ビジネスモデルのイノベーションと研究開発ベースのイノベーション

ビジネスモデルのイノベーションではなく、科学技術/研究開発をベースにしたイノベーションは前者との区別で「ディープテック」と呼ばれている。

ディープテックは研究開発に多大なリソースを必要とする分野だが、一度イノベーションが起こると、経済社会を大きく変える可能性を秘めており、この数年投資家やメディアの間では、ディープテックに対する関心が高まっている。その関心は主にスタートアップに向けられがちだが、大手企業の動向も無視できない。

「ディープテック」という言葉で形容/説明されることは少ないが、掃除機で有名なダイソン社の取り組みは、ディープテックと呼ぶにふさわしいものだ。科学技術/研究開発をベースとするモノづくりに専念し、現在もその特性を強めているからだ。

腐った野菜で発電するサスティナブル技術が受賞、ダイソンアワード2020年

ダイソンの創業者ジェームズ・ダイソン氏が科学技術/研究開発を重視している姿勢は、「ジェームズ・ダイソン・アワード」に見ることができる。これは、2007年から毎年開催されている若手エンジニア/研究者のイノベーションを競う賞。2020年11月19日に今年の受賞者が発表され、英大手メディアがこぞってその結果を報じた。

昨年まで「インターナショナル賞」が最優秀に相当する賞となっていたが、今年から新たに「サステナビリティ賞」が前者と同じ最優秀に等しい賞として設けられた。

サステナビリティ賞を受賞したのは、腐ったフルーツと野菜から代替可能エネルギーを生成する素材を開発したフィリピン・マプア工科大学の学生カーベイ・エレン・メイグ氏(27歳)だ。

カーベイ・エレン・メイグ氏(ダイソン社プレスキットより)

メイグ氏が開発したのは腐ったフルーツと野菜の抽出物から生成した「AuREUS」という素材。空気中の紫外線を吸収し、それを電力に変換できるものだ。従来の太陽光発電は太陽光を必要とするが、AuREUSは空気中に漂う紫外線を活用するため、曇の日でも発電できる。またこの素材は、建物の屋根や外壁に応用できるため、バーティカル(垂直的)な発電も可能になる。一般的な太陽光パネルは1日のうち発電できる時間が10〜25%といわれる中、AuREUSでは48%の時間発電できるとのこと。

日本と同様に台風の上陸が多いフィリピンでは、農作物が損害を受ける頻度が高い。メイグ氏は損害を受けた農作物を有効活用する方法として、AuREUSを開発した。これまでに80種類近い農作物で試験を行い、長期的に利用可能な9種類を割り出したという。メイグ氏は現在、この素材を繊維に組み込み、自動車、船舶、飛行機に応用する方法を開発している。

一方、メイグ氏と並び最優秀となる「インターナショナル賞」は、カリフォルニア大学アーバイン校に在籍するスペイン人学生、ジュディ・ジロ・ベネット氏が受賞した。ベネット氏が開発したのは、非侵襲性の乳がん検診デバイス「The Blue Box」。

ジュディ・ジロ・ベネット氏(ダイソン社プレスキットより)

現在、多くの乳がん検診は侵襲性で痛みを伴うことが多く、40%の女性が検査を受けていないといわれている。その結果手遅れになるケースも少なくないという。

ジュディ氏はこの問題意識のもと、尿サンプルで乳がん検診が可能なデバイスを開発。AIアルゴリズムで、尿に含まれる特殊な代謝物質を検知し、乳がんの可能性を診断するものだ。

サステナビリティ賞、インターナショナル賞はともに、賞金として3万ポンド(約410万円)が贈呈される。ジュディ氏は今後、この乳がん検診デバイスを精緻化し、パテント登録や臨床試験準備に臨む。

研究開発によるイノベーション促進、ディープテック企業ダイソンの取り組み

ダイソン氏は大学への投資/寄付やパートナーシップを通じた研究開発にも力を入れている。

たとえば、2011年にはケンブリッジ大学工学部に流体力学研究促進のために140万ポンドを投じた。また翌年5月には、次世代デジタルモーターの研究促進のため、ニューカッスル大学のダイソン研究施設に資金を投じている。

さらに2014年には、インペリアル・カレッジ・ロンドンに1,200万ポンドを投じ新学部「ダイソン・スクール・オブ・デザインエンジニアリング」を創設。現在、同学部ではエンジニアリング分野の修士・博士号コースが提供されている。

シンガポールのストレーツタイムズ紙(2020年11月27日)によると、現時点でダイソン社はオックスフォード大学、ケンブリッジ大学、インペリアル・カレッジ・ロンドンなど含め、計22件の大学共同研究プログラムを実施しているという。

そのダイソン社、この数年アジア市場への投資を急拡大させている。

英国の企業であるが、2021年にはグローバル本社をシンガポールに移行する計画だ。2019年末にはグローバル本社のオフィスとしてシンガポールのセント・ジェームズ火力発電所跡地を確保、現在リノベーションは行われている。ストレーツタイムズ紙(2019年11月29日)によると、ダイソン社は本社移転に伴い、シンガポールのエンジニア/研究人材の規模を2倍に拡大する計画という。

2020年11月末には、ダイソン社はシンガポール、フィリピン、英国で新たに27億5,000万ポンド(約3,820億円)を投じる計画を発表。シンガポールのアドバンスド・マニュファクチャリング・ハブや英国、フィリピンにおける研究・製造基盤を強化する。また、プロダクトポートフォリオの拡張も行われるという。

ストレーツタイムズが報じたダイソン社の声明によると、この投資計画の一環で、次世代モーター、コネクティビティ、材料工学分野に加え、ソフトウェア、機械学習、ロボティクス分野のエンジニア/研究者を雇用する計画だ。さらに、シンガポールの大学との共同研究プログラムも進めたい考えとのこと。

計画は中止となってしまったが、ダイソン社は電気自動車開発も進めていた企業。研究開発基盤の拡張で、ディープテック企業としての性格を強めるダイソン社、今後どのようなプロダクトが登場するのか非常に楽しみだ。

文:細谷元(Livit