INDEX
「ゲームで中毒になる」はエビデンス不足の主張
何かと槍玉にあがる「ビデオゲーム」。うつや中毒につながるとの主張が多いが、そのほとんどは科学的根拠に乏しいものといわれている。
その理由の1つは、これまで実施されてきたビデオゲームとメンタルヘルスに関する研究では、ビデオゲームのプレイ時間データが被験者の自己申告をもとに集計されてきたという点にある。
ビデオゲームがうつや中毒につながるとの主張は、ビデオゲームのプレイ時間が長くなるほどその傾向が強くなるという相関関係から導き出されるもの。しかし、その相関関係の一方の要素であるプレイ時間は、客観性に乏しい自己申告データに基づいているものなのだ。
いくつかの研究で、この自己申告で集計されたデータは、実際のデータより少なく見積もられる場合もあれば、多く見積もられる場合もあることが確認されており、研究者の間では信頼性に乏しいデータであると認識され始めている。
多くの研究で自己申告データが使われた理由は、それが集計しやすいデータであるということのほか、ビデオゲーム会社からデータを共有してもらうことが難しかったからだといわれている。
しかし、状況は変わりつつある。
オックスフォード大学のインターネット・インスティテュート(OII)はこのほど、ゲーム開発会社からの支援を受け、実際のプレイ時間データを使い、ビデオゲームがメンタルヘルスに及ぼす影響を分析、それをまとめ論文として発表したのだ。
同研究の分析対象となったゲームは任天堂の世界的ヒットゲーム「あつまれ どうぶつの森」と米PopCap Gamesの「Plants vs Zombies: Battle for Neighborville(PvZ)」の2本。
分析結果からいうと、どちらもプレイ時間が長くなるほどゲームプレイヤーのウェルビーイングが高くなる傾向が観察された。つまり、ビデオゲームがメンタルヘルスにネガティブな影響ではなく、ポジティブな影響を与える可能性があるということ。うつや中毒などネガティブな影響を及ぼす可能性を示すこれまでの研究とは異なる結果となったのだ。
このオックスフォード大の研究のみですべてのビデオゲームがメンタルヘルスに良い影響を与えると一般化することはできないが、ビデオゲームとメンタルヘルスの関係をデータで議論する良いきっかけとなるのは間違いないだろう。
以下では、同研究がどのように実施されたのか、その手順の詳細を紹介したい。
客観的なゲームプレイ時間データが示す、あつ森のウェルビーイング効果
同研究は「Video game play is positively correlated with well-being」とのタイトルで2020年11月16日に心理学論文レポジトリサイトPsyArxivで公開された。同日、オックスフォード大学インターネット・インスティテュートのウェブサイトにも論文のまとめが公開されている。
どのようなデータが集められたのか。
まず「あつ森」では米国在住のプレイヤー(18歳以上)が対象となった。米国のあつ森プレイヤー34万2,825人に2020年10月27日、Eメールで「調査への招待状」とオープンソース調査サイトへのリンクが送付され、7日間で6,011人分の回答が得られた。その後研究者らは、調査に回答したユーザーの暗号化IDを米国任天堂に送付、米国任天堂はそのIDに紐付けられた匿名データを研究チームに共有した。調査、IDともに個人を特定できる情報は含まれていない。最終的にあつ森では2,756人が分析対象となった。
一方「PvS」では、米国のほか英国とカナダのユーザーも対象となり、分析対象は518人だった。
この過程で得られたのが、過去2週間のゲームプレイヤーの客観的なプレイ時間データだ。そのプレイ時間データと聞き取り調査で得られたウェルビーイングに関するデータを分析し、プレイ時間が増えるとどのような傾向が観察できるのかを調べた。
また聞き取り調査では、プレイ時間の自己申告データも集計されており、実際のプレイ時間と自己申告プレイ時間の比較もなされている。プレイ時間の比較では、自己申告のプレイ時間は実際のデータより2時間多く過剰申告される傾向が観察された。
実際のプレイ時間とウェルビーイングの分析では、小さいながらも統計的有意な正の相関関係が確認された。プレイ時間が10時間増えるごとに、ウェルビーイングは標準偏差0.02〜0.18で増加する。
さらなる「エビデンスベース」の議論が必要
冒頭でも述べたが、この論文は、ゲームがウェルビーイングを高めることを断定するものではない。実際、同論文の分析では、日常での心理的満足度が低いプレイヤーは、ゲームをプレイしてもウェルビーイングが高まらない傾向があることも観察されている。
この論文が終始指摘しているように、ゲームがメンタルヘルスに及ぼす影響を議論する上でエビデンスベースの議論がなされていないことが大きな問題だ。エビデンスベースの議論のきっかけをつくったという点で、この論文は大きな意義を持つのではないだろうか。
文:細谷元(Livit)