デザインを通じて暮らしや社会をよりよくしていくために、総合的なデザイン評価・推奨の仕組みとして、1957年に創設されたグッドデザイン賞。
多種多様な受賞作のなかでも、特に近年、ビジネスをはじめとして、社会に存在する課題をデザインで解決しようとする取り組みに注目が集まっている。この連載では、日本、そして世界が抱える課題の解決に貢献しているグッドデザイン賞受賞作と、それに関わる人々を取り上げ、どんな人が、どのようにして社会を「グッド」にするデザインを生み出したのかを紹介していく。
今回紹介する杉之原千里さんと水本純央さんは、2020年度グッドデザイン金賞を受賞した建物「みいちゃんのお菓子工房」の施主と建築家。このお菓子工房は、自宅以外の場所では声を出して話をすることができない「場面緘黙(かんもく)症」を抱える女の子(みいちゃん)の、“パティシエになりたい”という夢を叶えるために、小学6年生だった今年の1月に作られた。
工房では、実際にみいちゃんがケーキをはじめとする洋菓子を作り、月数回だけオープンして店舗で販売するほか、通販にも対応。すでに多数のメディアに取り上げられ、開店時には多くの客が訪れて繁盛している。
今年度のグッドデザイン賞においてこの工房は、みいちゃんの夢を叶えるとともに、社会との繋がりを持つための場所として機能していることが高く評価された。障がいを抱えた女の子が店長の“お菓子工房”ができるまでには、どのような道のりがあったのか、そして、社会との繋がりを創出するデザインとはどういうものなのか。
まずは施主であり、みいちゃんの母である杉之原千里さんに話を伺った。
お菓子工房のできるまで
みいちゃんは保育園の時、友達と喋れなくなり、小学校に上がってから環境の変化によってさらに症状が悪化してしまい、「場面緘黙症」と診断された。
杉之原:“場面緘黙症”という言葉自体、その時初めて聞きました。
その状態を理解し、受け入れて、アクションを起こすことができるようになるまでは簡単ではなかった。
杉之原:いろいろなことがありました。いきなりここまでたどり着いたわけではないです。
小学校では不登校を経験し、中学1年生となった今も、学校とリハビリの両立を図っている。
杉之原:人とコミュニケーションが取りづらいので、一般の就労も難しく、将来に向けて、この子が自立できる居場所を作らなければいけないと思いました。
みいちゃんの特性を見極めるため、いろいろなことにチャレンジし、気づいたのがお菓子作りが好き、ということ。
杉之原:小学校4年生の時にお菓子を作り始めました。とにかく集中力がすごくて、いざ取り掛かるとずっと作っているんです。
デザイン性や見せ方も上手で、インスタグラムにあげている写真も自分で撮っているんですよ。
みいちゃんは、作ったお菓子写真を載せるインスタグラムを始めたことで、コメント欄でフォロワーの人たちとコミュニケーションができるようになった。
そして、マルシェへ出店したり、地域の男女共同参画センターを利用してスイーツカフェをお試しで出店したところ、好評を得たことから、母である杉之原さんは、心の変化を伴う思春期を迎えるまでに、お店を作ることを決意した。
杉之原:まずは、労働基準監督署へ行き、将来の自立を目的として義務教育中に就労訓練を始める場合の労働基準について相談しました。結果として、母親の私がオーナーであれば、娘が店を手伝うのは、家事手伝いに該当し、問題がないということがわかったんです。
次に、限られた予算でお店を作るために、みいちゃんの祖父母宅の敷地内で土地を用意し、複数の工務店を訪ね歩いて、なんとか用意できる金額内で実現できないか交渉した。
その中で出会ったのが、水本さん率いる株式会社ALTS DESIGN OFFICEだった。
デザインの力で、可能性を引き出す
水本:正直採算を度外視しているところはあります。
自ら施工業者に掛け合うことで、限られた予算内での竣工を実現させた。
水本:みいちゃんのがんばりをデザインの力でうまく引き出したい、という想いと、この建物をきっかけに世の中から注目されて、同じように苦しんでいる子どもたちや保護者の支えになったらいいなと思って、引き受けました。
住宅街の奥まった場所にあるため、遠くからでも見つけることができ、目印となるような、かわいらしいトンガリ屋根の建物に仕上げている。
水本:敷地が道路の突き当たりになっているので、存在感がありすぎないように、抜け感のある建物にしようと考えました。
建物の半分はガラス張りにし、外から中の様子を見ることができるようにして、人が自然と立ち寄りたくなるような、地域に開いた作りにしつつ、もう半分でしっかりとプライバシーを確保した。
水本:みいちゃんは工房で働いていて、なかなか外に出るのが難しいので、中からでも空の様子が見えたり、外の風景を感じられるスペースになればと思ってデザインしたんです。
そしてもう一つ特徴的なのは、販売スペースと工房との間にある、すりガラスだ。
このお店は、中学校卒業時にグランドオープンすることを目標にしていて、それまでの間に、みいちゃんが徐々にでもお客さんに慣れるように、気配を感じながらお菓子作りをできるようにするという目的で設置した。
水本:これから、少しづつ克服できることを願っています。
そして、今回のみいちゃんとの関わりを通して、人に寄り添う空間づくりの大切さを改めて感じました。これからも建築家として、デザインを通して豊かな空間を作ることによって、人が楽しくなったり幸せになるような建物を作っていきたいと思っています。
杉之原:計画段階で水本さんの持ってきてくれた、まるで夢の国のような模型を見て、あの子が、絶対にこれがいいと言いました。一時小学校に行っていない時もあったんですが、水本さんのプランを見てまた学校に通いだしたんです。生きがいができたというか、生きていていいんだと思ったのかもしれない。
工房オープン、そしてこれから
厨房機器は、クラウドファンディングによって導入し、2020年1月26日に小学6年生の店長によるお菓子工房がオープン。
今ではメール会員が1,000人を超え、販売開始を告知すると、すぐに予約が入る状況になった。
オープン当初は、指定されたホールケーキの注文を受けて作るスタイルだったが、常に新しいケーキ作りにチャレンジしたいという思いから、作りたいものを作る「みいちゃんのおまかせケーキ」のみの販売という方法に変更。自分で製菓の本を読んで勉強し、オリジナルのレシピを作るのにも熱中している。
なぜこのようなことが実現できたのか?という問いに、「暗闇から抜け出す方法が他に見つからなかったんです。一つの選択肢しか見えない、切羽詰まった状態だったんだと思います」と答えてくれた杉之原さん。
杉之原:外では体は動かないし、しゃべれないけれど、家の中では普通の女の子。話もできて体も動く。どこに相談に行っても、でも、自宅ではできるんですよね・・と言われてしまう。ものすごく生きづらさを抱えているけれど、それを理解してもらえない“グレーゾーン”に存在する子なんです。こういう子たちには、制度が行き届いていないし、サポートも行き届いていない。
杉之原:そしてこのまま義務教育を卒業し、社会に出ていく手段が見つからなかった時、きっと自宅に引きこもってしまう。娘のことを一番理解している母親の私には、そんな将来がすぐに想像できました。
現行の支援制度についても、もっと自立を応援できるあり方に変えられるのではないかと感じている。
杉之原:障がいを持った方が起業する場合、起業できる能力があるとみなされ、支援がありません。しかし、私がオーナーとなって雇用するという形だと、障がい者雇用の支援対策があり、手厚いのです。
障がいを持った方が、自分の居場所を作るために起業することの方が、関係者を含め、はるかにエネルギーが必要なので、そこに支援の光が当たるようになれば、私たち親子と同じ道を歩もうとする当事者がまちがいなく増えるはずです。
同じような障がいを抱えていたり、何らかの事情で、家に引きこもっている子どもを持つ保護者の方には、これまでの常識をいったん白紙にして、まっさらな気持ちで考えてみて欲しいと願っている。
杉之原:私たちがやったことと、まったく同じことをするのは難しいとは思います。けれど、子どもは可能性をいっぱい持っていることに気づいてあげて欲しいです。学校に行かせるだけがすべてではないのですから。
この工房は、子どもを大学まで通わせる教育費と完治が約束された治療費、唯一の社会への自立方法だと考えればいい、そう思うと、今すぐにでも実行しなければ、という気持ちになったんです。
最後にこの工房の将来について、考えていることを訊ねてみた。
杉之原:最初は収支トントンでも居場所さえあればいいと思っていましたが、今は将来一人前のケーキ屋さんとしてやっていけるようにしてあげたいです。
そして、できるならば、いつか店舗数を増やしてみたいです。離れていても近くにいるように感じることができる、遠隔操作のようなテクノロジーを駆使して、日本中の同じような悩みを抱える人たちと、一緒に何かできないかと模索しています。
この記事はグッドデザイン賞事務局の公式noteからの寄稿記事になります 。