません。そんな中でも、JICAでもDXに注目しSTI・DX室 (Science Technology and Innovation/Digital Transformation)という組織ができて、少しずつ取り組みを進めています。
澤氏:私は、どのような環境下であっても、デジタル化の恩恵を受けない産業はないと思います。
テクノロジーが解決するのは時間と空間です。時間と空間は、人間の手で変更できない。でも、テクノロジーがあれば、仮想的に解決することができる。早く遠くに行けるのも、移動せずに情報を届けられるのも、テクノロジーのなせるわざです。
JICAという組織を考えると、距離が離れている所と仕事をすることが多い。JICAがテクノロジーのスペシャリストになると良い事しか起きないと思います。遠くにいる人に何かを届けるプロセスが早く進むなど、JICAほどDXの恩恵を実感できる組織はあまりないと思います。
テクノロジー先行ではなく、課題ファーストの考え方を
楽天がルワンダで実施していた中小企業・SDGsビジネス支援事業のメニューの一つである案件化調査では、ブロック・チェーン、ドローン、ビックデータ、IOT、AIといった、最近のキーとなるテクノロジーの活用可能性を調査しています。このキーとなるテクノロジーについて、どうお考えですか。
山中氏:アフリカでの新しいテクノロジーの活用に関しては、ケニアでのモバイル送金をベースとする様々なフィンテックサービスの普及に見られるように、多様な領域での複合的な発展がみられます。調査の際も、それらを総合的に学ぶことを目指して、市場の全体感の把握が必要と思い、進めてきました。実際にはルワンダでも、アメリカ、イギリスなどのスタートアップ企業や現地企業により、ドローンやモバイル診療、AI活用、キャッシュレスサービスといったテクノロジーが活用されています。
こうした背景より、様々なポジティブな可能性を排除しないように、包括的な調査の実施を意識してきました。結果として、調査で得たネットワークや情報の活用を通して、その後のAIMSやAAICとの提携等、様々な活動に繋げることができて良かったと思っています。
宮田氏:途上国では最近、防災、気候変動、森林伐採のモニタリングや、衛星データなどを使った、ビックデータやAIによる自然現象の解析などで、キーとなる技術が活用されています。地球規模の課題への対応や、国境を越えた難民の移動にも活用できる可能性があります。
澤氏:先進国では、その分野が得意な会社名が連想されやすい。でも、アフリカのような土地だと、ベンダーやプラットフォーマーではなく課題ファーストで考えることができる。
個々の要素技術とそれを作っている会社というのはあまり重要ではなくて、課題から逆算するということが重要になってくると思います。
特に、日本はエンジニアリソースが、ITベンダーに寄りすぎています。エンジニアの仕事は過酷すぎて、なんのために新しい技術を使っているのかさえ分からなくなっている人も多い。
アフリカというキーワードを考える時に、日本から貢献できる人材は決して多くないのかもしれません。
日本的な思考をそのまま持ち込み、アフリカでビジネスができるとか、課題を解決できるかというと、そこには大きなギャップがある事は意識する必要があります。
日本式ではなく課題に合わせたカスタマイズ
楽天がルワンダで進めている「P2Pマイクロ保険事業」は、どのような課題の解決を目指す事業ですか。
山中氏:新興国では、社会保障制度や保険商品が普及していないことにより、病気やけが、事故や災害などにより、働くことができなくなり、家族の生活が立ち行かなくなるケースが少なくありません。これまでは家族やコミュニティの支援でそれらの困難を乗り越えることが一般的でしたが、こうした相互支援の仕組みの枠外にある人たちも多くいます。
自給自足に近い経済活動にあるコミュニティにとっては、自費による近代医療に基づく薬代、治療費の支払いは大きな負担となります。したがって、何かあった時に生活が破綻しないようにする保険の仕組み、商品が普及すれば、社会的なインパクトは非常に大きくなります。
こうした状況を背景に、マイクロ保険へのニーズは高く、多くの新興国で普及が進んできています。新興国では社会保障制度や公的医療サービスが十分に整備されていないことも多く、また民間企業が提供する保険商品は高額で、加入できる人は限られている状況です。この中間に位置し、比較的少額で手軽に加入できるマイクロ保険は普及が進んできており、スタートアップや既存の保険会社など、多くのプレイヤーがその市場に機会を見出しています。
ルワンダでは他の新興国と異なり政府が提供する社会保障制度が広く普及しており、多くの人たちはその制度にカバーされています。ただ、より多様なケースに対応するような保険商品があれば助かるという声も多く、マイクロ保険へのニーズは大きいのではないかと思われます。
宮田氏:マイクロファイナンスはいま、途上国で広がっています。JICAでもマイクロファイナンスを支援する金融機関やNGOなどの中間組織に資金的な支援をして、普及を目指す取り組みが進んでいます。
保険に入れないハードルとして、銀行口座を持っていないという、金融包摂の課題があります。モバイルペイメントを普及させることで金融包摂を広げる可能性があると考えています。
澤氏:保険は、人によって受け取り方が異なります。私には必要というのも正解だし、私には必要ないという答えも正解です。
日本とは全く社会情勢が異なる人たちの状況に対して、保険がなんらかのベネフィットをもたらすことができるかどうかは、おそらく、だれも答えを持ってない気がします。発展しているスピードも変化も速い。社会情勢を変えるパラメーターが日本とはまったく違う。
日本人の発想で持っていくのは、他のテクノロジー以上にブレが大きいと思うんです。だからこそ、完成品の普及を考えるのではなく、半分でき上がっているかどうかも怪しいもので構わないので、現地の人たちと一緒に回していくスキームを考えることが重要だと思うんです。
良かれと思ってやっていることが全然評価されないと、ビジネスパーソンとしてはやる意味がない。全体をデザインすることが重要です。
新しいマーケットを見る日本企業に使いやすいJICAの民間連携事業
JICAの民間連携事業を活用して調査から始めたのはどんな考えからですか。
山中氏:楽天には「イノベーションを通じて、人々と社会をエンパワーメントする」というミッションがあります。JICAはこれまで様々な取り組みを通じて世界中で多くの人々に直接貢献してきました。
様々な分野でイノベーションやデジタル化の重要性の高まりがみられる中で、両者が一緒に歩みを進めることで、日本政府にとってはテクノロジーの分野での取り組みを加速させ、楽天としてもイノベーションを通じて世界中の人々により大きな貢献が可能となります。
こうした背景より、JICAとは先日発表された通り「包括連携協定」を締結させていただくなど、途上国での課題解決に向け、引き続き様々な取り組みの実現を目指しています。
実際のルワンダでの調査では、現地の市場や規制がどうなっているのか、JICAから様々な情報を教えて頂いたり、現地の人々を紹介して頂いたりと、非常にスムーズに進めることができました。海外で調査を進める際には、コンサルティング企業に依頼するというコストとしても負担が大きい方法が一般的かと思われます。
そうなると、多くの日本企業では、社内でも前に進めるのが難しくなったりする場合も多いのではないかと思います。したがって、JICAのこのスキームは、日本の民間企業にとって、特にアフリカなどの新しいマーケットを見るうえで、最初のステップを踏み出す際に非常に有益な制度ではないかと考えます。
いま、多くの日本企業はデジタル化や、今後の日本市場の縮小にどのように対応するのかという議論を進めている段階かと思います。その際、アフリカのスタートアップ企業やイノベーションに関する動向から学べることは多いのではないでしょうか。
澤氏:全世界のプラットフォームの大半を握っているのはアメリカか中国の会社になってしまった。ここで日本企業にもがんばってほしいという期待を持っています。でも、それができる日本の企業は数えるぐらいしかありません。そういった意味で、楽天とJICAが組んで海外に対して何かビジネスを構えるのは、僕としてはすごく興味深いですし、応援しています。
山中氏:新興国市場に興味のある日本企業にとっては、JICAが途上国で蓄積してきた経験やネットワーク、育ててきた人と人との繋がりの面で、多くのサポートやアドバイスをもらいながら学びを深めていけるので、非常にいいスキームだと思います。
アフリカと聞いた時に、遠い国の話で、しかもコストもかかって、いつ回収できるかもわからず、そんな余裕はない、と考える企業も多いかと思われます。日本企業にとって、政府のサポートを受けながら、安全に効率的に市場への学びを深められるということを、多くの会社に知ってもらうのは、日本の社会全体が新しいフィールドでの挑戦を前に進めていく上ですごく重要だと思います。
澤氏:やる気に満ちてモチベーション高く取り組めることが大事だと思います。そのための環境をまず提供すること、そのプロセスが正しく評価できる仕組みも大事です。それがあって初めて、全体の仕組みが回りはじめる。
個々人の活動が評価されること、判断をして実践する時の自由度が保証されること、さらには成功に対してはアワードが与えられ、失敗に対しては本当に致命的になる前にきちんとチェック機能が働くということ。こうしたことをデザインすることが重要です。
とはいえ、途上国には予期できないパラメーターがたくさんありますから、一定のゆらぎは許容し、閾値を超えた時にはアラートを鳴らす仕組みがあれば、みんなが安心して取り組めます。
宮田氏:JICAは、税金により運営されている組織ですから、失敗をなかなか許容できないところがあります。でも、「ゆらぎ」を制度の中でどう担保するか、みなさんがワクワクできるような形で事業に参画してもらうにはどうすればいいか、考えたいと思います。
澤氏:チームをマネジメントしていた時に、部下で年上のメンバーがいました。僕のメンターでもありました。彼は「失敗したことがありません。たいていの場合、予想していた結果にならず、結果が違うんですよね。だから毎回ものすごい学びがある」と言います。鉄のメンタルですよね。
違う結果が出たら学びがあるから、それを分析しようとなれば、すごくのんびりチャレンジができる。「失敗じゃなくて、想定されていない結果が出ただけ」と、みんなが思えれば、世の中ハッピーになる。
日本人のメンタルはなかなかそうデザインされていませんが、お手本を見せることが大事です。
山中氏:アフリカでJICAといえば、紛争後の支援や井戸等の基本的なインフラのサポートをイメージされる方が多いと思いますが、アフリカの社会の状況も、JICAの活動領域も非常に大きく変わってきています。私たちもJICAからはこれまで多くのアドバイス、サポートいただいてきました。JICAなしにはこのように取り組みを前に進めていくことは難しかったと思います。少しでもアフリカや新興国に興味のある日本企業の担当の方は、ちょっと話を聞いてみたい、という段階からでも相談してみるのが良いかと考えます。
澤氏:なぜJICA経由でビジネスに時間を使うのか、必然性を見出すことが必要です。ビジネスだけでなく、広い視野で定義ができ、魅力を語れる状態をつくる。これは、日本をグローバルでもっと強くするにはどうすればいいかという課題にも応用できると考えています。JICAのスキームを活用し、様々な日本企業が途上国の課題解決にむけ発展していくのをこれからも期待しています。